08.この2年の成果
1941年12月8日19:00 大日本帝国 東京市 皇居
「乾杯!」「乾杯!」「カンパーイ!」
俺と悠斗、翔の三人でジョッキに入ったビールで乾杯をした。
ちなにみこのビールはキンキンに冷やした恵比寿ビールだ。アイザック達から送られてきた本場のドイツビールも飲んでみだが常温のビールは3人とも好みじゃなかった。
「いやー、皆お疲れ!なんと無事にこの日を迎えられたね!」
悠斗が口の周りに泡を付けながら満面の笑みを浮かべながら言った。
「元の世界の歴史どおりだと今日が真珠湾攻撃だけど、現在太平洋で作戦行動中の艦艇ゼロ!なんとかアメリカとの開戦は避けられたな。」
この2年間はアメリカから日本に対して散々要求があった。『毛沢東を支援するな』『ソ連との軍事同盟を解消しろ』『従わなければ追加の経済制裁も視野に入れるぞ』と日本に対して圧力をかけてきた。しかし、既にアメリカからの石油の輸出は停止されており、2年前まではアメリカが1番の貿易相手国であったが、現在は1位ソ連、2位中国、3位イギリス領インド、4位オーストラリア、5位アメリカと重要度はが下がり、特に1・2位の国はアメリカがいくら圧力をかけようが、日本側の陣営であることと、そもそも社会主義国家であるため何の影響もなかった。
さらに、アメリカのユダヤ資本の投資家を中心に多くの投資家が日本に膨大な投資を始めていることから、ユダヤ資本の新聞社の支持を得られず、世論は対日開戦にネガティブだった。そんな状況なので国債を買う投資家がいるはずもなく、日本と戦いたくても戦う資金を用意できないいう状況だ。
「うんうん、世界中が鉄と鉛と血で戦うてるなかで、日本とアメリカだけが札束でしばき合うてるなんて、アメリカからしたら完全に想定の範囲外やったやろうな。それに、日本は世界に向けて侵略戦争の放棄を天皇の名で宣言してる以上、アメリカには日本と戦う大義名分があれへん。さすがのアメリカも対日開戦は諦めたなぁ」
翔もこの2年間で海軍大臣としてかなり成長した。最近は世間で俺と翔は昭和の加藤清正と山本勘助と言われるほど評価されている。
「そういえば、さっきここに来る直前にアメリカから石油の輸出を再開して、日米友好通商条約の次官級会談を開きたいって外務省に打診があったんだけど、どうする?」
「おっ、とうとうアメリカも折れてきたなぁ。せやけど、そうなるとここからが戦いの本番やんな。海軍としては是非アメリカの100オクタンの石油精製プラントの技術供与は盛り込んで欲しいな。どないしても今の日本のガソリンやと戦闘機のカタログスペックまでの性能がほとんど出えへんねん。」
今のところアメリカの石油精製技術は世界一で、元の世界で終戦後にアメリカが日本の零式艦上戦闘機にアメリカの燃料を入れて飛ばしたところ、最高速度が大幅に上昇したという話があるくらいだ。元の世界での戦時中の日本では、87オクタン~93オクタン価の燃料を使用していたため、戦闘機のパフォーマンスを最大限に引き出すことができていなかったと言われている。
「今は重慶油田と勝利油田のおかげで石油に困っているということはないけど、火力発電所の建設を急ピッチで進んでるし、これからどんどん石油の需要は増えるだろうから、アメリカからも買って損はないと思うよ。」
「僕も石油は備蓄しといた方がええ思う。それに、あんまりアメリカに強硬姿勢を続けて、宣戦布告された最悪やで。帝國海軍もレーダー搭載の艦が増えたし、陸海軍と航空機の開発と製造を一本化して、今は陸海軍の主力戦闘機は紫電改に統一して工場もライン生産に切り替えさせて生産ラインをフル稼働してるけど、やっぱアメリカの生産力にはまだ追いつかれへんさかい、万が一戦争になったら最初はアメリカ海軍を圧倒できる思うけど、2年もしたらあっちの歴史と同じように資源不足になって、物量で押しつぶされるのは確実やねん」
