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19.ロンドン脱出作戦

1942年1月15日8:00 イギリス ロンドン 在英日本大使館


ロンドンにある在英日本大使館では、明け方から始まったドイツ空軍による空爆のため、職員が大使館内を慌ただしく動き回っていた。1月14日のドイツ軍上陸に伴って、本国からは在英大使館から全職員の帰国命令が届いていた。しかし、想定以上に早くロンドン空襲が始まったため撤収が間に合わなかった。


「おいおい!ゲートの横に落ちたぞ!大使館も関係なしかよ!どうなってんだナチの野郎は!」


大西在英大使は窓から双眼鏡で外を覗きながら怒鳴っていた。

大西は文官にも関わらずよく鍛えられた筋肉と日焼けによってこんがりと焼けた肌のため、一見すると大使というよりは軍人かスポーツ選手のような見た目をしている。言葉遣いも荒いが名門の華族の次男で、北辰一刀流の大目録皆伝という剣の達人でもある。外務省に入省後も出世には興味がなく、曲がった事が嫌いな性格から周りから煙たがられていた。


また、大西は伏見国家公安委員長の家と親同士の親交があり、幼少期から6歳上である伏見がよく大西の面倒をみていた。そのため大西は伏見を慕っており、大人になってからも交流は続いている。その繋がりで一度、園田未来研究会(誠司の側近やシンパが集まる官民合同の非公式の勉強会)に参加した際に、その誠実な性格と優れた能力から誠司が大西を気に入り、大西も誠司の思想に共感し、意気投合してからは何度か誠司とも酒を飲むような仲になり、お互いにとって友人と言える存在になっていた。『イギリスは大西さんにしか任せられない』という誠司からの直接の頼みで35歳という若さで在英イギリス大使となった。


「大西大使!窓の近くは危険ですからすぐ離れて!」


在英海軍武官の佐久間二等海佐が叫びながら大西大使の腕を引っ張って窓の近くから離れた瞬間、爆風で飛んできた石が窓を突き破り、大西が直前まで立っていた場所にガラスの破片飛び散った。


「佐久間さん、助かったよ。ありがとう。危く全身血塗れになるところだったよ」


「いえいえ、今度から気を付けてくださいね。それにしてもこのままでは何れこの辺にも落ちてきそうですね。本国はからは何か?」


「ナチスに邦人の避難するから5時間爆撃を中止するように本国から要請したら【友好国である貴国の大使館に爆撃を行う予定はないから爆撃を中止する必要はない、ドイツ軍がロンドンに占領するまで外出は控えられよ】との回答があったそうだ。ちなみにイギリス政府からは、【貴国の在留邦人や大使館の安全を保障できないため、適宜避難を推奨する】だってよ。こんな状況でどこに逃げろってんだ!」

大西は怒鳴りながら拳で机を殴った。

事前の訓練どおり、爆撃が始まってからすぐに留学生や日系企業の駐在員が大使館に逃げて来ており、現在大使館には邦人数十名が避難している。


職員の一人が恐る恐る大西に近づいて話しかける。


「大西大使、国家安全情報局の方が面会を求めてますが、お通ししてもよろしいですか。」


「安全情報局?なら、急ぎだろうからこっちから行くわ。どこに通したの?」


「まだロビーにおります」


「わかった」


 ロビーに着くとサラリーマン風の男達8名が立ったまま待っており、黒縁のメガネをかけた細身の男が一歩前に出た。


 「大西大使ですね。私は国家安全情報局の辻と申します。後ろのは私の部下です。時間がないので挨拶は省略させていただきます。我々は園田総理の命令で大西大使と職員の救出と、機密書類の破棄に参りました。我々の掴んだ情報によると正午から3時間だけ空爆が止まります。正午になりましたら出発しますので、避難の準備をしてください。申し訳ないですが避難時に手荷物は持てませんので職員の皆さんにもそのように指示してください。機密文書の処分は我々で行いますので鍵をお願いします」


「わかった。当然ここに避難している民間人も連れていけるんだよな?」


「はい。総理からは民間人がいた場合は、任務に支障が出ない範囲で救出するように指示されております」


「避難ということであれば同盟国のソ連大使館にも連絡したいのだが、連絡しても問題ないか?」


「それについては国家安全情報局の別のチームが既にロシア大使館に到着している頃ですので

、ご心配に及びません。後ほど我々とも合流することになっております。」


「さすがに段取りが良いな。わかった、すぐに準備する。これはこの大使館のマスターキーだ、使ってくれ」


 大西がマスターキーを辻に渡すと、辻は軽く会釈してから部下の方に振り返り、部下に指示を出すと、各々が持ち場に向かって走って行った。大西もこうしてはいられないと職員を集めて正午に大使館を出発すること、荷物は持てないことを伝え、自身も機密文書の破棄を手伝った。幸いにも、ドイツがイギリスの侵攻を準備しているという情報が入ってから、大西も含め職員の家族は全員日本に帰国していたので、脱出の準備にそう時間はかからなかった。現地採用のイギリス人女性の職員も数名いたため、ロンドンを出るまでは同行するということになった。    


