第7話 鬼の教頭
「こちらが兄のエルタです」
エルタに手を向けつつ、ティナは一礼した。
なんとなく空気を読んだエルタも、慌てて頭を下げる。
ここは王都エトワール学院、『学院長室』。
エルタとティナの前には、二人の教員がいる。
男性の学院長と、女性の教頭だ。
「ふむ」
「ほう」
温厚そうな学院長とは対照的に、教頭の眼光はギロリと聞こえそうなほど鋭い。
そうして、椅子に座っている学院長が先に口を開いた。
「エルタ殿は、あのアステラダンジョンから帰還したというのは本当なのか」
「はい、一応……。ティナが説明した通りですが」
前日、ティナは学院長へたっぷりとエルタのことを伝えている。
エルタが十年前にトラップにかかったこと。
帰還してすぐ、Aランク探索者のゴレアをぶっとばしたこと。
そして、エルタ目線では魔物に遭遇しなかったこと。
その内容を聞いた所、もはや説明することはなさそうだ。
「であれば、その見聞を生かして講師に──」
「いけません!」
しかし、学院長が正式に採用しようとしたところを、鋭い声が遮る。
声を上げたのは、隣に立っている女性の教頭だ。
「学院長。お言葉ですが、それは甘すぎます」
常に鋭い目つきに、インテリメガネ。
胸元には分厚い資料を抱えている。
いかにも“できる”教育者の雰囲気を持った女性だ。
彼女の名前は──『ビルゴ』。
「私は断じて認めませんよ」
「教頭ぅ……」
口を尖らせる学院長に対しても、ビルゴ教頭は一切引かない。
それもそのはず、ビルゴは“鬼教官”として有名なのだ。
自ら戦闘訓練を行い、これまで数々の優秀な生徒を輩出してきた。
三十代前半という若さでこの役職に就いているのも、その優秀さを買われた異例の昇進である。
「こんな者が講師など、我が校の品位が落ちてしまいます」
英雄請負人、鬼教官、武闘派など、様々な肩書きで呼ばれるビルゴ。
彼女自身の実力もまた、折り紙付きだ。
あまり大きな声では言えないが、学院の教員不足は、“甘い者を徹底的に認めない”ビルゴが一因とも捉えられる。
「では、どうしたら兄を認めてくれるんですか!」
「おいおい……」
そんなビルゴ教頭には、なぜか妹のティナが声を上げる。
よっぽど兄を講師にしたいのだろう。
「では、こうしましょう」
だが、意外にもビルゴは応えた。
ティナの意気には魅力を感じたのかもしれない。
「私との模擬戦に勝てば認めます」
「ビルゴ教頭と……!」
武闘派と呼ばれるだけあって、ビルゴも実力主義の部分がある。
そんな彼女だからこその提案だろう。
現に、教職となった今でも上級探索者として通用すると言われるほどだ。
それでも、迷わず了承した──
「わかりました、受けましょう! 兄が!」
「ええ、そうこなくては!」
「なんで?」
妹が。
★
「頑張ってお兄ちゃん!」
フィールドの外からティナが声をかける。
学院長室での一件から、エルタ達はこの『第一闘技場』へ直行してきたようだ。
「講師は給料高いよ!」
「それなら一応受けてもいい……のかなあ」
ティナと暮らすためのお金はほしい。
そんな思いがあるエルタは、務まるかどうかは後々考えることにして、今一度目の前の相手に向き直った。
「準備はよろしいですか」
模擬戦のため、黒色のボディスーツに着替えたビルゴ教頭だ。
インテリメガネはそのままだが、分厚い資料は持っていない。
代わりにさっきからビシッ、ビシッと音を鳴らしているのは、戦闘用の“鞭”だ。
彼女は教育の場でも戦闘でも、これを用いることが多いのだとか。
大半にとっては恐怖の象徴だが、一部ご褒美と受け取る者もいるらしい。
また、そんな様子を、どこからか聞きつけた学院生も見に来ている。
闘技場の二階以上は観客席になっているようだ。
「おい、あの鬼教頭が戦うってよ!」
「まじか。鬼の本気は激レアだぞ!」