翔が悔しそうに話しているが、日本が僅か2年間でアメリカの生産力に追いつくのは,いくら未来の知識があって,チート能力があったとしても不可能だ。だから,今あるリソースを最大限に活かすことを考えるのが現実的だろう。それに、アメリカとの開戦は当面心配しなくてもよくなり,陸軍のは四分の1の規模になったのだが、海軍については正規空母の数は6隻から大和を加えた7隻に増えたし、航空機も増えたことで2年前の約4倍に増えた。防衛に特化さえしていれば、戦費が不足して全力を出せないアメリカに制空権と制海権を奪われることはないだろう。
「そうやな。せやけど、海軍の維持費がでかいさかい今の財政じゃ福祉や教育に予算出したいのに、予算の捻出がでけへん」
悠斗の言うとおり海軍の維持には莫大な経費がかかっている。今は好景気で税収が大幅に増えたことで、なんとかギリギリやりくりできてはいるが、今後も世界最強の海軍力を維持するには国力そのものを底上げする必要があるだろう。
「じゃあさ、アイザックと藤井先輩には悪いけど、東南アジア植民地に臨時政府を置くフランスとオランダとイギリスに新しく開発したルノー製の戦車の輸出でも始めるか?」
「いやいや、誠司さすがに鬼畜過ぎるやん。まぁ、反対はせえへんけど」
鬼畜とか言ってるのに翔も笑いながら反対しないとか言っている時点で、俺よりも鬼畜な気がするが・・・。
「背に腹は変えられないし、俺らがやらなくてもアメリカがやるから、いいと思うよ。」
最初に皆で決めた「お互いの足を引っ張らない」という約束にはもしかしたら触れることになるかもしれないが、これはビジネスだからアイザック達も分かってくれるだろう。
「なんか、どんどん元の世界のアメリカみたいになっていくね。」
「こないだ取材に来ていたアメリカのウォールジャーナルの記者が言ってたんだけど、大統領が極東に第二のアメリカができてしまったって嘆いてるみたいだよ。確かにアメリカの経済的植民地で育った俺らがトップにいるの国だからな、宗主国のアメリカみたいになるだろうな。」
2年前の中国からの撤退時に内閣総理大臣名義で日本国内の完全な報道の自由を国内外のメディアに「メディアの方々には撤退時に満州や朝鮮での日本軍による不正行為が無いよう、目を光らせていただきたい」と各国のメディアに政府から要請を出したところ、海外メディアのほとんどが日本政府の姿勢を称賛した。現在では大手のマスコミは続々と東京に支社を置き、多くの記者を常駐させて、閣僚がジョークを交えながら海外の記者とも話せるような関係性を築いている。
今回のミーティングで俺らが軽いノリでイギリスと東南アジアの植民地にある各国臨時政府に輸出した戦車は、元の世界には登場しなかった戦車で、ルノーB1とソ連のT-34を参考に開発したルノーJ1戦車はカタログスペックではドイツのタイガー戦車には及ばないものの、汎用性が高く、すべてのパーツの品質管理を徹底した日本本土の工場で元ルノーの工員と日本人が組み上げたため、故障が少なく安定した運用が可能である。このとき俺らは深く考えてなかったけど、後にドイツ軍に苦戦を強いることになる。かもしれない。
俺達は皇居でフランスから帰化したユダヤ人フランス料理シェフの作ったフルコースに舌鼓を打って10時頃には解散した。解散と言っても俺と翔は今は皇居内の離れに住んでいるため徒歩で自分の家に戻った。
皇居の敷地内には常に肩からAK-47をぶら下げた近衛師団の歩哨が巡回しており、警備は万全だ。今では内閣総理大臣兼陸軍大臣になった俺は日本で2番めに警備が厳重な要警備対象となっていた。そのため、皇居の外に出るときは陸軍の警備部の1個中隊が車列を組んで移動するため、なかなかプライベートでは外を出歩くことができなくなった。
そんな状況で21歳になった俺は女性と出会うこともほとんどなく、未だに彼女いない歴=年齢を更新し続けている。陸軍内には業務隊の女性兵士、所謂WAC(Women's Army Corps)も増えたが、俺が職場の女性に手を出したとなると職権濫用と思われて、軍の士気にも関わるためどんなに綺麗な人でも職場の女性は恋愛対象外にしている。
