初夏の森にて #3
「妹に何か問題があるのか?」
女好きのデルクが新しい森林管理人の若い男について話し始めた時、真っ先に妹の事を言い出さなかった事から……
おそらく、その妹というのはあまり器量が良くないのだろうとキースは察していた。
若い女性で少し美人と見れば、恋人が居ようが人妻であろうがおかまいなしにすぐに口説き出し、それどころか実際に手を出しては、良く妻のテレザを激怒させているのが、デルクという男だった。
特に、デルクの部下である森林管理人達は彼に頭が上がらないため、彼らの集落では、たまにデルクによる女性問題が起こる。
森や狩りの事に精通しているのはもちろん、気さくで、統率力があり、キースへの忠誠心も厚いデルクだったが、この女好きな性分だけは困ったもので、キースも頭を悩ませていた。
「それが、顔に酷い火傷があって、とても人には見せられないとかで、ずっと布を顔に巻いて過ごしてるんですよ。こう、グルグルッとね。何度か森の小屋に様子を見に行った時も、いつも顔に布を巻いてましたね。」
「火傷が……そうか。若い娘でそれはさぞ辛い事だろう。人目の多い村里に住めば、心ない噂をする者も居るかもしれないしな。しかし、だからと言って、ずっと森の奥にこもったままというのも不憫な話だな。」
同情するキースに、デルクは、慎重に安全を確認しながら少し先を歩きつつ、話を続けた。
「なんでも、戦に巻き込まれたそうですよ。ブルーハ王国、いや、今は皇帝だから、帝国でしたっけね? あの辺りでしょっちゅう戦が続いてるでしょう? どうやら、その時にケガを負って命からがら逃げてきたそうです。まあ、近頃では珍しい話じゃありませんやね。さすがに、ここシュメルダまでやって来る者は、滅多に居ませんけどねぇ。」
「ふむ」と、キースは、急な斜面をデルクの後を辿って岩に足を掛けて登りつつ、少しばかり苦い表情を浮かべていた。
□
ほんの数年程前に、国王が「皇帝」を名乗り帝国となったブルーハ帝国は、ここハンズリーク王国のすぐ隣の国家だ。
しかも、キースの治めるガーライル領と接していた。
とは言え、ブルーハ帝国とガーライル領の国境地帯は、一年中雪に閉ざされた険しい山岳地帯が横たわっている。
山間の峡谷をたどれば、ハンズリーク王国に来る事も可能だが、その唯一の経路には何重にも関所や砦が設置されていて、厳しく人の出入りを監視していた。
ここ近年、特に今皇帝を名乗っているゲレオンという男が国家元首となってからは、ブルーハ帝国の好戦的な態度はより過激になってきていた。
フメル平原と呼ばれる雨の少ない乾いた土地は、元々は、民族の違いにより様々な小国が林立してたのだったが、その中の一国であったブルーハ王国は、交易で富を得ると軍備に力を入れるようになり、やがて次々に近隣の諸国をその領土に取り込み始めた。
その勢いはとどまる所を知らず、小国群を巻き込んでフメル平原の戦乱の時代が始まった。
そうして、数十年に渡り、ブルーハ王国はみるみる版図を広げ続けていった。
ブルーハの元に下らない国家に対して、かの国は強行姿勢で臨み、最悪戦が起こる事となる。
そして、いつしか軍事国家となったブルーハは、連戦連勝を続け、今やフメル平原のほとんどを領土に飲み込んでいる状態だった。
そろそろ、小国が林立していたフメル平原を食い尽くし、豊かな資源のあるこのハンズリーク王国へ侵攻の隙をうかがっている、とのもっぱらの噂であった。
そのためこのハンズリーク王国においても、ブルーハ帝国への危機感は近年高まりつつあった。
帝国と近い位置にあり、隣接してもいるキースの治めるガーライル領は、特に警戒を強めている地域だった。
国境騎士団の団長も兼任しているキースは、国王から注意を怠らないようにと指示を受け、もし紛争が起こった時の事を想定し、いっそう真剣に軍隊を鍛えていた。
とは言え、未だ領土の広さ、経済力、軍事力共にバンズリーク王国の方が格段に上であり、また、国境地帯に横たわる山脈越えが困難な事から、さすがのブルーハ帝国も、今までのように簡単に力押しで攻める訳にもいかず……
表面上は、友好条約を結んで、こちらには攻め来る気配を見せてはいなかった。
しかし、相手は、あの野心と暴虐で悪名高いブルーハ帝国である。
キースも気を抜かず状況を見守る構えだった。
「……確かに、かの帝国が起こした戦によって、幾つかの国が見るも無残に滅ぼされたと聞く。直近では、一年半程前に、アルドナド王国の都が大火によって壊滅させられたとか。アルドナドは、ブルーハの言うままに、王女を側室に出してまで和平調停をしたというのに、それから三年も経たずに攻め込まれてあっという間に落とされたという話だ。もはや、あの帝国とは、人間同士として話が出来る状態にないのだろう。」
「ここにやって来た新しい森林管理人の兄弟も、そのアルドナド王国の大火に巻き込まれたのだろうか?」
「いやぁ、そこまでは聞いていませんね。俺はどうも、戦争の事は詳しくなくって。」
デルクの口ぶりからして、彼はまだあまり危機感をいだいていない様子だった。
ブルーハ帝国が猛威を振るっている山脈の向こうのフメル平原の小国群からは、年々このハンズリーク王国へと逃げ延びて来る人々が増えていた。
しかし、難民は人口の多い街に居着く者が多く、辺境のシュメルダ地方にまでやって来る事はほとんどなかった。
このシュメルダの、山々に囲まれた小さな庭のごときの穏やかで美しい景観と相まって、未だ戦といった物騒なものとは縁遠く思えるのも無理はなかった。
デルクだけでなく、この地に暮らす人々にとっては、帝国の脅威も対岸の火事に過ぎないのだろう。
だが、ガーライル辺境伯であり、国境騎士団の団長でもあるキースには、今のブルーハ帝国の傍若無人振りは人ごとではなかった。
(……なんとしても、我が領土の平和は守らねばならない。……)
小鳥の囀りが風と共に渡りゆく春先のごとき初夏の森の美しさを目に焼きつけながら、キースは心の中で念じるように強く思っていた。