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25.プロポーズ

1942年3月20日19:00 大日本帝国 東京市 ホテル・クラリッジズ東京


今までいろいろな邪魔が入って先延ばしになっていたが、とうとうこの日がやってきた。俺は今クラリッジズ東京のレストランの個室内で彼女を待っている。

クラリッジズ東京はロンドンの老舗高級ホテルであるが、イギリス王室からの要請により昨年日本での開業に至った。イギリス王室御用達なだけあって重厚感のあるホテルだ。内装は華美ではないが落ち着いた雰囲気になっており、スタッフのサービスも最上級だ。

なお、ホテルの開業に合わせてノルウェー国王一家が長期滞在しているため、一度ご挨拶に来たことがあったが、レストランを使うのは今回が初めてだ。

彼女との約束の時間は19時半なのだが、俺は1時間以上早く到着している。予約した席は空いていたので、早めに席に案内してもらい、ただ黙って水を飲んで時間を潰した。


19時15分ちょうどに彼女、そう木村楓がレストランに到着した。ウェイターに案内されて俺が待っている個室に入ってきた瞬間に石鹸の香りが鼻をくすぐった。食事をするからか香水ではなく、石鹸の香りだけというのは非常に好感が持てる。

今日の楓さんはカーネーションピンクのワンピースドレスに靴はベージュのパンプス、胸元には1つだけピンクパールが付いた可愛らしいネックレス、髪はアップにまとめており、フォーマルだけど、彼女によく似合うとても可愛らしいコーディネートをしていた。俺が椅子から立ち上がって彼女を出迎えると彼女は笑顔で会釈してくれた。


「園田さん、こんばんは。お久し振りですね。今日はご招待いただいて、ありがとうございました。こんなに素敵なレストランに来るのは初めてなので、とても緊張しました」


「あまり畏まらなくても大丈夫ですよ。個室だし今日は二人だけですから。とりあえず座りましょうか」


ウェイターがタイミングを見計らって椅子を引いてくれたので俺が座ると、続いて楓も別のウェイターが引いてくれた椅子に座った。

二人とも椅子に座って楓さんがハンドバッグを置いたところで、ウェイターが俺にドリンクメニューを渡してくれた。楓さんは未成年だから今日は俺もアルコールは避けて、ペリエを二人分注文した。元の世界でもペリエは有名な炭酸水だったと思うけど、いつからあるんだろうか。


「俺はイギリス料理というものはあまり美味しくないという印象があったのですが、このレストランは日本人のシェフが日本人の舌に合わせて、イギリス料理を日本風にアレンジしていているので美味しいって噂なんですよ」


「そうなんですね。イギリス料理は私も初めてなので楽しみです。でも、本当に豪華でオシャレなホテルですね。園田さんは女性と食事をするときは、いつもこういうお店に来ているのですか?」


少しだけ不満そうな顔の楓さん。もしかして、やきもちを妬いてくれているのだろうか。


「いやいや、お恥ずかしい話ですが、プライベートで女性と二人で食事をするのは実は初めてなんですよ。さっきから俺も緊張して手汗が凄いことになってますよ」


「へぇ~、私が初めてなんですか…」


さっきとは違い少しだけ嬉しそうな顔をしているのは気のせいだろうか。もしかしたら楓さんも俺に好意を持ってくれているのかもしれない。

    

「はい。陸軍に入ってから、お見合いの話なんかは色々ありましたが、仕事が忙しかったのと、どうもお見合いというのは性に合わなくて、女性と二人で食事にいく機会は本当に一度もありませんでした。楓さんこそお付き合いしている方はいるんですか?」


楓さんは急にムッとし、先ほどより少し大きな声で答えた。


「いません。お付き合いしている方がいたら、いくら総理からのお誘いでも男性と二人で食事をすることはありません。それに、尋常小学校を卒業してからは、女の子ばかりの環境で育っているので、男性とお話しする機会もほとんどありませんでしたよ。園田さんには私がお付き合いしている男性がいるのに、他の男性と二人で食事に行くような軽い女に見えるんですね…」


ムッとした表情から今度は悲しそうな表情になった楓さん。楓さんは表情が豊かで、どの楓さんもとても魅力的だ。しかし、今はそれどころではない。話の流れを変えなければ…。


「楓さんはとても魅力的な女性なので、言い寄ってくる男は後を絶たないかと思いまして…」


「そんなこと…」


今度は顔を赤くして俯いてしまった。楓さんは本当に見ていて楽しい人だ。アメリカとドイツが世界の裏側で戦争していることなんて忘れてしまいそうな幸せなやり取りをしているうちに、最初の料理が運ばれてきた。最初は一口サイズのサーモンのテリーヌや金目鯛のカルパッチョなど日本の食材を使用したオードブル7点盛りだ。どの料理も美しく盛られていて食欲がそそる。

    

