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緋と金と灰  作者: 綾里悠
<緋の章>
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初夏の森にて #1


(……やはり、この季節の森はいい。……)


 キースは、額にうっすらと浮かんだ汗を手の甲で拭った。



 キース・ガーライルは、自身のガーライル領にある別荘に滞在していた。

 普段は、領都にある屋敷で、自領の政に専念するかたわら、領地を見回ったり、国境地帯の騎士団の指揮をしたりと忙しく立ち働いているキースであったが……

 毎年この時期になると、決まって別荘を訪れていた。


 別荘は領都から馬車で三日、馬を飛ばせばなんとか一日半で着く距離にある。

 その一帯はシュメルダ地方と呼ばれ、山に囲まれた高地にある盆地で、夏はその特有の冷涼な気候が避暑地として好まれている。

 木材の得られる森林の他、山がちな斜面には果樹園が多く、平地は野菜と穀物が植えられた農地、また、牛や羊などを放牧する草地が広がっていた。

 秋の半ばから春の半ばまで、長い間雪に閉ざされる事もあって、決して経済的に豊かな土地柄と言えなかった。

 しかし、万年雪をいただいた青き山脈に囲まれる美しい自然は、ガーライル領でも指折りのものであった。

 豊かな森と、清らかな水の流れる河、いくつもの澄んだ湖を要するこのシュメルダ地方は、「ガーライルの宝石」とも称されていた。

 小高い丘の上に建つ別荘から見える、箱庭のような平原の只中を澄んだ水を湛えた河が緩やかに蛇行しながら流れていく景観を、キースはとても気に入っていた。


 それは、今は亡き祖父や父に連れてきてもらったという幸せな思い出もあったためだろう。

 シュメルダ地方の短い夏に、祖父や父はキースをこの地の別荘に伴ってきては、森では狩りを河では釣りを教えて、大切な家族の時間を過ごした。

 そんな郷愁にも似た思い入れもあり、父が思わぬ病気で他界し、三十そこそこの若さでガーライル辺境伯となってしまってからも、キースは毎年欠かさず、このシュメルダ地方の別荘を訪れていた。



 今回も、多忙な仕事の合間を縫って別荘にやって来たキースは、着いたその日に、古くからの友人を伴って森に狩りに向かった。


 シュメルダ地方は、領都や王都に比べると、ひと月は春の訪れが遅い。

 向こうではもうすっかり緑の葉が生い茂っていたが、こちらの山中では、未だ枯れ色の中に透き通った新芽が吹き出したばかりだ。

 空気も冷ややかに澄み渡り、所々に春の花が咲き乱れている。

 訪れが遅い分、春はいちどきにやって来て、低地では順々に咲いては散る花々が、ここでは一斉に咲く様が見られる。

 まるで、他よりも短い時間の内に、春と夏の美しさと煌めきを凝縮したかのようだった。


 そんな春先のごとき初夏の森の中で……

 大きな岩に大木の根が絡みつき複雑な凹凸を形造る斜面を、さすがに馬で進む訳にはいかず、キースは供に連れた幼馴染の男と二人きり、背に弓矢を負い、腰にナイフと剣を提げて、徒歩にて進んでいた。

 木々の間に見え隠れるす渓流を左下方に捉えながら、慎重に歩んでゆく。


「今日の狩りはダメですね、キース様。山鳩一匹捕まりゃしない。」


 キースの前を行くデルクは、もう何度目か分からないぼやきを漏らした。

 この、焦げ茶色の髪を短く刈り上げた男は、代々続くシュメルダ地方の猟場管理人の家系であり、現在はその当主であった。

 今でこそ、その下に何人もの部下が居て、ガーライル家の持つ広大な森に不審な者が立ち入っていないか、動物をはじめとした生態系が乱れてはいないか、常に目を光らせる管理人達の長を務めているが……

 昔は、ごく普通のわんぱくな少年で、キースと歳も近かった事から、まるで兄弟のように二人でこの森を駆け回って遊んだものだった。

 その親交は、大人になって身分の差をわきまえるようになってからも続いていて、キースを名前で呼ぶ事を許されている数少ない庶民であった。


「そろそろ日も暮れる時刻ですぜ。今日はこの辺にして屋敷に戻りましょうよ。」

「勇んで出てきたというのに、手ぶらで帰っては格好がつかない。もう少し粘ってみよう。」

「こんな辺鄙な山の奥が、そんなに楽しいものですかね? 今から町に出て、女を呼んでパーッとやる、なんてどうです?」

「お前の女好きは、いつまで経っても直らないな。もう、三人も子供が居るというのに。いや、四人目がもうすぐ生まれるのだったな。そんな事ではテレザを怒らせてばかりなんじゃないのか?」


 キースとデルクの主従は、獣道を登りながら、くだけた会話を交わした。

 

「私の供だと言えば、町で遊んでも妻には睨まれないし、遊ぶ金も全て私持ちだからなのだろう?」


 呆れた表情を浮かべるキースに、デルクは「ヘヘヘ」と笑って頭を掻く。

 女と酒と博打が好きなデルクは、それが原因でしょっちゅう妻と喧嘩になっていたが、まるで懲りた様子がなかった。

 しかし、どうにも憎めない愛嬌があり、キースは、まるで出来の悪い弟を見るような目で彼を見ていた。

 こうしてデルクと肩の力を抜いた気取らない会話が出来るのもまた、忙しい仕事や貴族の付き合いに疲れたキースにとって、休暇の楽しみの一つとなっていた。


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