初夏の森にて #2
「私にとっては、こうやって森の中で過ごす時間はとても貴重なものなんだよ。シュメルダまで来て町で遊びたくはない。デルクは毎日美しい自然の中で過ごしているから、この素晴らしさに気づかないんだ。」
「それを言うなら、キース様だってそうでしょう? 華やかな王都や領都で暮らせるなんて、俺にとっちゃあ、羨ましくってたまりませんよ。だって、ほら、ヘヘ……大きな街には、いい女もいっぱい居るんでしょう? キース様なら、どんな女だって選びたい放題だ。」
「……私は、今はとてもそんな気持ちにはなれないよ。忙しい日々の仕事に追われるばかりだ。」
「あらら! キース様、まだ三十六歳で枯れるのは早過ぎですぜ! 昔は俺と一緒に良く町の娼館に行ったじゃないですか!……まあ、奥様と結婚されてからは、さっぱりでしたけれども。」
「昔の話はやめてくれ。あの頃は私も青かったんだ。誰だって、あの年頃はそういうものだろう?」
キースは、遠慮なく私生活に踏み込んでくるデルクに閉口し、少し真面目な口調に変えて話を逸らした。
「ところで、私が来ていない間、この森周辺に変わりはなかったか?」
「いえ、特に何もありませんよ。」
領主として、ガーライル家当主として、自分の領地内の様子を尋ねたキースだったが……
昼過ぎからこれまで、狩りのついでに自ら森の中を散策してきて、この地の自然が乱れた様子は全く感じられなかった。
そのため、本来ならもっと早くデルクに、領主としての責務である質問を投げかける所を、今の今まで忘れていたのだった。
森は、幼い頃から知っている姿のままに、厳しくも美しく、また、森閑として、人の気配は一切ない。
デルクの返答を待つまでもなく、キースは安心しきっていた。
すると、ふと思い出したというように、デルクが呑気な口調で言った
「あ! そう言えば、新しく住人が増えたんでしたっけ。なかなか弓の腕が良かったので、契約をして、今はこの森の管理の一部を任せていますよ。」
「新しい管理人か。……フム。一度会っておいた方がいいかな。帰りにお前の家に寄ろう。」
「いえいえ、それが、ちょっと変わった男でしてね。年の頃はまだ二十代半ばなんですが、無口って言うか陰気って言うか。管理人達の集落でなく森の中にある小屋に住みたいって言うんで、許可しました。普段はずっと森の中に居て、主に自分で狩った動物を食べて過ごしているみたいですよ。何日かに一度は、狩りの獲物を土産に俺の所に顔を出してます。」
「ふうむ。」
「ああ、もちろん、ここは領主様の森だという事は、口を酸っぱくして言ってありますよ! むやみに動物を取り過ぎないようにってね。まあ、その辺はちゃんとわきまえているようで、狩るのは自分達で食べる分だけで、毛皮や肉を他のものと交換する時も、ちゃんと俺の所に持ってきています。勝手によそで売りさばいている様子はないです。」
「いやぁ、何度か森の見回りがてらヤツの家に寄りましたけど、それはもう、本当に質素な生活でしたね。まだ若いってのに、まるで世捨て人みたいな感じでしたよ。」
□
デルクが長を務める、シュメルダ地方における森林を管理する者達は、現在およそ十四、五人といった所だろうか。
それぞれの家族を入れると、五十人近くも居た。
彼らは、森の麓のデルクの家の周辺に住んでいる者がほとんどだった。
一番大きなデルクの家を囲むように、森の入り口付近に彼らの住む家が密集して建っている。
中には宿舎もあり、主に独身の男達はそこで共同生活を営んでいた。
結婚して家族が出来ると、宿舎を出て自分の家を建てて住むという流れである。
その頃には、仕事にも慣れて給金が上がっているため、一戸建てを持てるという理由もあった。
そんな、ガーライル家の狩場でもある森林を管理する者達は、長のデルクを中心に、小さな集落を形成していた。
森林管理人達は、定期的にガーライル家の所有する広大な森の中を見て回り、不審な者が入り込んでいないか、また、生態系が乱れていないかを調べ、もし問題があれば領主であるキースに報告するのが仕事だった。
密かに住み着いていた盗賊を捕まえたり、増え過ぎた猪を狩ったり、麓の村々から上がってくる猿や熊などの森をすみかとする動物の被害に対処するのも彼らの責務だった。
また、森で動物や鳥を狩るのには、彼らの許可が必要で、肉や毛皮だけでなく、小鳥一羽や魚一匹でさえ、無断に取る事は固く禁じられていた。
シュメルダ地方の森は、そこに生きる動物も含めて全てガーライル家の財産であり、勝手に森で狩りをする事は、領主の物を盗む行為になるからだった。
代わりに、農民達は、自分達が育てた農作物や作った酪農製品などを持ってきて、森の動物の肉や毛皮と交換してもらっていた。
物々交換が主だったが、時には貨幣で売ったり買ったりという事も行われていた。
そうした森林管理人達が森で狩った動物の売り上げは、管理人達の長であるデルクが管理し、領主であるキースに収める決まりとなっていた。
そして、キースからは彼らに対して、決まった額の給与が支払われるのだが、働き振りによってはその額が上下する事もあった。
デルクは、森林管理人達をまとめ指示を出す役割と共に、彼らの能力を見て雇用したり解雇したり、給与の査定をする役割も負っていた。
キースの治めるガーライル領は広大で、シュメルダ地方はその一地方に過ぎない。
そのため、各地にこうした様々な監視役を置いて、彼らに一定の権限を与え、自身の代わりに管理を任せているのだった。
デルクは、王都や領都に住まう都会の人間からすれば、一介の田舎者だが……
シュメルダ地方においては、領主直々に雇われた重要人物の一人であり、この地の名士として名が知られている人間であった。
□
「森の小屋に一人で住むとは、ずいぶん変わった男なのだな。」
「あ、いや、妹と二人で暮らしていますよ。」
「妹が居るのか? 兄が二十代半ばなら、妹もまだ若いだろうに。こんな森の奥の暮らしで、いろいろと不便はないのだろうか?」
「あー、それは……むしろ、あの妹のせいで、兄貴が森の奥で人目を避けるように暮らそうと思ったのかもしれませんぜ。」
デルクは、いつもは気さくな笑顔の浮かんでいる日に焼けた顔を、珍しく曇らせていた。