正午より少し前に機密文書の破棄、私物の整理、大使館の戸締りを終え、大使館内にいた全員が玄関ロビーに集まったところで、今回の脱出について辻から説明があった。

「国家安全情報局の辻です。これから皆さんとロンドンを脱出します。この辺は各国の大使館が集まる場所なので、2~3発の誤爆はありましたが、今のところ大きな被害は出ておりません。しかし、このエリアの外は酷い状況になっております。驚かれるかもしれませんが、移動中に声を出すのはやめてください。」


大使館員の一人が手を挙げて、辻が発言の許可を出す。


「それならここにいた方が安全ではないですか?」


「確かに現在はロンドン市内ではこのエリアが一番安全ですが、これから正午より3時間だけドイツ空軍の空爆が一斉に停止するという情報を掴んでおります。この機会を逃すと次に脱出する際は爆弾が降り注ぐ中を歩かなければいけないので、比較的安全に脱出できるのはこれが最後だと思ってください」


辻の回答に納得した大使館員は礼を言って列に戻った。


「では続けましょう。ロンドン市街の道路は爆弾によりあちこち穴が空いており、車での移動はできません。また、鉄道も線路が爆撃されたため使えないので、徒歩でグリーンフォードに向かいます。あの辺りはドイツ軍の空爆もなく道路も分断されていないので、そこからは予めトラックを準備して待機している我々の局員と合流してトラックでリバプールに向かいます。リバプールからは、日本の民間海運会社の貨物船に乗って日本に帰国します。最後に、皆さんには3班に分かれていただきます。まず、佐久間二佐の1班15名、大西大使の2班15名と大橋三佐の3班15名にそれぞれ私たち局員が随伴しますので、班長を中心に3つの班に分かれてください」


 辻の言う通りに3名がそれぞれ間隔を開けて並ぶと、その後ろに15人ずつの列を作って並んだ。


「ありがとうございます。それでは出発します。1班を先頭に2班、3班と2列縦隊になって私に着いてきてください」


大西達は外に出てから辺りを見渡したが、今のところゲートの一部が破損している以外には空爆前の景色とはほとんど変わった様子がなかった。

ブリックストリートを抜けてハイドパークに着くと、公園自体は普段と変わらないが、空爆から逃れたロンドン市民の姿が目立った。避難民の中には怪我人も多くいて、簡易的な救護所では医者や看護師が慌ただしく動きまわっている。これが日本で起きたらと想像すると大西はぞっとした。  


ハイドパークを北に抜けてランカスターテラスに出ると景色が一変した。左右に建っていた建物のほとんどは倒壊し、道路には崩れたコンクリートやレンガ等の瓦礫が散乱していた。

大西達は変わり果てたロンドンの光景に言葉を失っていたが、3時間後にはまた空爆が再開されることを思い出し足を速めた。通りを抜ける間に瓦礫に埋まった娘を助けて欲しいと必死に頼んでくる父親や、母親を探してほしいと泣きながら縋り付いてくる女の子など、何度も助けを請われ、大西その度に手を差し伸べるべきか、心を大きく揺さぶられた。けれど、日本に残してきた家族のことを考え、涙を流しながらもやっとの思いでウェストウェイまで辿りついた。


道路の脇に逸れて、辻が立ち止まって後ろを振り返った。


「みなさん、ウェストウェイから行けば一本道ですが、この人数で移動していると上空からは歩兵が進軍しているように見える可能性があります。なので、テラメールテラスまで行って川沿いを辿っていきます。ここからは3班に分かれて最初の班が出発してから5分間隔で2班、3班と続いて出発することにします。破壊された道路を迂回しながらここまで来たので予定よりも遅れています。以降、休憩はありませんので、そのつもりで歩いてください」


先頭を歩いていた佐久間二佐の第1班がグリーンフォードに到着するのと、ほぼ同時刻にロンドン市街の方角から爆音が聞こえ、遠くからでも黒煙が見えた。ここまで来たら市街地からはかなり離れているので空爆を受ける心配はしていないが、ドイツ陸軍も既にイギリス本土に上陸しているため油断はできない。


数分後、大西大使の第2班と途中で合流したソ連大使館の職員が到着した。大西大使とソ連大使は同盟国ということもあり、普段からランチ会やパーティーなどで顔を合わせることも多い。そのため、プライベートでも酒を飲んだり、お互いの家族を呼んでBBQをしたり等、親しい友人になっていた。二人とも普段会うときは和やかな雰囲気で話しているのだが、今日はお互いにとも眉間に深い皺を寄せ、深刻な表情で情報交換をしている。

 辻が大西大使とロシア大使の元へ行き、二人にも分かるように状況を英語で報告する。


 「お話し中失礼いたします。報告いたします。日本の第3班とロシア大使館の後続の班が空爆開始後30分が経過しても到着しておりませんでしたので、局員2名で探しに行ったことろ、ここから歩いて10分手前の地点で日本人、ロシア人含めて全員が何者かに銃殺されておりました」