「わぁ、園田さんキレイなお料理ですね!」


「はい、料理長は京都の料亭で働いていたのですが、こちらのホテルの支配人からスカウトされて、イギリスの三つ星レストランで修行してきたらしいですよ。日本の食材を使って日本風にアレンジしたイギリス料理を出してくれているって話ですよ」


実はこの店を選んだのには、陸軍の園田未来研究会に所属する陸軍将校達に「費用は俺が持つから彼女を連れて行ってこい。彼女がいないなら、気になっている女を誘って行ってこい。費用を出す代わりに、その店の料理の見た目や味、店の雰囲気、店員の接客態度をこのチェックシートに記入して、特筆すべき事項があれば備考欄に記載するように」と、都内の高級レストランガイドを自前で作成し、その情報を元にその中で一番オシャレで雰囲気が良いこの店を選んだ。なお、この陸軍レストランガイドは陸軍の広報部門からのお願いで、陸軍内の機関紙の特別版として配布されることになった。


「へぇ~、だから食べやすいんですかね?この金目鯛のカルパッチョ凄く美味しいです。生のお魚は刺身でしか食べたことがなかったので、面白い味です」


面白い味という表現を久し振りに聞いた気がする。元の世界で芸能人が食レポで使っていたのを思い出す。


「たしかに生の魚って醤油とわさび以外で食べることって、あんまりないですよね。外国の料理だと、新しい発見がたくさんで楽しいですね」


出された料理の話や最近のニュース、木村三佐の話題などで盛り上がった。コース料理はスープ、サラダ、メイン、デザートと進んでいき、デザートを食べ終えて、食後の紅茶が運ばれてきた。


「そういえば、来月から陸軍省での勤務が始まると、今までみたいに園田さんと気軽にお話しができなくなってしまいますね…」


来た。この話題になることは想定していた。いや、むしろ待っていた。


「楓さん、その話なんだけど、申し訳ないけどなかったことにしてもらえませんか?」


「えっ、なかったことって…」


さっきまで笑顔だった楓さんの顔が一瞬にして泣きそうな表情になってしまった。ウェイターに予め決めておいたサインを送ると、チェロとバイオリン、ビオラ、コントラバスの4人の奏者がエルガーの弦楽四重奏曲を弾きながら個室に入ってきた。

突然のことに何が起きたか理解できない楓さんは「なに?」と言って俺に視線を向けてくる。俺は椅子から立ち上がり楓さんの椅子の前まで行くと床に片膝をついた。緊張して少し足が震えている。


「楓さん、俺は楓さんが好きです。楓さんには軍で俺の部下になるよりも、一生俺の隣に立っていて欲しいんです。俺と結婚してください」


そう言って、ジャケットのポケットから指輪が入った箱を取出し、楓さんに向けてそっと箱を開く。楓さんは今までで一番顔を赤く染めて、緊張しているのかスカートの裾を握りしめていた。


「はい…。私も園田さんが好きです。よろしくお願いします」


俺は楓さんの左手を取ると、箱から指輪を出して楓さんの薬指に嵌めようとするが、俺の手が震えてなかなか嵌められない。俺が額に汗を浮かべながら焦っていると、楓さんが右手をそっと俺の手に添えて、指輪を嵌めるのを手伝ってくれた。指輪が嵌まるとホッとしたのと、恥ずかしさで思わず笑ってしまうと、楓さんも一緒に笑ってくれた。楓さんの涙を浮かべた笑顔に俺の胸は熱くなり、楓さんをきつく抱きしめながら、この人を一生かけて幸せにしていこうと心に誓った。


ゆっくりと楓さんの背中に回している腕の力を抜き、離れるのは名残惜しいが席に戻った。演奏してくれた4人にお礼を言うと打ち合わせどおり退室していった。


「この指輪とても素敵です。一生大切にします。サイズもぴったりですけど、よく私の指のサイズがわかりましたね」


 楓さんは自分の左手の薬指で輝く小さなダイヤで飾られた指輪を、反対の手の指で撫でながら言った。


「気に入ってもらえて良かったです。実はサイズについては木村三佐に頼んで、楓さんのお母さんに予め教えてもらいました」


本番で指輪のサイズが合わなかったら恥ずかしいから予め確認をお願いしたのだが、木村三佐は喜々として母の実家に電話をかけに走り出し、10分後には楓さんの指輪のサイズを書いたメモを渡してきた。『メモには頑張ってください!!』と一言添えられていた。普段は真面目なのだが、こういうところがあるのが木村三佐の良いところだと思っている。

    

「ということは、うちの家族は私以外みんな知っていたってことですか!?さっき、園田さんと食事をすると言って家を出るときに、お母さんが気持ち悪いくらいニヤニヤしてた理由が分かりました…。指輪のサイズなら私に聞いてくれればよかったのに…」