ちなみに業務隊は元の世界での自衛隊内部の内勤の部隊のことであるが、俺が陸軍大臣に就任してから階級、組織編成、組織名称を陸上自衛隊に合わせて変更したため現在はそのように呼んでいる。まぁ、縮小したとはいえ陸上自衛隊の約2倍の兵員を抱えているため規模は全然違う。また、陸軍になかった空挺団や、中央即応集団等の新設、自衛隊にも陸軍大臣直轄の特殊作戦連隊(本部管理中隊、A中隊からE中隊かなる6中隊の編成)など即応性の高い部隊も複数作られた。
なお、悠斗は20歳のときに侯爵家の長女の皐月さんと結婚して、各国の代表が集まって国を上げての慶事となり、来年の春には子供も生まれる予定だ。翔もパーティーで知り合った財閥企業の創業一族の18歳のご令嬢と婚約しており、来年の6月には結婚することが決まっていた。
俺にも皇族や華族、四大財閥、香港の銀行家のご令嬢等々の超上流階級のお嬢様達に対して、サラリーマンの父を持つ一般家庭に生まれた俺には完全に不釣り合いなお見合い話はいくつもあった。しかし、結婚相手の実家との絡みが面倒な俺はそういったお見合い話を断り続けている。かと言って立場的に市井の娘と付き合うこともできないから、このままずっと俺は一人なんだと半ば諦めて、黙々とブラック企業の社員のように日本のために働いていた。
ちなみにこの時代の企業は「あゝ野麦峠」や「蟹工船」でも分かるように、ありえないぐらい真っ黒なので、労働基準法を現代レベルまで法改正をしたため、大企業については少しはマシになったとは思うが、特に中小企業ではまだまだコンプライアンス意識が低いので、政府が啓蒙活動を続けなくてはならないだろう。
また、元の世界の戦前でも人身売買は違法であったが、幼い子供のうちから口減らしのために親に女郎として遊郭等に売られる少女が多数いた。そのため、そういった人身売買については売った側も買ったが側も全財産を没収のうえ、樺太で2年間の強制労働を課すという法令を施行した。政策が功を奏して表向きは遊郭から少女たちの姿は消えた。もちろんどんなに厳しく取り締まっても完全になくなることはないので、逮捕者は後を絶たなかった。しかし、女郎自体を完全に排除してしまうと、違法な売春行為が増えて反社会的勢力の資金源になる可能性が高いため、遊郭特別法を制定し厚生労働省の許可を得た業者のみが遊郭を経営し、女郎はすべて登録制で、18歳以上で、本人の意思がない限り登録できないこととした。本人の意思確認は登録時と月に一度保健所での性病検査の際に行われ、検査の際に辞めたいと言えば遊郭に戻されることなくその場で保護されて、しばらくはシェルターで生活をしながら、手に職をつけるための職業訓練を受けさせて社会復帰を目指すことになっている。この法律が施行された翌日には全国の遊郭や娼館に一斉に武装警察隊による抜き打ちの操作が入り、多数の18歳未満の少女が保護された。なお、同法の施行と同時に青少年保護育成条例も制定し、18歳未満の少女との姦淫(性交類似行為も含)したものは顔写真と住所、実名を地元の新聞に掲載し、地域の学校に情報が配布されることになっている。また、強制性交罪については10年以上の禁固刑とし、刑期を終えてからも手の甲に性犯罪者の入れ墨を入れ、自宅の表札にも同様のマークの表示が義務付けられている。強制性交等致死傷罪については終身刑または死刑とした。これらの法改正は新聞の一面やラジオ等で大々的に公示したことで、性犯罪については前年度より7割減という効果を果たした。弊害としては性犯罪者の親戚や家族が近所から村八分にされたり、学校で虐めを受けたりして、自殺や一家心中等が発生したが、さらにそれをマスコミが報道することで犯罪抑止に繋がり、事件発生件数は毎月減少している。




