22.ロンドンの攻防
1942年1月27日、アメリカ軍がリバプールからイギリス本土に上陸し、アメリカ陸軍がロンドンに到着したときには既に市街地の7割ほどがドイツ軍に占領されており、イギリス陸軍は壊滅寸前であった。エリザベス女王が周りの反対を押し切ってバッキンガム宮殿から出ずに、イギリス軍の兵士を労い、宮殿内の食料や医薬品を全て軍に放出し、士気を鼓舞していたため、ドイツ軍の猛攻にも撤退することなく文字通り全滅するまで戦う覚悟だった。エリザベス女王がロンドンに残る決定をしなければ、恐らくアメリカ軍の到着まで持ち堪えることはできなかっただろう。
アメリカ軍到着の初日にアメリカ空軍の戦闘機による物量作戦が成功し、一時的にロンドン周辺の制空権をドイツ軍から奪取したことで、ロンドン市街の支配地域を5割まで取り戻すことができた。しかし、戦場は膠着し、約1か月もの間泥沼のロンドン市街戦が続いた。
最終的には再び制空権を取り戻したドイツ軍がロンドン市街戦に勝利し、アメリカ・イギリス連合軍はエリザベス女王と供にバーミンガムまでの後退を余儀なくされた。
この1か月間でアメリカ軍は、ロンドンでの激戦の裏で、リバプール、マンチェスター、リーズ、スカボローのラインを最終防衛ラインと考え、アメリカ陸軍と海兵隊合計約300万人による強大な防衛陣地を完成させていた。
一方アメリカ海軍はドイツ本国からの輸送を遮断するために、大西洋艦隊をイギリス海峡に集結させ、ドイツ海軍を牽制しており、ドイツも思いどおりにイギリスに補給部隊を送れなくなった。
アメリカ海軍は、シートン沖海戦でのドイツ軍の戦術をすぐに分析し、イギリス海軍を壊滅させたドイツ軍のミサイルと航空機による攻撃の対策として、艦隊を広い間隔で運用して密集隊形を避けたことと、アメリカ海軍が所有していた空母9隻のうち7隻を投入し航空機からの攻撃に備えたことで、ドイツ軍もアメリカ海軍にて容易に手を出せない状況になっていた。
なお、史実では日本軍が空母を運用した機動部隊によってパールハーバーを攻撃し、アメリカ海軍に多大な損害を与えた真珠湾攻撃で、これまでの大艦巨砲主義に基づく戦艦中心で構成された海軍を運用する各国の艦隊運用に大きな影響を与えた。アメリカ海軍は第二次世界大戦前には9隻しか所有していなかった正規空母が、終戦時点では約3倍の約27隻まで増加していた。航空機による艦艇への攻撃については、第二次世界大戦前までは戦艦の補助的な役割しかないとされ重要視されていなかったが、1941年12月10日に日本海軍とイギリス・オーストラリア海軍によるマレー沖海戦で、日本海軍航空隊が当時のイギリスの最新鋭戦艦であったプリンス・オブ・ウェールズ及び巡洋戦艦レパルスを轟沈させ、日本軍の被害は航空機6機のみという大戦果をあげたことで、作成行動中の戦艦を航空機で沈めることができるという証明になり、こちらも各国の海軍の艦隊運用に大きな影響を与えた。
しかし、俺達がタイムスリップしたこちらの世界では日本が戦争を回避したため、パールハーバーもマレー沖海戦も起こらず、アメリカ及びイギリス海軍は未だに戦艦中心の艦隊運用をし、空母打撃群は持っていなかった。そのため、航空機による艦艇攻撃の有効性を知っていたアイザック達のいるドイツに一方的に壊滅させられるという事態になったのだ。