「それだと驚いてもらえないじゃないですか。せっかくカッコつけたのに、指輪のサイズが合わなくて恥をかかずに助かりましたよ。そうだ、もうすぐ楓さんも園田になるんだから、もう園田さんって呼び方はやめませんか?」


「あっ、はい。そうですよね。それでは誠司さんと呼んでも良いですか?」


「はい!ありがとうございます!」


腕時計の針を見るともうすぐ22時になろうとしていた。もっと楓さんと一緒にいたいし、これからのことについても相談したいが、お母さんも心配するだろうし、今日はそろそろ解散しよう。


「楓さんとこれからのことについて色々お話したいのですが、今夜はもう遅いので、そろそろご実家までお送りします」


楓さんも時計を確認すると、ハッと驚いた顔をしていた。


「えっ、もうこんな時間ですか。こんなに遅くまで外出するのは初めてなんです。誠司さんと一緒だから心配はしていないと思いますが、なんだか悪いことをしているみたいでドキドキしますね。色々なことがあり過ぎて時間が経つのをすっかり忘れていました。今夜は興奮しすぎて寝られるか心配です。帰り道にも誠司さんとお話したいので、お言葉に甘えて送っていただいても良いですか?」


「はい。もちろんです。早く眠れるように車の中では次の選挙のお話でもしましょうか?」


「ふふふ、それは確かに眠たくなるかもしれませんね」


帰りの車の中では、俺に陸軍に入るのを断られたとき、嫌われたと思って我慢できずに泣いてしまう直前だった、こういうのは心臓に悪いから二度としないでほしいと怒られ、婚約した直後なのに結婚後は尻に敷かれることを予感してしまった。亭主関白みたいなのは恐らく自分には向かないから、妻の尻に敷かれるぐらいの方が良いのかな。こういうのは人に話すと惚気にしか聞こえないから、心の中で呟くだけにしておこう。


「楓さん、早速楓さんのご家族に、結婚の挨拶に伺いたいんだけど、明後日の日曜日は空いてるかな?」


「空いてますよ。家を出る前にお母さんが、明日はみんな予定ないよ~、って言っていたので。あっ、もしかしてお母さんはこうなることを見越してたのかもしれないですね。少しお母さんが怖くなりました」

    

「お義母さんはいつも楓さんのこと見ててくれているってことですよ。楓さんのお義母さんのご実家に伺うとなると、色々とご迷惑かと思います。なので、俺が経営している『縁』という料亭があるので、そこに日曜の12時にお越しくださいと伝えください」


「はい。わかりました。なんだか本当に誠司さんと結婚するんだって実感が沸いてきました。明後日、楽しみにしていますね」


 車が楓さんのお義母さんの実家の前に到着して、楓さんと一緒に俺も車から降りて、門の入り口のところで握手をした。名残惜しいが車に戻って楓さんのお義母さんの実家をあとにした。

    

明日は忙しくなりそうだな、悠斗と翔に今回の報告、それと今後について相談して、緊急閣僚会議を開いて…。楓さんのためだと思うから今回は頑張れそうだけど、最近会議ばっかりで全然休みを取っていない。そろそろ連休が欲しいな。休みといえば新婚旅行はどこがいいかな。本当は海外に行きたいけど、立場的に難しそうだからせいぜい沖縄県か台湾県かな。ちなみに史実とは違い台湾は去年から外地ではなくなり台湾県となり、都道府県が47から48に増えた。もちろん元々住んでいた台湾の住民も日本国民になった。とはいえ、台湾の文化や言語は尊重したいので、台湾県での公用語は日本語と台湾語としている。公共施設の表示などは2か国語となっているし、学校の授業はこれまで通り日本語で行われているが、せっかく台湾語を話せる文化があるのに使わなくなるのは勿体ないので、小学校と中学校では週に4時間から6時間、台湾語の授業も行われている。

今は中国も内戦が終わったばかりで不安定だが、今後は日本に原材料や食料の輸出が増えて、経済も安定してきたら台湾への観光客等も期待ができそうだ。

ソ連とは良きパートナーとして同盟関係を強化していくことになるが、できれば中国ともこれまで以上の友好関係を深めていきたいと考えている。そして、なるべく早く雀は駆除しないことと、農民に鉄を作らせないこと、毛沢東政権の維持に大日本帝国が資金的にも軍事的にも手を貸す代わりに、知識階級の虐殺や粛清をしないことを約束させよう。元の世界で戦後支払っていたODAを毛沢東政権の支援のために使うと考えたら、ODAより100倍有効な使い方だと思う。いずれにしても距離も近い、人口も多い中国市場は日本にとって膨大な利益を生み出すことは確実であるから、積極的に毛沢東を支援して、自由貿易を目標に段階的に市場を開放させることが、今後の対中国方針の基本となるだろう。

楓さんと婚約をしたという高揚感を抑えるために、ほかのことを考えてみたが。どう頑張っても今は楓さんのことで頭がいっぱいだ。俺も今日は眠れないかもしれない。

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