30.新婚生活スタート
1942年3月23日17:00 大日本帝国 東京市 総理官邸
ようやく緊急ミーティングが終わって、官邸内の自分のデスクに戻ることがめきた。翔への引継ぎ資料に目を通しながらストロベリーティーを飲んで一息ついていると、楓さんの送迎が終わった木村三佐が戻ってきた。木村三佐からは特に問題なかったとの報告を受けて、約束の19時までに帰宅するために、次々と引継書に目を通して承認印を押す作業を繰り返していく。今回の内閣総理大臣の交代は内閣改造等の予定は一切なく、スタッフの交代もないため、俺の総理大臣としての仕事だけを翔に引き継げば良いので、引継ぎに関係のない職員達はいつも通り働いていて、定時で帰り支度をしている職員もちらほらといる。でも、内閣総理大臣付きの職員だけは慌ただしく動き回っていた。おそらく、3月中は深夜までの残業が続き、休日出勤も必要となるだろう。そんな内閣府の職員のために今日は俺のポケットマネーで『#縁__えにし__#』の弁当を配達してもらった。ハンバーグ弁当をみんなに夕飯として配ったら、デミグラスソースのハンバーグを気に入ってくれたのと、食堂に行かずに、すぐ仕事に戻れると大変喜んでくれた。俺のせいで迷惑をかけているのだから、月内は毎日差し入れを続けることを約束したら歓声が上がり皆のモチベーションが一気に上がった。この時代の人達は基本的に体育会系なので、お弁当くらいでも凄く喜んでくれる。元の世界でZ世代に同じことをしても、弁当を食べる時間だけ早く帰りたいと言われそうだ。この時代は本当に素晴らしい。弁当で仕事の能率が上がるならこれからも残業のときは支給してあげたいと思う。
そんな残業中の職員達を尻目に、後ろ髪を引かれるような思いではあったが、なるべく気配を消してそっと執務室を後にした。
皇居内の自宅前に到着すると、窓から明かりが漏れていた。日中はお手伝いさんが来て掃除や洗濯等をしてくれているが、俺が帰る時間には既に帰っているので、家に帰って明かりがついているというのは新鮮だった。ドアを開けて玄関に入ると、楓さんが早歩きで玄関までお出迎えに来てくれた。
「誠司さん、おかえりなさい。不束者か#不束者__ふつつかもの__#ですが今日からお世話になります」
今日の楓さんは白い襟付きの紺の膝丈ワンピースを着ていた。毎回違ったコーディネートの楓さんだが、前の世界の戦前の普通の女の子と比べてファッションを楽しんでいる気がする。こちらの世界の女の子は戦争もない平和な日本国で、新しく入ってきたヨーロッパやロシア、アメリカのファッションの影響も受けて、今世界で最も流行に敏感かもしれない。特にパリやロンドンから多くの有名なファッションデザイナーが東京に移住してきているので、今の東京は世界のファッション業界の最先端と言っても過言ではないだろう。今年は第一回の東京レディーズコレクションの開催も予定していると聞いた。
「楓さん、ただいま。こちらこそお世話になります」
「さぁ、上がってください。夕飯はまだですよね?」
「うん、楓さんが待ってると思って、急いで帰ってきました」
「嬉しいです。夕飯を用意しておきましたので、着替えたら居間にきてください」
「はい!急いで着替えてきます!」
自宅で女の子に手料理を作ってもらうなんて、生まれて初めてのイベントに心が躍る。玄関からそのまま寝室に行って軍服をハンガーにかけて、部屋着に着替えてから居間に行くと、楓さんが用意してくれた料理が食卓に並んでいた。今日のメニューは#鰊__にしん__#の塩焼きとシジミのみそ汁、白菜の漬物と白飯だった。
「わぁ~、美味しそうです!この家で手作りの食事をを食べるのは初めてです」
「そうだと思いました。一度も使用した形跡がない新品の台所だったので、使って良いものなのか少し悩みましたよ」
「陸軍の訓練で炊事もやるんで、作れないという程ではないのですが、一人だとなかなか使う機会がなくて」
「男性の一人暮らしだと仕方ないですよね。今日からは毎日私が作るので、この家の台所も本望でしょう。新品といえばこの家の家具は高級なものばかりでどれも新品に見えるのですが、もしかして、今回私が来るから新調したんですか?」
「はい、実は一昨日まで家具といえばこの食卓と書斎の机と椅子、布団が一組しかなかったのです。寝に帰るだけなので不便はしていなかったのですが、ここで生活すると考えると、どうも家具が不足していることに気が付いてしまいまして、慌てて揃えました」
「そういうことでしたか。誠二さんのお気遣いはとても嬉しいです。ありがとうございます。どれもとてもセンスが良くて素敵なものばかりなので、大切に使わせていただきます。でも、これからは私の為にあまり無駄遣いはしないでくださいね?」
「はい。ごめんなさい。今度から気を付けます」
「私のためにしてくれたことなのに謝らないでください。さあ、お味噌汁が冷めちゃうからい食べましょう」
「はい!いただきます!」
