SS-1 エルタ君と鬼神さん
『“鬼ヶ山”には立ち寄るな』
エルタの一番の友達──“フェンリル”のフェンは、そう強く言っていた。
ここはアステラダンジョン最下層。
現在、エルタは十三歳だ。
最下層に落ちて四年ほど経った頃の話である。
「ねーねーフェン」
「なんだ、エルタ」
エルタとフェンは、いつも通りに寝床でのんびり過ごしていた。
そこで、ふとエルタが話を持ち出した。
「なんで“鬼ヶ山”に行っちゃダメなの?」
「うむ。鬼族はとても凶暴なのだ」
フェンは鬼族について話し始める。
エルタは知らないが、この最下層には最強種族たちが住んでいる。
だが“鬼族”は、そんな中でも戦闘民族と呼ばれ、他の魔物からも恐れられている。
さらに、その鬼の頂点──“鬼神”に至っては、怖さは計り知れない。
噂によれば、常に周囲を威圧し、全く他者を寄せ付けず、頂上でただひたすらに拳を鍛えているとか。
「ふーん」
「だからエルタ、“鬼が山”には行くなよ」
フェンはじっとエルタを見つめる。
だが、まだクソガキ感が抜けきっていないエルタは、ニヤっとした顔を浮かべた。
「えー、どうしようっかなあ?」
「ダメダメ! 行くなよ、絶対行くなよ!?」
それに焦ったフェンは、念を押して言い聞かせる。
もはやフリにすら聞こえるほどに。
「もー、わかったよ」
「ふぅ……分かってくれれば、それで良い」
フェンの計算外があったとすれば、エルタの好奇心の大きさだろう。
次の日。
「行くなって言われると、行きたくなっちゃうよね~」
好奇心旺盛なエルタは、何食わぬ顔で“鬼ヶ山”へと出かけた。
フェンにバレないようこっそりと。
「うわー、おっきいなあ」
鬼族が住む“鬼ヶ山”に着くと、エルタは思わず視線を高く上げた。
いくつもの山々が連なり、一つの巨山として形を成している。
険しい道を目で辿るも、頂上は目視できないほど遥か先だ。
地上ではまずありえないサイズの山だろう。
「これは大変そうだなあ」
そうは言うものの、フェンと過ごしてそれなりに時は経つ。
普段のかけっこや狩りから、すでに人間離れした身体能力を持っていたのだ。
「夕方には着くといいな」
よし、と気合いを入れたエルタ。
そのまま目にも止まらぬ速さで、山を駆け上がり始める。
ほとんど垂直に登っていくように。
「よいしょっと」
そうして、数時間の山登りの後、エルタは辿り着く。
“鬼が山”の頂へと。
「うわあ、きれい……!」
振り返ってみれば、そこは絶景。
普段は見上げるばかりの一面の雲は下に広がり、夕暮れのような赤い陽の光がそれらをほんのりと照らす。
天変地異が常に起こる最下層の中でも、トップクラスに入る美しさだった。
「不思議だよね」
最下層の構造は全く理解されていない。
そもそも人間はエルタしか辿り着いたことがなく、エルタも解明しようとは一ミリも考えていなかったからだ。
しかし、多くは地上と変わりないようだ。
なぜか陽の光もあれば、山や川、草原なんてものもある。
ただ、サイズ感や住む魔物、気象の変わり方が異常なだけだ。
それにすっかり慣れたエルタが感動するのだから、よっぽどの景色なのだろう。
だが、エルタは突如ぴくっと肩を跳ねさせる。
背後から忍び寄る気配に気づいたのだ。
「……!」
ここは、鬼が山の頂上。
ならば、いるのは一人と決まっている。
戦闘民族“鬼族”の長──鬼神だ。
「わわっ!」
第一印象は、赤くてデカい。
大きな二本角に、赤い肌、口からは牙が突き出ている。
だが何より目を惹くのは──体格だ。
体の作りは人間に近いが、筋肉と言い、骨と言い、まだ巨人と言われた方がしっくりくるほどのサイズである。
まさに“力の権化”と呼ぶにふさわしかった。
「あ、あの……」
「……」
鬼神は、エルタをじっと見つめている。
フェンの言った通り、他者を全く寄せ付けない圧倒的な威圧感だ。