「あの格好エッ……いや、やべえな!」
最高峰の学院生と言っても、まだ子どもの部分はある。
普段は見られないビルゴ教頭の本気に、期待を寄せているようだ。
「“鬼”と呼んだ者はメモしましたので、そろそろ始めましょうか」
「は、はい」
「では、このコインが床に落ちた瞬間に開始です」
そう告げると、ビルゴがコインを高くトスする。
メモされた生徒には「気の毒な……」と思いながらも、エルタも構えを取った。
そして、カァンとコインの着地音が鳴る。
試合開始の合図だ。
──と同時に、ビルゴは一気に前へ出た。
「避けられるはずがありません」
「!」
そこから繰り出されたのは──“無数の鞭”。
鞭のしなりを利用した、何十にも見える高速の打撃がエルタに襲いかかる。
そのまま、いくつかの打撃は地面を強く叩き、ドガアアアアと辺りに轟音と砂埃を起こした。
「我が校に甘い者は不要です」
「「「……っ!」」」
あまりに無慈悲と言える初手に、会場中が息を呑んだ。
こんなもの、初見でかわし切るなど不可能だろう。
──普通の人間であれば。
「お、お兄ちゃん!」
後方からティナの声が響く。
すると、それに応えるように砂埃の中から何かが聞こえてきた。
「ケホっ、ケホっ! うわ、すごい砂!」
「……!」
やはりと言うべきか、エルタは普通ではなかった。
それどころか、まだまだ余裕そうな口ぶりで、砂埃から無傷で姿を現した。
「嘘でしょ。全てかわしたって言うの……?」
「あーびっくりした。けど──」
エルタは再びビルゴへ向き直る。
「“タコっち”のパンチの方が多かったかな」
「……っ! 誰と比べてるって言うのよ!」
「うわわっ!」
エルタは全く挑発のつもりはないが、ビルゴはさらに表情を険しくする。
自分にも他人にも厳しい彼女は、一見ゆる~く見えるエルタを初手で終わらせようと思ったのだ。
だが、今まで破られたことがない必殺の一撃は、難なくかわし切られてしまった。
そんな不測の事態に動揺しているのだろう。
(って、この子……!)
そうして再び鞭を振り回すが、すぐに違和感を感じる。
「おっとっと!」
「このっ! ふざけた態勢で!」
エルタの奔放な振る舞いは、武術のカケラもない。
まるで魔物のようなめちゃくちゃな動きのはずが、攻撃が当たる気がしないのだ。
(私の力が落ちた? ──いや違う!)
しかし、魔物とは言っても、“化け物クラス”のそれである。
(私以上に、この子が……!)
エルタの中にとんでもないものを察し、ビルゴは攻撃の手を止める。
代わりに、今度は彼女から挑発した。
「避けてばかりだけど、攻撃はしてこないのかしら」
「いやでも、女性には手を出すなって……」
「これは模擬戦よ! ナメないで!」
「ひっ」
鋭い眼光に睨まれ、エルタはびくっとした反応を見せる。
"女性に手を出すな”はフェンから習った事だが、だからといってこれ以上怒られるのも嫌だ。
そうして天秤にかけた結果──エルタはぐっと腰を落とした。
「じゃ、じゃあ一つだけ……ふぅ」
「!?」
(急に雰囲気が変わった……!?)
呼吸を整えた瞬間、ずっと見え隠れしていた“化け物”の雰囲気が表へ出てくる。
今のエルタが醸し出すオーラは、化け物そのものだ。
「いきます」
エルタはアステラダンジョン最下層にて、数々の最強種族と共に過ごした。
そんな彼らを日常的に目にし、人語を話せるフェンの助けもあって、独自の型を生み出していたのだ。
それはまさに、最強種族たちの動きを完全再現したもの。
「最強種族シリーズ、そのいち──」
「……ッ!」
「【神狼の爪】」
補足すると、“最強種族シリーズ”は三人称視点の当て字で、エルタ君自身は友達が最強種族とは知りません!
エルタ君にとっては友達の真似っ子をしてるだけですね。
果たして、どんな技が飛び出すのか!