団欒の夕べ #3
「ほら、マーカス。これをお前にやろう。今度会ったら渡そうと思っていたんだ。」
「……あ、ありがとうございます、叔父上。」
キースが甥っ子のマーカスに用意していたプレゼントは、挿絵のついた本だった。
五歳になったばかりのマーカスは、貴族の子息として既に家庭教師をつけ様々な分野の勉強を始めていたが、キースが彼に与えたのは、そこで使う教材用の本とは一線を画す、観賞目的で作られた芸術的な豪華な本だった。
金の装飾の施された革張りの大きな本は、五歳のマーカスには、内容以前にまだ重過ぎたようで、キースが手を離すと、慌てて胸に抱え込み、フラフラしていた。
「どうだ、気に入ったか? 私も子供の頃に夢中になった有名な冒険物語だ。読めない文字があったら読んでやろう。」
「お兄様! そんな事より、さっきのお話の続きを早く聞かせて下さいな!」
夕食を終え、キースと、クルル、そしてマーカスは談話室に移動した。
キースはマーカスへのプレゼントを思い出し、それを彼に与える事で時間を稼ごうとしたが、すぐにまたクルルに横槍を入れられてしまった。
キースがソファーに腰を下ろすと、すぐ隣にドンと座り込み、腕を掴んで顔を近づけてくる。
談話室のテーブルにお茶とクッキーが用意されたのち、キースは使用人達に下がるように言っておいた。
名目上は、久しぶりの家族団欒を水入らずで楽しみたいというものだが、実際は、クルルと会話を聞かせたくなかったからだった。
「実はだな……」
キースは、紅茶のカップを手に持ち、時折口に運びながら、これまでの経緯を淡々と説明した。
この別荘にやって来て、いつものように森で狩りをしていた所、新しい森林管理人であるイヴァンが間違って彼を射ってしまい、ごく浅いものだったが手傷を負った。
一時的に気分が悪くなった事もあり、夕暮れが近づいていたため、大事をとってその日は険しい山道を降りるのは避け、イヴァンの家に一泊した。
その時、傷の手当てをしてくれたり、夕食を振舞ってくれた礼をしたくて、ささやかな土産を持って、森の中のイヴァンの家に行っている。
といった内容だった。
当然のごとく、キースの話を聞いたクルルはあからさまに不満そうな表情を浮かべた。
貴婦人にあるまじき、プウと頰を膨らませた子供のような顔でキースを問い詰める。
「そうじゃないわ! 私が知りたいのは、お兄様がさっき口走った『アンナ』という女性の事ですわ!」
「……う、うーん、それはだなぁ。……ほら、クルル、いつまでもマーカスを放っておいていいのか? 退屈しているのではないか?」
「もういいですわ! 森に住んでいる森林管理人だと言うなら、どうせデルクが知っているんでしょう? 明日デルクから話を聞きますわ!……彼は品がなくて、私はあまり好きではないのですけれど、領主であるお兄様の妹の私の頼みなら、喜んで話してくれる筈ですわ!」
「ま、待ってくれ、クルル! 分かった分かった! アンナの事を、私の口からちゃんとお前に話そう。」
仕事は出来るものの軽薄な性格のデルクに、有る事無い事吹き込まれてはたまったものではないと焦ったキースは、降参して白状する事にした。
「アンナは、兄のイヴァンと共に、戦乱の続くフメル平原から苦労して国境を越え、このガーライル領に逃げてきたという話だ。」
「まぁ!」
キースは、アンナがその美貌故、普段は人目を避けた森の奥でスカーフを顔に巻きひっそりと暮らしているという事を語った。
また、美しいのは見た目だけでなく、優しく朗らかな性格で、良く気が利き、かつ、聡明であると説明した。
「そう、とても素敵な女性なのね!」
「ああ。今まで様々な苦労をしてきたに違いないが、常に明るく前向きに生きている。周囲への感謝と慈愛の心を忘れない、本当に素晴らしい女性だ。」
キースが語るアンナの話を、クルルは目を輝かせてジッと聞き入っていたが、最後にパンと手を叩いて言った。
「お兄様! 私、その『アンナさん』に、是非お会いしたいわ!」
クルルのそばのソファーに行儀良く腰掛け、キースに貰ったばかりの本を膝に乗せて覗き込んでいたマーカスが、その音にビックリして目を見開いていた。
□
「い、いや、お前がアンナに会う必要はないだろう? それにアンナは、森の奥の小屋に住んでいるんだぞ。私は、デルクの案内があって、山も歩き慣れているから、アンナの住む小屋まで毎日赴いても問題はないが、お前に山歩きは無理だろう?」
「アンナさんに会う必要なら、私にだってあるわ!……だって、アンナさんは、いずれお兄様と結婚するのでしょう? まあ、お兄様には、既にカルラさんがいらっしゃるから、アンナさんは側室という形になるのでしょうけれども。」
「け、結婚!?……い、いや、まだ、そんな話は早いだろう。と言うか、私とアンナは、まだそういった雰囲気ではなくてだな。……ま、まあ、私も、いずれそうなればいいとは思ってはいるがな。やはり、私一人が勝手に思いを寄せていても、アンナが私の事をどう思っているのか分からない現状では……」
キースが、クルルの言葉に動揺して口ごもりながらも早口に喋っていると、みるみるクルルの眉間に深いシワが刻まれていった。
「……お兄様? アンナさんの所には、毎日通っているのでしょう? そういうお話でしたわよね?……それなのに、アンナさんの気持ちが未だに分からないというのは、一体どういう事ですの? お兄様は、毎日、アンナさんの所で一体何をなさっていたの?」
「な、何と言われても……まあ、いろいろな話をしていたな。彼女の生活について尋ねる事もあったし、私自身の悩みを聞いてもらう時もあった。ウム。アンナはとても聞き上手で、話していてとても楽しいだよ。」
「いろいろなお話をなさっていたって……え? まさか、それだけですの?」
「それだけ?……あ、いや、ちゃんといつも土産を持って行っているぞ。野菜や卵、焼きたてのパンなどをな。山の中では手に入りにくいだろうと思って。アンナはいつもとても喜んで受け取ってくれているぞ。」
「……」
クルルは、嬉々として話すキースを前に、大袈裟な仕草で片手で顔を覆い、深いため息をついていた。
「お兄様が毎日家に通っていると聞いて、もうとっくにアンナさんとは深い仲なのかと思っておりましたわ! それなのに、お兄様ときたら、本当はお土産を持ってお喋りに行っていただけなんて!」
「他の場面では私の自慢の完璧なお兄様なのに、こういう所はどうしてそんなに疎いのかしら! このまま放っておいたら、一年経ってもお喋りだけで満足してちっとも進展しなさそうですわ!」




