(5)
「え、いま、え、」
目の前に、星野がいる。少し前までは確実にいなかった星野が。
急に現れた星野の顔と、この部屋のドアとを、キョロキョロと見比べる。
俯いていたとはいえドアが開けばわかるはずだし、そもそも開いた音もしなかった。それに一瞬前まで、絶対に、星野の声は外から聞こえてきていたのに。
どういうことだ?
俺が目を白黒させていると、
「りゅうちゃん!!」
「うわっ!」
星野が、ほとんどぶつかるような勢いで抱きついてきた。
そのまま後ろにひっくり返る。
ベットがギッと鳴いた。星野の腕が首に巻きつく。星野に抱きつかれている。そう思ったら、心臓が強く打ち始めた。正直な俺のバカな身体をぶっ飛ばしたいと思う。
「おま……なんだよいきなり!」
「りゅうちゃん、ごめん!傷つけてごめん、ほんとにごめん!!」
耳元で星野が叫んだ。つい言葉を飲み込んでしまう。抱きつかれているから顔は見えないが、星野の声には必死さがにじんでいた。
それが、「でも、」と言うなりぐじゃりと崩れる。
「おねがいだから、おねがいだから、も、『もう一緒にいない』とか……っ、言わないでぇえ~っ!!」
ぎゅうーっ…と音がしそうなほど、星野と俺の体がびたりとくっつく。
その強い力は、まるで俺を逃すまいとでもするようだ。
情けない声を上げたあと、星野はぐすぐすと鼻を鳴らしはじめた。こ、こいつ、泣いてやがる……。
「……おい」
「うっ、ご、ごめん!ごめんなさい!ごめん!」
「おい、星野…」
「ごめんりゅうちゃんっ…お、お願いだから、おれ、おれ…っ、う、うぅ~~っ」
「……」
――ああもう、と俺は頭を掻いた。
裏切られたとかムカつくとか、いろいろ思っていたのに。さっきまで、すっげー、悩んでたのに。
これだから俺はクソ真面目だと言われるんだ。
頭でっかちに悩みすぎた。俺の空想じゃない、本物の星野を見れば、自分がいかに考え過ぎていたかわかる。だってこのバカが、そんな大層なものなわけがない。
星野の嗚咽が、しんとした俺の部屋にぐずぐずと聞こえる。
星野の背中に、そっと手を回す。
少し迷ったが、しかし結局、俺はその背をぽんぽんと撫でてやることにした。ひぐっ、と引きつけたような大きな音がした。
「……!りゅ、」
「バーカ」
「……ひ…っ」
「…………泣くなよ。もー怒ってねえよ」
「……う、うぇ……っうわあああん!りゅうちゃん、りゅうちゃん、ごめんねえええ!」
「ハイハイ」
「おっ俺も、おれも、好き、りゅうちゃんのこと、だいすきぃい!!うわあああああん!!」
「ハイハイ」
わあわあ泣く星野。俺より図体がでかいくせに、まるで小さな子供のようだ。
俺はその背を、なるべく優しくなるように気をつけながら、何度も何度も撫でてやった。
仕方がない。俺はこいつのことが好きなのである。
やがて泣き止んだ星野と、ベッドの上、正座で向かい合う。
星野の顔は、眉毛の斜めになった、すごく悲しそうな、言っちゃ悪いが情けない顔である。しかも泣いたから目の周りが真っ赤で、イケメン台無しだ。いつもへらへらしている星野のこんな顔、見たことないな、と思う。
一方俺は随分落ち着いていた。取り乱した星野を見て、かえって冷静になれたのだ。冷静になれば、星野が俺を故意に傷つけるわけがないことなど、わかりきっていた。すごく思いつめたのが恥ずかしい。
まあそれについては後で弁明させるが、その前に、俺には気になっていることがあった。
「星野」
心持ち姿勢を正すと、星野もつられたように正す。いまから剣道の試合でも始まりそうな俺たちである。
「うん。なにりゅうちゃん」
「おまえ、さっき、瞬間移動しなかったか?」
これである。
さっき星野は音もなくこの部屋に入ってきた。そのうえ、そもそも思い返してみれば、先ほど淳仁は「玄関の鍵を掛けていく」と言っていたはずだ。つまり、この寮部屋内にこいつがいた、その時点でおかしかったのである。
星野の返答を変に緊張しながら待ったのは、ものの一秒ほどだった。
「うん、した」
星野はあっさりと首肯した。
「……星野、そんなのできたの」
そんなのってなんだよと我ながら思いながら言うと、星野はみっともない顔を精一杯真剣な表情にさせて、俺をまっすぐに見据えた。
「えっとねりゅうちゃん、最初に言うけど、俺、りゅうちゃんにウソ言ったこと、これまで一回も無いから」
「……ん?」
「だから、さっきのも、マジだから」
「…………んんん?」
星野の真剣な、珍しく強い眼差しが、俺を見つめる。俺もまた、星野の顔を、食い入るように見つめる。
と、不意ににょきりと、星野の頭から触角的なものが生えた。
「…………は?」
それ以外の声が出なかった。
10センチくらいの、つくしのような触角。何だこれは、とそれをよく見ようとすると、さらに今度は星野の姿が、ぱっと目の前から、消えた。
え、と思う間もなく、背後から、声。
「一回来たことある場所なら、『俺たち』は、瞬間移動できんの」
勢いよく振り向く。
ベッドの反対側の床に、星野が座っていた。目を見開く俺を見て、星野は少しだけ微笑む。その頭にはやはり、触角が生えている。
あまりの驚きに、今度はもう声が出なかった。少し遅れて、心臓がドキドキバクバクしてくる。
そんなバカな、と俺は思った。
じゃあ、「さっき言ってたのも本当」ってことは、「俺たちは」ってことは、つまり、星野は。
「…………か、せい、じん……?なの?」
「うん」
またあっさりと、星野は頷いた。触角がふよふよ揺れる。
そんなバカな。
…………マジで?