団欒の夕べ #1
「お兄様!」
「クルル、もう来ていたのか!」
キースがシュメルダ地方の別荘にしている屋敷に帰ってくると……
入り口のドアを開けた所で、オレンジ色のドレスに身を包んだ二十代後半の貴婦人がホールに置かれたソファーから立ち上がり、ドレスの裾を両手の指先に摘んで真っ直ぐに駆け寄ってきた。
ドンとぶつかる勢いで抱きついてきた歳の離れた妹に、キースは苦笑する。
久しぶりに会えた喜び半分、相変わらずの自由奔放な様子に呆れる気持ち半分、といった所だった。
「元気にやっているようだな。」
「お兄様も、お元気そうで何よりだわ!」
「マーカスも、また背が伸びたんじゃないか?」
「そうなの! あっという間に大きくなるから、新しい服を次々仕立てなくっちゃいけないの!……ほら、マーカス! そんな所で何をしているの? 早くこっちにいらっしゃい! お兄様に……あなたの叔父様にご挨拶なさい!」
先程まで母親と一緒にホールの片隅にあるソファーに腰掛けていた五歳の少年は、母親がバタバタと去っていった後もちょこんと大人しく座ったままだった。
赤い巻き毛は、キースも、キースの妹のクルルも、彼女の子供であるマーカスも同じだった。
ただ、母親のクルルが、怖いもの知らずの自由闊達な性格なのに対して、マーカスは慎重で静かな子供だった。
クルルに呼ばれて、そっとソファーから降り、おずおずとキースの前にやって来る。
そして、右足を後ろに引くと共に右手を胸に当てて、歳に似合わぬ礼儀正しいお辞儀をしてきた。
キースは、そんな甥っ子の様子を微笑ましげに見つめ、赤い巻き毛の小さな頭を優しく撫でた。
子犬を思わせるクリクリとした大きな瞳が、ジイッとキースを見上げていた。
「……お久しぶりです、叔父上。……」
「ウム。どうだ、マーカス、しっかり勉学に励んでいるか? 最近はどんな事に興味を持っているのだ?」
「もう! この子ったら、人見知りなんだから! 最近、ますます酷くなってるのよ! 一体誰に似たのかしら?」
キースが甥っ子と話をしようとしている所に、クルルがすぐに割って入ってきた。
こういう強引な所は子供の頃から少しも変わらないと、キースは再び苦笑する。
「確かに、お前にもマーカスにも半年に一度ぐらいしか会えないからな。その度に、マーカスによそよそしくされると少し寂しくはあるが、まあ、またすぐに慣れるさ。なあ、マーカス。……それに、慎重な性格なのは悪い事ではない。マーカスは賢いのだよ。周りの人間や状況を、まずは良く観察しているのだろう。」
「まあ! お兄様ったら、誰とでもすぐにお喋りする私が賢くないかのようなおっしゃりようね!」
「うん? 実際、クルル、お前は、勉学の成績が良くなかっただろう?」
「もう! お兄様の優秀さと比べられたら、誰も敵いっこないわよ!」
「ハハハ。お前にはお前のいい所があるさ、クルル。人とすぐに打ち解けられるのも才能の内だ。私は逆に、そういうのは少々苦手とする所だよ。」
キースは、久しぶりに会った妹との屈託のないやり取りに、相好を崩して笑った。
□
その日の日中、キースはシュメルダ地方の執政官の屋敷に呼ばれて行っていた。
キースは休暇として別荘に来ているといるのであり、執政官も個人的に昼食に招くというていではあったが、そこには地方の有力者がズラリと勢揃いしていた。
多くの土地を持っている地主、シュメルダ地方の物流を一手に担っている豪商、古くから続く名家、そして、様々な集落の長達などだった。
となると、単に昼食を楽しむだけで済む筈もなく、必然的に政治の話も絡んでくる。
いや、シュメルダ地方の有力者達は、領主のキースがシュメルダ地方に来ている今を好機と、執政官に頼み込み、彼に自分達の意見を陳情する場を設けてもらったようだった。
キースは「今は休暇中なので」と、執政官の誘いを何度か断ったが、「是非に」と懇願され、仕方なく昼食に出向いて行った。
普段、王都や領都に居る時は、四六時中仕事に追われているので、休暇中は気分を切り替えて心身を癒したいというキースの願いは、やはりなかなか叶う事がなかった。
執政官の屋敷での昼食に集ったこの地方の有力者達の話は、要するに、この地方をもっと盛り上げていきたいというものだった。
キースにとっては、初夏から晩夏まで別荘にて休暇を過ごす避暑地であり、その季節は特に自然が美しく、都会の喧騒を離れたのどかな田園の風景を気に入っていたのが……
ここに住む者達にとっては、貴族の別荘地が賑わったり旅行客が来るのは、そのほんの短い期間で、後は特に何もない田舎でしかなかった。
特にシュメルダ地方は、高地の盆地にあるため、冬が長く、土地も肥沃ではない。
生活に窮して、秋から春まで都会に出稼ぎにゆく男達も多いらしく、一向に地域的な発展が見込めないとの事だった。
ガーライル領の他の地域には、数十年前に新たに発見された豊富な資源を望める鉱山あり、その地はみるみる人口が増えて、今なお凄まじい発展を続けていた。
シュメルダの人々は、かの地の隆盛を羨んでいるようだったが、残念ながらこの地には、美しい自然の他に特に目立った地場産業がなかった。
そこで、人々は、領主であるキースに直々に知恵を借りたいと願い出てきたのだが、いくら博識にして聡明なキースとはいえ、一朝一夕に名案を思いつく筈もなかった。
昼食会ののち、人々が考えたこの地の名産品の説明を受けたり、創作郷土料理を体験させられる事になったものの、どれもピンとこなかった。
少なくとも、この地の人々の抱える悩みと願いを知る事が出来たのは良かったとキースは思った。
今後、この地の有識者を集め、シュメルダの地方発展を考える会を発足して、地域振興に力を注いでいく事を約束したキースだった。
集まった人々は、領主の理解と広い心に感動して喜び合っていたが、現実としては、まだまだ海のものとの山のものともつかない状態に変わりなかった。
□
そうした事があって、キースは予定の時刻よりかなり遅れて別荘の屋敷に戻ってきたのだった。
妹と甥は、キースが帰ってくるより数時間も早く別荘に到着していたらしかった。
おかげで、妹達の到着を出迎えるつもりでいたキースだったが、逆に妹達に出迎えられる事になってしまっていた。