 「なんだと!ここら辺にドイツ空軍の攻撃機は来てないはずだろ!その情報は確かなのか!?」


普段は温和なロシア大使が興奮のため思わず怒鳴るが、辻は特に怯むことなく話を続ける。


「おそらくはドイツ陸軍の偵察部隊と遭遇したため、口封じのために殺害されたものと考えます。ここも危険なので今すぐ出発します。全員大至急トラックに乗ってください。」


「くそっ!後続には俺の娘の婚約者もいたんだぞ!帰ったら娘になんて言えばいいんだ・・・。ナチ野郎ぶっ殺してやる!」


怒りを抑えきれないロシア大使に大西が宥めるように話しかける。


「サルマン。このことはナチ野郎に必ず思い知らせてやろう。そのためにはまず無事に国に帰らなきゃいけない。気持ちは分かるが先を急ごう。」


大西大使はサルマン大使を気遣うように背中を押しながらトラックに乗り込んでいった。

その後は特に問題も起こらず、一行は約4時間後にリバプールに到着した。


大西大使一行は、リバプールで日本企業が借りている倉庫に着いた。倉庫についてすぐに、ドイツ陸軍がロンドン市内に進攻し、現在はロンドンでイギリス陸軍と市街戦を行っているという情報が入った。もし逃げるのが数時間遅れていたら、市街戦に巻き込まれて、さらに多くの犠牲者が出ていただろう。大西大使はイギリス人の女性職員達とはロンドンを離れてから別れる予定だったが、既にイギリス南部は戦場になっており、ウェールズやスコットランドに避難したとしても、いつドイツ軍が迫って来るか分からない状況になったため、希望するものは全員日本に連れていくとの提案をしたところ、10名中8名が日本へ行くことを希望した。書類一式は大使館から持って逃げてきたので、その場で正式な就労ビザを作成して、日本に連れて帰ることに決まった。イギリスに残る2名については親戚がウェールズにおり、そちらに避難してみるとのことだったので、2名にはロン

ドンの大使館が再開した際には必ずまた働いてもらうことを約束し、休職扱いということにして2人に12か月分の給与を渡した。最後はしばしの別れを惜しみながら、大使館職員全員で彼女たちを見送った。


倉庫では皆に飲み物が配られ、ようやく一息ついたところで辻から大西大使に報告があった。


「大西大使、失礼いたします。今晩はリバプールにこの人数で宿泊できる宿の確保ができませんでした。申し訳ございませんが、今晩はこちらの倉庫に泊まっていただくことになります。食事はトラックに積んでおいた保存食がありますので、そちらを召し上がってください。明朝0800時にイギリスから日本企業の最後の貨物船が日本に向けて出港いたしますので、今回一緒に帰国する局員が明日0600時にお迎えに参ります。」


「帰国する局員って、それ以外はイギリスに残るのか?」


「はい。今回局員の7割は帰国させますが、私を含む3割についてはまだ任務がありますので、イギリスに残ります」 


「そうか・・・。ここまで本当にありがとう。君たちは俺たちの命の恩人だ。必ず生きて日本でまた会おう。その時は日本でギネスビールでもご馳走しよう」


「ふふふ。それは楽しみです。大西大使もそれまでどうかお元気で」


大西と辻は堅い握手で再会を誓い、辻も皆に見送られて倉庫を後にした。


国家安全情報局の局員に案内されて、大西大使、サルマン大使一行はリバプール港に到着した。

大英帝国が誇る世界随一の海運都市の港というだけあり、様々な国の貨物船や旅客船が停泊していたが、どの船も避難民や荷物を積み込み、急いで出航の準備を進めている様子だった。これらの船は数時間後には綺麗にいなくなるだろうが、2日後にはアメリカ海軍の軍艦でリバプール港は埋め尽くされていることであろう。


大西達を待っていたのは日本郵船の貨客船『照国丸』だった。史実ではヨーロッパで戦争が始まった際に邦人の引き揚げの任を受け、ロンドン港を出航した「照国丸」だが、出航から数時間後にドイツが設置した機雷に接触し、1939年11月21日に沈没した。

第二次世界大戦最初の日本の商船の沈没ということで、誠司がこの事故を覚えていたため沈没を防ぐことができ、しっかりと邦人引き揚げの役目を果たした。一度は日本に帰還した「照国丸」であったが、イギリスからの引き揚げの最終便として大西達を待っていた。

今回はロシア人の引き上げの役目も担っているため、ロンドンの排他的経済水域を出たところでソ連海軍の駆逐艦の護衛を受けながら北極海航路を使い、途中でいくつかソ連の港を経由して、約1か月で横浜港に到着する予定だ。

出航した船の後部デッキから遠ざかって行くリバプールの街を眺めながら、大西は大橋三等陸佐を始めとする、亡くなった大使館職員達を弔うためにも、再びこのイギリスの地に戻ってくる決意を固めたのであった。

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