夏の市 #1
「こんにちは、テレザ。」
「キース様! デルクも! いらっしゃいませ!」
キースは、初めてテレザの働く宿場町の食堂に来店してから、時折やって来るようになった。
昼の混雑がやや落ち着く辺りの時間帯で、必ずデルクを伴っており、ゆっくりと食事をして、食堂が夕食の仕込みで一旦閉まる頃合いに帰っていく。
初回と同様に、量は多くは食べないものの、代金と共に置いていくチップの額が他の客に比べると破格だったため、宿屋の女将さんからは「特別な客」として丁重な扱いを受けていた。
「綺麗なお顔立ちだけれど、一体どこのお坊っちゃまなのかしらねぇ?」
「キース様は、あまりそういう事は聞かれたくないみたいですよ、女将さん。」
「あ、あら、そう!」
一般的な庶民の服装ながらも、こざっぱりとしていて品があり、いつも腰に剣を佩いている事から、キースの身分を知らない女将は不思議そうに首を傾げていた。
どこかの貴族の家に代々仕えている騎士の家系の家の息子、といった想像が無難だろうか。
詮索好きの女将は、テレザが釘を刺すと、ハッとなって、それ以上は何も聞いてこなかった。
女将としては、変に勘ぐって上客を手放したくなかったのだろう。
一方でテレザは、料理を配膳をしつつ、キースとデルクの話に付き合ったり……
昼食の時間帯の混雑が落ち着いて休憩に入ると、そのまま三人でぶらつきながら、宿場町をあちこち紹介して回ったりした。
シュメルダでは人口の集中している町とは言え、端から端まで二十分もあれば通り抜けられてしまう。
そんな小さな町であっても、キースは興味深そうに二人の話に耳を傾け、テレザもデルクと共にキースに付き添って過ごした。
こうして、歳の近い三人で居ると、若い事もあってすぐに意気投合し、歳の近い友人と楽しく遊んでいる気分になるのだが……
テレザはキースと親しくなっていっても、彼が本当はこの地の領主である辺境伯の息子であり、自分とは身分が天と地程も違うのだという事をいつも忘れずにいた。
キースと初めて会った日の夜に、デルクに忠告された通り、デルクと共にキースと話を弾ませながらも……
心の奥底では、固く一線を引くように心がけていた。
□
それは、夏の終わりも近づいたある日の事だった。
その日、テレザはデルクと共に、キースと一緒に市に行く約束をしていた。
テレザの働く宿場町では、町外れの広場で月に一度市が開かれるのだ。
市には、行商人達だけでなく、近隣の住民も参加して、手製の民芸品などが数多く屋台に並べられる。
市の人出を見越して出店も立ち、宿場町に滞在中の旅人からこの地に住む者達まで、老若男女多くの人間が集まってきて、賑やかな一日となるのが恒例だった。
キースは、その市の噂を聞いて、「ぜひ行ってみたい!」と顔を輝かせていた。
(……お祭りが楽しみなんて、キース様も、まだまだ子どもらしい所があるのね。フフ。……)
二つ年上である事もあり、微笑ましい気持ちでそんなキースの様子を見ていたテレザだった。
その日も、キースはいつものようにデルクと共に食堂の昼食が終わる前に店を訪れ、いくつか料理を注文しては全ての皿を綺麗に食べ終えた。
ちょうど食堂が夕食の仕込みで一旦休みになる頃合いに会計をして店を出る運びとなり、その時に、いつもたくさんのチップをくれる上客の機嫌を取ろうと挨拶に来た女将さんと少し話をしていた。
「今日は、この町の外れに市が立つと聞いたので、とても楽しみにしていたんです。」
「まあ、そうなんですか。では、これからデルク様とテレザと一緒に出店を見にいらっしゃるので?」
「はい、その予定です。……女将さん、今日はいつもより長くテレザさんをお借りしても構いませんか?」
キースは、そう言うと、持っていた財布から、いつもしているようにテーブルの上に食事代に加えてチップを出して置いたが、この時のチップはパッと見ただけで普段の二倍の量があった。
