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緋と金と灰  作者: 綾里悠
<緋の章>
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仮面舞踏会 #3


「ガーライル卿は、女性に好かれて大変でしょうなぁ。文武両道に優れ、国王陛下の信頼も厚く、おまけに、これ程の美貌の持ち主でいらっしゃる。もっと頻繁に王都に顔を出してほしいものだと、皆噂しておりますぞ。」

「ハハ、皆さん、私の事を過大評価なさっているようで、困ってしまいますね。」

「いやいや、ご謙遜を! こちらの我が娘も、今日の舞踏家にガーライル卿がいらっしゃると聞いて、何日も前からソワソワと落ち着かなかったのですよ。」


 伯爵という肩書きを持つ男の言う事は、半分は間違っていなかった。

 確かに、キースは、剣の腕はこのハンズリーク王国一と噂される程で、国境地帯を守る騎士団の団長も兼任している。

 一方で、国王主催の政治や経済についての研究会に呼ばれ、活発に意見を交換出来るだけの知性と知識の持ち主としても知られていた。

 現国王や皇太子をはじめ、王族達の覚えも良く、「これからも、内外共に我が国の守りの要となってほしい」との言葉を掛けられていた。


 しかし、それは、ガーライル領の抜きん出た富と武力に裏打ちされたものであり、実質的には「たくさんの金を王国に収めると共に、国境ではその身を張って他国の侵略を阻止せよ」という意味だとキースは把握していた。

 王国は、いや、王族は、ガーライル領を納めるキースの一族に「辺境伯」という身分を与えるのみで、後は、潤沢な資金の提供と、自領の軍隊での国防の義務を強いてくる。

 とは言え、王国に属する事で、様々な地方との文化や経済の交流の理もあり、自領の軍の血を流してまで王国に反旗を翻し独立を勝ち取る程事態は逼迫していないというのが、キースの判断だった。

 王族に都合良く使われる事も、高い税も、自領の平和と利益を考えれば、飲まざるを得ない代償と受け取っていた。


 そんな、ガーライル辺境伯としてのキースの苦労を知らぬ者達は、ただただキースの富を羨ましがる。

 あるいは、この目の前の男の娘のように、富と権力に付随したキースの精悍な美貌にうっとりと夢心地になるのだった。


「しかし、夫婦仲がよろしいとは言っても、なかなか子宝に恵まれないのは、ガーライル卿としては不安もあるのではないですかな?」


 伯爵を名乗る男は、一見品の良い笑顔の下に、獲物を前に舌舐めずりするような貪欲さが感じられた。


「もちろん、遊びであればどのような女性ともお付き合いなさっても構わないのでしょうが、さすがにお世継ぎとなれば、それなりの格式のある家柄の女性との子供でなければ、後々問題もあるやもしれません。」


「一族のためであれば、奥様も、ガーライル卿が側室を迎える事に、反対はなさらないのではないですかな?」


 要するに、男は、自分の娘をキースの側室にと狙っているのだ。

 本妻との間に未だ子供の居ないキースに嫁がせて、自分の娘に子供が出来れば、いずれその子がガーライル領を継ぐ事となり、自動的に自分の元にも莫大な富が転がり込んでくると考えているのだろう。



 ハンズリーク王国において、古くからの慣習では、基本的に一夫一婦制である。

 しかし、それはとうに形骸化しており、二人目の妻を養う余裕のない庶民はともかくも、経済力のある貴族や大商人などは、二人三人と側室を抱える事も珍しくなかった。

 また、正室の地位は一家の中で高く保たれつつも、側室にも正室と同じだけの待遇と権利が与えられるのが常識となっており、むしろそれが出来ない者は、側室を娶るのは分不相応だと噂され白い目で見られる事となる。

 それもあって、側室を迎えるのは、一定以上の資金力のある者に限られ、ほぼ、貴族と富豪の特権のような状態になっていた。


 貴族の中には、正室には親の決めた政略結婚の相手を置き、側室には本当の恋人を迎える者もあった。

 また、キースのように、正室に子供が生まれない場合、後継ぎを得るために、若い側室を入れる場合も少なくなかった。

 伯爵を名乗る男が、自分の娘をキースに紹介したのも、まさにこれが狙いで、既にこの男の他にも、今晩の舞踏会だけで、キースは何件も同じように娘や姪などの紹介を受けていたのだった。


(……しかし、それだけではないな。この男、私が領地の別荘に最近若い娘を雇い入れたのを知っているようだ。いや、この男だけでなく、都中の貴族に既に知られているかもしれない。……まったく、都の由緒正しき貴族という輩は、他人の噂話が何よりも好物と見える。……)


(……正室との間に子が出来ないのを長い間放っていた堅物と思われる人間が、何があったものか、近頃若い村娘にうつつを抜かしていると知って、つけ入る隙があると考えたか。やれやれ、面倒な事だ。……)


 キースは……

「遊びであればどのような女性ともお付き合いなさっても構わないのでしょうが、さすがに世継ぎとなれば、それなりの格式のある家柄の女性との子供でなければ、後々問題もあるやもしれません。」

 という先程の男の意味ありげな言葉を、笑顔を崩す事なく、人知れず奥歯を噛み締め粉砕した。


(……誰が、そんな思惑に乗るものか。好きでもない女に心を砕くのは、もうこりごりだというのに。……)


 しかし、そんなキースの内心の嫌悪など知らない男は、自分の娘を少しでも良く見せようと、「親の私が言うのもなんなのですが、この子は、幼い頃から本当に良く出来た子でして……」と、娘が嗜んでいる趣味や教養を熱心に語って聞かせてきていた。


「それにしても、本当にガーライル卿が、羨ましい! 富も名誉も、まさに、この世の全てを手に入れているようですな! 欲しいと願ったもので手に入らないものなどないのでしょうなぁ!」


 男はキースの機嫌を取ろうと、そんな事を口走ったが……

 皮肉にも、それは、男の言葉の中で、唯一キースの心を千々に乱すものとなった。


(……私が本当に欲しいと願うもの、か……)


(……それが、簡単に手に入るというのなら、なんの悩みもない事だろうな……)


 キースは、チラと視線を、黒い影となった夜の山の稜線に向かいゆく、ほのかな金色を帯びた白き月に向けた。

 初秋の夜空に架かる月だけが、煩雑な人界の濁りの中で、ただ一つ穢れを知らず美しく輝いて見えた。


(……叶う事なら、あの月が欲しい……)


(……あの月のような、彼女の心が……彼女の全てが……欲しい……)


(……アンナ……)


 キースの脳裏に、夜空の月と重なるように、一人の美しい女性の姿が浮かんでいた。


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