味噌汁を一口すすった瞬間に口の中に幸せが広がった。俺の好きな赤だしのみそ汁で、具がナメコなのも嬉しいし、塩加減も丁度良い。すばらしく美味い理想のみそ汁だ。
「このみそ汁本当に美味しいですね。完全に俺の好みの味付けです!」
「実は兄に聞いて誠司さんの好みの味に作ってみました。お口に合って良かったです」
「なるほど、お義兄さんとはほとんど毎日一緒に食事をしているから、俺の好みはよく知ってますもんな」
もう一口みそ汁を飲んでから、主菜の焼き魚を食べた。
「これは、#糠鰊__ぬかにしん__#ですね!大好物なんですよ!一切れでどんぶり3杯食べたことがあります!」
「この#糠鰊__ぬかにしん__#は実家の建物があった近くの商店街に、新鮮でとっても美味しい魚屋さんがあったので、ここに来る途中で兄に寄ってもらって買ってきました。総理大臣がこんなに喜んでるなんて知ったら魚屋さんが大喜びすると思います」
楓さんなりの冗談だったのか、自分で言ってから一人で笑っている。そんな楓さんを見てホッコリしてしまい、釣られて俺も笑った。笑いといえば、この時代の人は笑いのレベルが低い気がする。テレビがまだ普及していない時代なので、バラエティー番組やお笑い芸人等を見る機会もないから仕方ないかもしれないが、冗談なのか本気なのか分からないことが度々あるので、少し困っている。政府主催で賞金を出して漫才コンテストでも開催するようになったら、日本のお笑いのレベルのも引上げられるかもしれないな。よし、次の閣議で提案してみよう。
「この白菜の漬物は母方のおばあちゃんが漬けて持たせてくれたんですよ、美味しいので是非食べてみてください。」
白菜の漬物を食べてみると、少し薄味だが仄#仄__ほの__#かに柚子の風味がする上品な白菜の漬物だった。
「これも凄く美味しいです。柚子の風味が食欲をそそりますね」
「良かったぁ。私もこの漬物が大好きなんですよ。やっぱり柚子の香りが良いですよね!おばあちゃんに作り方を教わってきたので、今度は自分でも作ってみようと思います」
「それは楽しみです。ぜひお願いします」
楓さんが作ってくれた食事はどれもとても美味しかった。ついついお茶碗3杯もご飯を食べてしまった。
食後は順番に風呂に入って、楓さんが淹れてくれたほうじ茶を飲みながら、居間で食卓を挟んで向かい合って座った。これからの生活について話をすることになった。
こうして向かい合って楓さんを見ると、目の前の美少女のお風呂上りの姿にドキドキしてしまい直視できなくなった。照れていると思われるのは恥ずかしいから気を紛らわすために、真面目な話をすることにした。
「これからのことなんですが、まず生活していくうえで一番重要な、うちの家計の状況、お金のことについて説明しますね」
「そうですね。お願いします」
「俺の収入は大きく分けて4つあります。1つ目は陸軍の俸給が月額600円、賞与等も入れると年収で約9,000円あります。2つ目の収入は、昨日行った料亭のような俺が直接経営する事業、経営する事業は飲食店が料亭が1つと都内にカフェを8店舗、ロシア語教室を1教室、中国語教室を1教室、大人向けの英会話教室を5教室を経営していて、飲食と教育で合計15店舗あります。子供向けの英会話教室はフランチャイズにしているので、直接経営はしていませんが、加盟店が30教室あります。今のところ全ての事業でなんとか黒字という状況です。利益はすべて再投資に回しているので実際に手元に入ってくる収入は今のところありません。3つ目の収入は株や債券の配当収入。これは複数の企業の配当日がそれぞれ違うので、年に数回配当があります。企業の業績に応じて毎年入る金額が変動します。この株や債券の配当についても得た利益を再投資に回してます。4つ目は収益オフィスビルを1棟とアパート3棟持っているので、そこからの賃料収入です。この賃料収入については固定資産税等の不動産の維持費を差し引いて、残った分は株や債券、不動産の購入に充てています。なので、家計に繰り入れ可能な収入は陸軍大臣の俸給だけになるので、なるべくこの範囲内で生活するようにしていました」
予め説明用に用意しておいた収入の大まかな項目一覧を見せながら説明していく。
「次に支出です。ここの家賃と光熱費は基本的に俺は負担していないので、支出はありません。これから引っ越す官舎についても同様です。なので、毎月かかっている費用は食費と交際費、日用品費がメインです。交際費については内閣総理大臣や陸軍大臣としての会食等は国庫から支払われるので、俺の個人的な付き合いのものだけになりますね。個人的な付き合いの交際費についても事業に関するものは、事業収入の中から経費として支払っています」
「はい。だいたい分かりました」
「そこで、今日から楓さんにはうちの家計の部分の管理を、お任せしたいと思います。いいですか?」
「はい!頑張ります!」
「ちなみに現在の預金についてはこれです。通帳の内容を確認してください」
預金通帳3冊と銀行印を楓さんに渡した。




