3-5 旦那様
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「旦那様、お夕食をお持ちしました」
襖が開き、膳を抱えた紅悠が部屋に入って来る。
「ありがとう。そこに置いといてくれ」
言いながら、律は凝り固まった肩をこきこきと回す。
王宮から戻ってからもずっと、部屋で書類仕事に追われていた。そんな律の様子を見てか、紅悠がおずおずと口を開く。
「あの、旦那様…今日も、遅くまでお仕事を?」
訊かれて、律は。
「ああ…王宮で、また新しい仕事を頼まれてしまってな」
「そうですか…ご無理はなさらないでくださいね」
律にとってはこれが日常なので、無理をしているわけではないのだが…きょとんとしているうちに、紅悠は静かに襖を閉めて、台所へと戻っていった。
閉じられた襖の前で、律は机の横に膳を引き寄せると、夕餉の傍ら再び書物と向き合うのだった。
それから。
襖の向こうから紅悠の声が聞こえたのは、もうすっかり夜も更けた頃のことだ。
「失礼します。旦那様、お夜食をお持ちしたので、よかったら召し上がってください」
「…夜食?」
目をぱちくりさせていると、紅悠が手前に膳を置く。
小さめの握り飯が二つと、吸い物が乗っていた。
「不要であれば、お下げいたしますので…」
「いや。折角だから、いただくよ」
律は早速、握り飯を一つ手に取る。実は、いつもこの時間帯になると小腹が減っていたのだ。
緊張の面持ちで紅悠が見守る中、律が握り飯を一口頬張る。
「…やはり、美味いな」
口の中に広がる優しい風味に、思わず頬が緩んだ。
その瞬間、紅悠は。
(笑った…)
一瞬の驚きの後、すぐに嬉しさが込み上げてくる。それは、紅悠がこの屋敷に来てから初めて見た、律の笑顔だった。
つられて笑みを浮かべる紅悠に、律は。
「ありがとう。其方はもう、部屋で休んでくれ」
「分かりました。では、お先に休ませていただきます」
紅悠が戻っていった後、夜食は忽ちのうちに律の腹の中へと吸い込まれていった。
机に向き直り、一つ伸びをしてから。
(…どれ、腹も満たされたし、一気に仕上げてしまうとするか)
律は、再び筆を執った。
その頃、自室に戻って布団にくるまりながら、紅悠はぼんやりと天井を眺めていた。
(少しは、旦那様のお力になれたかな…?)
今も律は、仕事机に向かっているだろうか。
結婚して、まだ二日目の夜。律のことは相変わらず分からないことだらけだが、優しい人なのだろうと思う。異種族出身の紅悠を邪険にすることもなく、料理も美味しいと言って食べてくれるし、礼も伝えてくれる。
それにしても龍族の王家とは、こんなにも忙しいものなのだろうか。律のために紅悠に出来ることは少ないだろうが、それでも妻となったからには、精一杯支えていきたい。
(明日はもっと、旦那様が笑ってくれるといいな…)
部屋にはそのうち、規則正しい寝息が響きはじめるのだった。