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緋と金と灰  作者: 綾里悠
<緋の章>
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仮面舞踏会 #2


「ガーライル卿、そう言えば、奥様はお元気ですかな? あまりこういった場所でお会いする機会がないのですが。」

「ご心配いただきありがとうございます。妻は人の多い場所が苦手でして。体もあまり強い方ではありませんので、無理はさせないように気をつけております。」

「それはお優しい事ですな。夫婦仲がよろしいようで何よりです。」


 伯爵の肩書を持つ熟年の男は、愛想のいい笑みを浮かべながら世間話のていで喋っていたが……

 キースが妻と冷え切った関係にある事は、噂好きの都の貴族達には公然の秘密だった。

 当然、目の前の男も知っていて話している、いや、探りを入れているのだろうと察しながらも、キースは素知らぬ振りで答えていた。



 貴族社会では当たり前の慣習だったが、キースとその妻のカルラも、親同士が決めた幼い頃からの許嫁だった。

 そして、キースが十七歳となった折、そのまま何事もなく結婚した。

 しかし、キースは、子供の頃から、気が強くプライドの高いカルラとは、あまり上手くいっていなかった。

 キースとしては、親同士の決めた事とは言え、自分の婚約者として、結婚してからは自分の妻として、精一杯歩み寄る努力をしてきたつもりであったが、カルラは、扇で口元を隠した顔に楽しげな笑みを浮かべる事は一度もなかった。


 彼女が不満を覚える原因がどこにあるのか分からず、キースは結婚当初真剣に頭を悩ませた。

 古くから続く高い身分の貴族の子女であったカルラは、子供の頃から、キースを卑しい田舎者として自分より下に見ているような言動が目についた。

 カルラの方が、キースよりも一つ年上だった事もあるのかもしれない。


 それは結婚してからも全く変わらず、キースが領地に誘ってもついてくる事はほとんどなく、カルラは一人都の屋敷に残って過ごしていた。

 更に、結婚後、なかなか子宝に恵まれなかった事も、カルラの高いプライドを傷つけたようだった。

 それまでは豪華なドレスで着飾って頻繁に赴いていた夜会にも、人に噂されるのを気にして足が遠のき、いつしかほとんどの時間を屋敷の中で過ごすようになった。

 茶会を開いて世間話をするような友人さえも居ない様子だった。



 キースは、そんなカルラを案じて……

「子供の事は気にしなくていい。跡継ぎが必要なら、養子を貰えばいい。」

 と言ったが、逆にカルラは激昂して、手にしていた扇をキースに投げつけてきた。

 その時に見た、真っ赤な顔で目を釣り上げたカルラの恐ろしい表情が、キースは今でも忘れられない。


「貴方も、わたくしの事を、石女だの、女として出来損ないだのと責めるつもりなのね!」


「そんなにわたくしの事が気に入らないのなら、外で好きに子供を作ってくればいいでしょう? わたくしは、貴方がどこでどんな女と遊んでいようと全く気にしませんから、ご安心下さい、旦那様!」


「新参者の田舎貴族など、卑しい女との間に生まれた子供を跡取りにすれば、ちょうどいいのではないかしら?」


 さすがに、はっきりと「田舎者」呼ばわりされた事で、キースはこの時初めて、今まで抑えていた憤りをあからさまに顔に浮かべた。

 カルラは、キースの狼を思わせる鋭い金色の瞳にギロリと睨まれて、いっときビクリと青ざめたものの、すぐに「フン」と言って踵を返し、自分の部屋へと足早に歩き去っていった。



 そんな一件から、キースとカルラの夫婦仲は決定的に冷え切ってしまった。

 寛大で温和なキースも、カルラの機嫌をとる事にほとほと疲れ果てていた。

 (……元より、彼女とは性格が合わなかったのだ。……)

 いつしかそう考えるようになり、もはや、彼女との関係を改善する気力を完全に失っていた。

 

 それでも、二人は離婚をする事はなく、形だけの夫婦として過ごしていた。

 世間体を気にする貴族の間では、愛のない結婚も冷めた夫婦生活も、さして珍しいものではない。

 キースとしては、そこまで自分が嫌われているのならと、カルラが望めば離婚しても構わないと思っていたが……

 ここで彼女を実家に帰しても、既に彼女の家は高い身分だけ残して没落した状態にあり、父親や叔父も亡くなっていて、後ろ盾になってくれそうな者も居なかった。

 気位だけは高いまま、世間の荒波を生き抜くすべも知らずに、もう二十代も後半に差し掛かったカルラを見捨てる事は、キースには出来なかった。

 カルラも、内心自分の現状を分かっているのか、あるいは社交界の噂を恐れているのか、「離婚」という話は一切してこなかった。



 それからというもの、キースは、カルラが都の屋敷で何不自由ない生活を送れるように手配をして、自分は領地にある屋敷で一年の大半を過ごすようになった。

 元々、毎晩貴族達が競うように夜会を繰り広げる王都での生活が、キースはあまり好きではなかった。

 田舎とそしられようが、豊かで美しい自然に囲まれ、気取らず伸びやかに過ごす事の出来る自分の故郷を、キースは心から愛していた。


 それでも、このハンズリーク王国の貴族として、領地からの献上金を収める他にも、国王に拝謁したり、国王主催の行事に参加したりといった義務があり、年に何度か王都を訪れなければならない。

 そんな折には、さすがに、どこかの宿に泊まって貴族達に噂の種を巻く訳にもいかず、カルラの居る屋敷に滞在する事になった。


「こんな時だけはいらっしゃるのね。もうずいぶんお顔を拝見してなかったものですから、どこのどなたかと思いましたわ。」


 カルラは、キースが着くと一応出迎えには来るものの、そんな嫌味を一つ残して、すぐに自室に引きこもってしまった。

 キースもため息をつくばかりで、そんなカルラを追っていって話しかけたりなどしなかった。


 そんな生活が、もう十年以上続いていた。

 結婚してからは、早いもので二十年近くになる。

 子供の頃、親の紹介で初めて会った時から数えると、かれこれ約三十年。

 その長い年月を思い返してみても、カルラとの間に幸福な時間が流れた記憶は、キースの中に一つもないままだった。


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