たとえ最下層の魔物と言えど、逃げ出す者も少ないないだろう。
だが、そんな鬼神にもエルタは恐れずたずねた。
「鬼神さん、で合ってますか?」
「……」
しかし、返答はない。
口がかすかに動いて見えるが、鬼神はただ真っ直ぐにエルタを見つめるのみ。
会話に困ったエルタは、景色を指差した。
「えと、一緒に見ますか?」
「……」
だが返事がないため、やはり会話が続かない。
そんなところに──
「エルタァ!」
「うわっ!」
叫ぶような声と共に、エルタは後ろへぐいっと引っ張られる。
「大丈夫か!」
「……!」
振り返った先には、駆けつけたフェンがいた。
しかし、フェンの様子に、エルタは目を見開く。
神狼ともあろう存在が、焦った顔を浮かべていたからだ。
「グルルルル……」
最下層の中でも、最上位を張れるフェンが警戒をしていたのだ。
鬼神からあふれ出る圧倒的な威圧感に対して。
そして、フェンは声を上げる。
「あれだけ鬼ヶ山には近づくなと言っただろう!」
「ご、ごめんなさい」
「だが話は後だ。とにかく下がっていろ!」
フェンはじろっと鬼神へ目を向けた。
力が入った脚は、すでに臨戦態勢のようだ。
「鬼神よ、やり合う気はない。ここは退かせてもらうぞ」
「……」
「良いのだな?」
「……」
やはり返答はない。
フェンはその態度を了承と捉え、背を向けようとする。
ほっと一息をついて退こうとしたしたのもつかの間。
好奇心少年が横から飛び出して行った。
「鬼神さーん」
「エ、エルタアアァ!?」
エルタが鬼神の方へタッタッと走って行ったのだ。
「ちょちょちょっ!」
フェンは慌ててエルタを連れ戻そうとする。
だが、エルタは何かを感じているようだった。
「鬼神さん、やっぱり何か話してるよね」
「な、なに!?」
エルタは、鬼神にそーっと耳を近づけていく。
攻撃される様子もないので、フェンも恐る恐るエルタに続いた。
すると、本当に声が聞こえてくるのだ。
「ヒサシブリニ、マモノミタ」
「「……!」」
“久しぶりに魔物見た”。
確かにそう言った。
人間を知らない鬼神は、エルタも魔物だと思ったのだろう。
さらに、よーく見てみれば、鬼神の顔も若干嬉しそうである。
「ズットヒトリダッタカラ、ウレシイ」(ずっと一人だったから嬉しい)
「本当に! 僕も会えて嬉しいよ!」
そうして、エルタと鬼神は握手を交わす。
その光景は、今までどんな魔物も成し遂げられなかった“偉業”だった。
また、隣のフェンはへなへなーと力が抜けていく。
(ま、まさか、鬼神の正体とは……)
鬼神の正体は──ただの“恥ずかしがり屋”だったのだ。
生まれ持った見た目のせいで、鬼神は強く恐れられた。
その姿形は、同じ“鬼族”でも怖がるほどに。
そうする内に、勝手に持ち上げられて“鬼神”と呼ばれたのだ。
寡黙というのは、ただ声が小さかっただけ。
拳を鍛えているのは、友達がいなかっただけ。
これが、鬼族のトップ──“鬼神”の真の姿であった。
「そ、そんなバカな……」
「でも、ごめんねフェン。言いつけを破って」
「フッ、そんなもの今更だろう」
ここまでくれば、もはや怒る気など起きない。
むしろエルタの好奇心に感謝しているほどだった。
(そういえば、エルタと出会った時もこんな感じだったか……)
それから、フェンはふとエルタと出会った時の事を思い出していた。
だが、それはまた今度のお話。
「オレ、トモダチホシイ」(俺、友達ほしい)
「僕も! じゃあ友達になろうよ!」
こうして、エルタは新たに“トモダチ”の輪を広げる。
その後、二人はたまに山籠りをする仲となり、最強の拳の扱い方を教えてもらったりするのだった。
そして、“人間のエルタ”という、新たなる強者の名が最下層に広がることにもなったという──。
SSはもう一つ、本日19時過ぎに投稿します!




