落第魔術師
俺は焦っていた。
魔法文字は読める。発音も問題ない。だけど魔法文字の綴りが書けない。このままでは退学処分を受けてしまう。背に腹は代えられないと、魔術書を見ながら左腕に魔法文字を書き写し、ローエンド導師監修の元、《灯明》発動の課題をやり遂げた。
そうして、すぐさま腕に書いた魔法文字を洗い流し出した。が、洗い流しているそのさなかにその文字が、筆順に沿って這う虫のように蠢き、激痛に襲われ昏倒した。
「エワロズ君、いったい何が起きたのか、説明願えるかね?」
俺が意識を取り戻したのは、それから三日後で、
「不正行為については何も問わない。私が知りたいのは、これだよ」
ローエンド導師に指差されたのは、腕の魔法文字で、
「君のその左腕に描かれた魔法文字が、葉虫が喰い進む様ように蠢き続け、その動きが止まったのは今朝になってからなのだよ」
インクで書いたその魔法文字は、すっかり刺青状になっていた。
「数多くの魔法を研究し、それを習得し続けている私でも、このような状況を見るのは初めてのことなのだよ」
ローエンド導師。長命で知られる妖精族の出でありながら、世間一般に知られる文字を収集し、魔法と呼ばれる術をすべて中級程度まで習得し、全魔法師の称を抱く人物だ。
「……導師、親父から聞いているかも知れませんが、まずは見ていただけますか?」
俺は上半身を起こし、刺青化した魔法文字に指を当て、綴り順に沿って指を滑らした。「魔法発動動作を行うことなく、《灯明》が発動……」
「……俺、魔法文字に指を滑らすだけで、その魔法が使えるのです」
約一年前のことだ。暇を持て余した俺は、父の書斎に忍び入り、机の上にあった魔術書を手に取った。
「書に何が書いているのか、さっぱり分かりませんでした。けれど、文字に指が触れた瞬間、その魔法文字の発音が頭の中で聞こえ、その綴りに沿って指を滑らすと、その魔法文字の意味が分かってしまい……」
書斎に《火炎弾》を放ってしまった。
「……幸い小火ですんだのですが、親父に事の次第を問われ、翌日には、ローエンド導師の元で魔術を学ぶことを命じられました」
「君の父上から、魔法動作なしで魔法を発動させ、小火を起こしたと聞いていたが、《着火》ではなく《火炎弾》を発動させたのか」
《着火》は初級の、《火炎弾》は中級の始めに覚える魔法で、通常、魔法文字を指でなぞるだけでは《着火》ですら発動しない。
「……一日でも早く、初級魔法が使えるようにならないといけないのに、どんなに勉強しても文字が綴れず、魔術書を見ながら腕に写して、《灯明》発動課題に挑んだ次第であります」
導師はしばし沈黙の後、語り出した。
「……ある少数部族に、《強化》や《破邪》など、個人対象の魔法文字を意匠化した刺青を施した戦士が存在し、ひと月程生活を共にしたことがある。エワロズ君、君の刺青化した魔法文字はそれに近い」
全魔法の称を抱く導師に、親父自ら俺を弟子にと懇願したのは、俺の魔法発動に似た事例を見出す為だとようやく理解した。
「……君は《火炎弾》を放ってしまったとき、君はどう思った?」
「恐いと思いました。でも俺はそんな魔法とうまく付き合う方法を学びたいです」
「……ほぅ」
「大導師に魔法発動を封じ、ただの人になるよりも、攻撃魔法を発動させてしまう危険回避を学び、また、他の文字で同じことが起こりえるのか試し続けたいのです」
「その口ぶりだと、魔術寮で主に教える魔法以外の、文字に表せる魔法と呼ばれる初級魔法が発動するかどうかは、すでに試した。そう思っていいのだね?」
「……はい」
導師は常日持ち歩いている小さな羊皮紙の束に様々な文字を書き、それを指でなぞるように言われ、俺はそのすべての魔法を発動させた。
「……やれやれ、どうやら君は私の助手に相応しい人物だと云わざるを得ないね……」
導師のその目は好奇心に溢れていた。
「……ところでエワロズ君、君の父上の書斎に忍び入ったと言っていたが、その戸には鍵がかかっていたのでは?」
鍵開けの仕草をしながら問いかけられ、
「君の退学は保留と上には伝えておこう。私の助手として君を任命する前に、裏ギルドで古代遺跡調査の技をしっかり磨いておいで。魔術師の修行はそれからだよ」
俺の手癖の悪さも露見されてしまった。