おかみさんは、すぐにその意図を察したらしく、慌ただしくテーブルの上の貨幣を掻き集めながら、嬉しそうにペコペコ頷いていた。
「あ、あらあら、まぁ、こんなに!……え、ええ、もちろんですよ!……テレザ、もう上がっていいよ。キース様達と楽しんでおいで。アンタはまだ若いんだから、遊べる時に遊んでおかないとね。これもいい経験さね。そうそう、帰りは少し遅くなっても構わないよ。夕食の時間に間に合わなくてもいいから、ゆっくり市を回っておいで。」
「あ、は、はい、女将さん。ありがとうございます。」
つまりキースは、テレザが食堂で働く分の賃金に見合うだけのチップを、いや彼女の時間給よりずっと多い量のチップを女将さんに渡してテレザの自由時間を増やしたのだった。
その時は、長時間店を抜けて遊びに行く事を許可してくれた女将さんに対して反射的にお礼を言ったテレザだったが、本当に礼を言うべき相手はキースである事は分かっていた。
その後、テレザは宿の一角にある従業員用の粗末な自分の部屋に戻って、服を着替えた。
食堂の看板娘らしいエプロンを外し、以前デルクがプレゼントしてくれたよそ行きの服に着替える。
邪魔にならないように一つにくくって結い上げていた栗色の長い髪も解き、手早くも丹念に櫛で梳かして、これもデルクから貰った髪飾りを飾った。
最後の仕上げに、同じくデルクが買ってくれた二枚貝に入った口紅を、この田舎ではとても高価で貴重なものなので、そっと小指の腹に掬って薄く唇に乗せた。
それだけでも、テレザの元々目鼻立ちのはっきりとした華やかな美貌と十八歳という若さの輝きにより、パアッと花が咲いたように鮮やかな印象となった。
「テレザ! 良く似合ってるな!」
テレザが店の裏手で待っていたデルク達の所に駆けつけていくと、デルクは眩しそうに目を細めて彼女を見つめてきた。
どこかやんちゃな少年のような印象の抜けないデルクの瞳が、熱を帯びてうっとりとこちらを見ていた。
自分の気持ちを隠す事なく、まさに目は口ほどに物を言うという諺通り「好きだ」と視線で真っ直ぐに訴えてくる、そんな彼の素直さと情熱が、テレザは好きだった。
デルクとしても、自分の贈ったもので自分の恋人が美しくなるのを見るのが嬉しいのだろう。
「とても美しいね、テレザ。……フフ、デルクにしては、なかなか贈り物の趣味がいいな。」
「俺にしてはって、どういう意味ですか、キース様?」
「フフ。お世辞でも、褒めてもらえて嬉しいですわ。」
「お世辞なんかじゃないさ。僕は常々、食堂で元気に働いているテレザの姿を見て素敵だと思っていたけれど、こうしてお洒落をしている姿も、またとてもいいものだね。女性はやはり、服や髪型でずいぶん印象が変わるなぁ。本当に美しいよ、テレザ。」
「……あ、ありがとうございます。……」
テレザの身につけているものの多くがデルクの贈り物である事を見抜いていたらしいキースに、にこやかな笑みでそう言われて、テレザは思わずカアッと体が熱くなっていた。
恋人のデルクには、彼が口の上手い軽い男である事もあって「綺麗だ」「好きだ」と言われて慣れている所があったが……
キースのような真面目で清廉潔白な美少年に真っ直ぐに褒められると、ドキドキしてしまう。
「さあ、行こう。」
「あ! キース様、さっきのチップの事も、ありがとうございます。おかげでゆっくり出来ます。……で、でも、あんな大金、なんだか申し訳なくて。……」
「気にしないで、テレザ。今日はぜひ君と一緒に市を見て回りたかったんだ。僕の我儘に付き合ってもらって、こっちこそお礼を言わなくてはいけない。……デルクはどうも、この手の案内役には向かなそうだからね。」
「そ、そんな事ありませんって! 俺、必ずお役に立ちますから! キース様ぁ!」
慌てるデルクの様子に、思わずキースとテレザは笑い声を漏らし……
そうして三人は、楽しい雰囲気のまま町外れへと向かって歩いていった。




