団欒の夕べ #4
いつの間にか、マーカスが母親であるクルルの隣でコクリコクリと船を漕いでいた。
キースから貰った本をしっかりと胸に抱きしめているのを見るに、どうやら気に入ったらしい。
フリルのついた白いシャツの襟元に鮮やかな緑色のリボンをきちんと結び、綺麗に整えられた赤い巻き毛も同じ色のリボンでまとめている。
いかにも貴族の子息といった、礼儀正しく大人びた印象を与えるマーカスだったが、こうしていると、やはりほんの五歳の子供である。
まだ就寝には早い時間だったが、旅の疲れが出たのだろう、時々ハッと我に返るものの、眠そうに目をこすっていた。
そんなマーカスに気づき、クルルは彼を隣のソファーに連れていった。
靴を脱がせて寝かせ、使用人を呼んでその小さな体に毛布を掛ける。
マーカスが抱えていた本は、彼が安心出来るよう、近くのテーブルに置いた。
クルルが横になったマーカスの体を優しく撫でていると、五分としない内に安らかな寝息が聞こえてきた。
「今日はもう、寝室に行って休んだ方がいい。クルル、お前も疲れているだろう?」
「いいえ! 私はまだ平気ですわ!……そんな事より、逃がしませんわよ、お兄様! お兄様とアンナさんがもっともーっと親しくなる方法が見つかるまで、今日はとことんお話いたしましょうね!」
やんわりとクルルをマーカスと共に寝室へ向かわせ話を切り上げようとしたキースだったが……
さすが兄弟と言うべきか、そんなキースの思惑を察知していたらしく、クルルは振り返ってキッとキースを見つめてきた。
マーカスを眠らせたのち、クルルは再びキースと同じソファーのすぐ隣に座り、一応貴婦人らしい仕草で紅茶を口に運びした。
マーカスのために毛布を持ってきたり、新しく紅茶を入れたりと世話をしていた使用人が部屋を出ると、いよいよ兄弟二人きりになった。
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「うーん、これは思案のしどころね。……どうやったらお兄様とアンナさんをもっと親密な関係に出来るかしら? お兄様が役に立たない代わりに、絶対に私がなんとかしなくてはいけないわ。」
眉間に皺を寄せ神妙な表情で考え込むクルルを、キースは紅茶をゆっくりと口に運びつつ苦笑を浮かべて黙って眺めていた。
自由奔放な妹の事なので、キースが何を言っても大人しくしてはくれなそうだった。
とは言え、この時キースは、クルルは面白がっているだけだと思っていた。
自分の妹が、実際に、自分とアンナの関係に大きく関わってくるとは、夢にも思っていなかった。
「……クルルよ、お前は、私が村娘と交流があると知ったのなら、きっと不満を申し立ててくると思ったのだがな。」
「お兄様がおっしゃりたいのは、身分が違い過ぎるというお話かしら?」
「まあ、そういう事だ。」
「私をカルラさんと一緒にしないで欲しいわ! あんな身分第一主義のお高くとまった貴族のお嬢様とは、私は全然違いますわよ!」
「まあ、確かに、お前は子供の頃から使用人の子供達に混じって外を走り回ったり泥遊びをしたりと、とても貴族の令嬢とは思えないお転婆ぶりだったからな。」
「わ、私の話は、今はどうでもいいのです!」
クルルは、キースと二人きりになったせいか地が出ているようで、テーブルの上に置かれた皿からクッキーを一つ摘まみ取ると、それこそ貴婦人らしからぬ態度で、ポイッと口の中に放り込んでいた。
「私は、人の良し悪しは、身分で決まるものではないと思っておりますわ。」
「私はまだアンナさんにお会いした事はありませんけれども、お兄様のお話を聞いて、きっと素敵な方なのだと思いました。それに……」
「私は、お兄様の事を信じておりますもの! お兄様の人を見る目は確かですわ!」
「私の婚約の話が出た時も、私が『あんなブサイクで太っちょな人は嫌!』と言っていたのを、お兄様がなだめて下さったでしょう?『彼はとてもいい青年だ。お前をきっと幸せにしてくれる。』そうおっしゃって。そうしたら、本当にとてもいい人だったのよ! まあ、夫の見た目は、相変わらず『クマのぬいぐるみ』ですけれどもね。でも、私は夫と結婚して、こうして毎日幸せに暮らしていますわ。可愛いマーカスも生まれて、スクスクと無事に育って。夫は、私の事もマーカスの事も、とても大切にしてくれていますわ。……本当に、あの時夫との縁談を断らなくて良かったと、今は思っておりますのよ。」
「そんなお兄様が好きになられた方ですもの! きっとアンナさんは、とっても素敵な方に違いありませんわ!」
「身分違いという事なんて、きっとどうにでもなりますわよ。どこか親交のある貴族の家に頼んで、アンナさんを形式的に養女にしてもらえば済む話でしょう? 側室に本当の恋人を迎える時に良く使われるやり方ですわ。誰も文句は言いませんわよ。いいえ、誰かが文句を言ってきたら、この私が追い返して差し上げますわ!」
鼻息も荒くキッパリと言い切るクルルを見て、キースは思わず微笑みを浮かべていた。
クルルは、確かに、貴族の女性としては自由闊達過ぎるきらいがある。
しかし、人間として大事な事を、誰に教わるでもなく生まれながらに知っているような一面があり、キースは昔から時々、この妹に感心させられる場面があった。
そんな、クルルの良い性質が、大人となり子を持って母親となってからも、変わらず彼女の中にある事を、キースは喜ばしく感じていた。




