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何となく「void」ってタイトルで書いてみたかったんです。
タイトル先行型です。
俺の人生はこんなものなんじゃないかと思う。
void Touya(){
int i, j;
j = 0;
for (i = 0; i < 10 ; i++ ){
j++;
}
}
引き渡す変数も無く、戻り値も無い。
関数の中でもたいした事はしてなくて、何のためにあるのかよく分からない。
プログラム言語の基礎にあるような、説明のためだけの意味の無い関数。
『void』
無。中身が無い。空っぽ。
プログラムの中で関数を宣言する際に、戻す値が無い事を意味する。
俺も、きっとそんなものだ。
日々同じ様な事を繰り返して、そこに意味があるのか、いまいち分からない。
9年目になる仕事は、仕様書通りのプログラムを組む側から、設計する側になったが、営業が良い顔した尻拭いを・・・クライアントの無茶な要望と実現可能な技術との間に挟まれ、頭を抱えるようになった。
ただ生きて行くために働き、その対価を得る。
それにも違和感と、疑問を感じる。
専門卒の俺の方が、大卒の役に立たないヤツらより、よっぽどマシだという自負はあるものの・・・それでも、初任給の時の差はどうにも埋まりはしない。
今のご時世、定期昇給は瓦解して、結局残業代で嵩ましという事になる。
上の取り決めた期限のおかげで、毎度仕事量はハンパない。残業代が基本給を抜く事はざらで、見事な嵩ましが出来ているが・・・その分心身共にボロボロだ。
最近、主任という肩書きを頂戴し、多少給料に色が付いたものの、責任という重しの方が遥かに増えた。
ただでさえ忙しいのに、そこに加えて、後任の育成だ?
ふざけんな、はっきり言って容量オーバーだ。
この忙しいのに、優しく後ろを見守ってやる余裕なんかあるわけ無いだろ? 自分でやった方が遥かに早いっての。
・・・そう思う気持ちを、抑えるのがかなりのストレスだ。
今はさすがに居場所くらいはあると思いたいが、もし嫌気の差した俺が居なくなった所で、いずれ替わりは補充されるだろう。そう思うと、自分の存在は何なのだろうと時々考えてしまう。
いずれにせよ、放り出して辞めてしまえば、生活に破綻をきたすのは目に見えている。
転職といった所で、俺に出来るのはシステム屋くらいのもので、どうせどこに行っても境遇に大差はない。
下手をすれば悪くなるだけだ。
・・・俺にそんな博打は打てない。
だから今日も鬱々とした気持ちを抱えたまま、深夜のコンビニに立ち寄り、食べ飽きた弁当の中から、それでもましな物を選ぶ。
酒代は痛いが、飲まないとやってられない日だってある。
発泡酒と、あてのサラミを弁当の上に乗せ、レジに控えたバイトの若造に委ねる。
ピアスに長髪のその彼は、相当にデカイ夢をその胸に抱えているんだろう。夢も希望もどこかでこぼれ落ちてしまっている自分には、とても遠い・・・別の世界の生き物に見える。
その彼に金を払い、釣りと商品を受け取る時には、心のどこかがチクリとして、とても苦々しい思いがした。
最初のプログラムは、C言語で書いた、ただのループ文です。
ただ10カウントしてるだけの、本当に意味の無いプログラムです(^^;