第42話 紫苑の葛藤 ― 優しい抱擁と、痛いほどの自覚
ルリカの深紅の影が、棘の香りを残してゆっくりと去っていった後、校舎の角は急に静かになった。
紫苑はまだ膝に力が入らず、ポニーテールを乱れさせながらその場に立っていた。
体に残る甘くねっとりとした棘の余韻が、胸の奥を疼かせ、足元がふらつく。
「しおんさん……!」
咲良が真っ先に駆け寄り、優雅な黒髪を揺らして紫苑をそっと抱きしめた。
白百合の柔らかな光粒子が、紫苑の体を温かく包み込む。
「守ってくれてありがとう……本当に、ありがとうね、紫苑さん」
咲良の声は優等生らしい穏やかさの中に、素直な感謝が溢れていた。
その温もりに、紫苑の目が少し潤んだ。
すると、紡も慌てて横から加わり、小柄な体で紫苑を抱き締めた。
「しおんさん……ありがとう……。
私も、守ってくれて嬉しいよ……」
二人の白百合と桜の光粒子が、紫苑の紫苑の蔓を優しく癒すように絡みつく。
三重の抱擁は温かく、ほのぼのとしていて、まるで小さな花の園のようだった。
あかりが少し離れたところから手を叩いて、
「わあ~! 三人ともかわいい! 紫苑、がんばったね~!」
と明るく声を上げた。
しかし、紫苑の胸の中は穏やかではなかった。
(……恐ろしい……)
ルリカの棘の力は、ただの口喧嘩以上のものだった。
あの強力な誘惑の波――体を溶かすような甘い疼きと、頭を真っ白にしかけるほどの圧倒的な力。
格の違いを、痛いほど見せつけられた。
紫苑は咲良と紡の温もりに包まれながら、内心で強く自覚した。
(このままじゃ……二人を守れない……)
特に、ルリカの棘を目の当たりにして、むしろ驚いたのは咲良の白百合の力だった。
ルリカの誘惑が紫苑を襲ったとき、咲良はほとんど動じることなく、静かに光を放ち続けていた。
あの圧倒的な格の違いを、日頃から跳ねのけている白百合の強さ……それは、紫苑の想像を遥かに超えていた。
(……すごい……咲良さん、本当にすごい……)
紫苑は自分の無力を痛感し、胸が締め付けられた。
(私……出る幕じゃなかったのかもしれない……
ただの1年生の、ちっぽけな紫苑適性で……大守り人を守ろうだなんて……)
自責の念が、コミカルなほどに膨らんでいく。
紫苑の顔が、抱きしめられたまま真っ赤になり、ポニーテールがしょんぼりと垂れ下がった。
「うう……私……ルリカさんの棘に、すぐ膝がガクガクになって……
頭の中がふわふわして、変な感じになって……
咲良さんと紡ちゃんを守るって誓ったのに……すぐに負けそうになっちゃって……」
咲良が少し慌てて、
「そんなことないわよ、紫苑さん。十分に戦ってくれたじゃない……」
紡も頰を赤らめながら、
「しおんさん、がんばったよ……本当に……」
と慰めるが、紫苑はさらにしょげて、
「でも……咲良さんの白百合の力、すごすぎて……
ルリカさんの棘を普段から跳ねのけてるなんて……
私なんて、ただの……かわいい子に目がくらむだけの、役立たずの蔓ですよぉ……」
と、コミカルに肩を落とした。
あかりがくすくす笑いながら、
「紫苑、落ち込みすぎ~! でも、なんかかわいい……」
紫苑は最後に、きゅっと拳を握りしめ、決意を込めて呟いた。
「……絶対に……花の能力を強化する。
このままじゃダメ……
咲良さんと紡ちゃんを守るための、もっと強い蔓になる……!」
その言葉に、咲良と紡は顔を見合わせ、優しく微笑んだ。
温室の余韻と、棘の残り香が混ざり合う中、紫苑の自責と新たな決意が、静かに、しかし確実に芽吹き始めていた。




