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緋と金と灰  作者: 綾里悠
<緋の章>
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山小屋の一夜 #4


(……これは、困った事になったな。……)


 アンナと寝室に二人取り残され、どう声を掛けたものかと、視線も合わせられないままキースが思い悩んでいると……

 アンナは、部屋の隅に置かれていたタンスから、自分の衣類を取り出して胸に抱くと、キースにペコリと頭を下げた。


「着替えてまいります。」

「あ、ああ。」


 アンナは、一旦部屋を出て、しばらくすると、簡素なネグリジェ姿で戻ってきた。

 それまで着ていた服は、綺麗に畳んで手に持っており、その後、ベッドの足元に置かれた籠へと収めていた。


 キースは、あまり真っ直ぐに女性の寝間着姿を見るのも悪いかと思い、視線を外していたものの……

 どうしてもチラチラと視界の端に、アンナの姿が入ってしまい対応に困った。

 昼間のエプロンをつけたワンピース姿よりも、明らかにネグリジェの方が彼女の体つきが良く分かる。

 長い金色の三つ編みを肩から回して胸に垂らしたアンナの姿は、質素な身なりとは対照的に、まばゆいばかりに美しかった。

 寝間着からのぞく、柔らかな白い肌をまとったか細い手足が無防備で、必死にこらえていても心臓が高鳴る。


「……う、うむ。その、妙な事態になってしまったな。……」

「申し訳ありません、ご領主様。ご迷惑のようでしたら、やはり私は向こうの部屋で兄と一緒に……」

「あ、いやいや! 迷惑という訳ではない、決して! そんなに私に気を使わなくてもいい。……その……」


 キースは、アンナから視線を逸らしたまま、軽く空咳をして、やや歯切れの悪い口調で語った。


「……私が、眠っている君に何かおかしな事をするような事はないと誓おう。だから、安心して眠ってほしい。……」


 すると、向かいのベッドに腰を下ろしたアンナから、フフッと笑い声が漏れたので、キースは意外に思い、思わず顔を彼女の方に向けた。


「私は、ご領主様がそんな事をなさるとは、夢にも思っておりません。何も心配などしておりませんわ。」

「そ、そうか。ならば良かった。」


 年頃の若い娘と思いがけず同室で眠る事態になり、内心気遣いと緊張で固くなっていたキースとは対照的に……

 アンナはほとんど気にかけている様子はなく、ほつれていた髪を手で撫でて直すと、毛布をめくってそっと自分のベッドに横になった。


 その様子を見てとって、キースも慌ててブーツを脱ぐと、ポーチを通して腰につけていたベルト、革のベストなどを外して衣類カゴに入れ、ベッドに横になる。

 毛布もシーツも粗末なものではあったが、アンナが丁寧に洗濯したり干したりしているようで、清潔感があった。

 毛布は特に柔らかく暖かかく、体に掛けると、ふわりと太陽の匂いがした。

 向かいのベッドを見遣ると、アンナは既に体を横たえて、毛布を被り、眠る準備を済ませていた。


「それでは、休もうか。蝋燭を消しても構わないかな?」

「はい。お休みなさいませ、ご領主様。」

「おやすみ、アンナ。」


 キースは、アンナの若芽色の瞳が瞼で閉ざされるのを確認して、ふっと息を掛け、蝋燭の火を吹き消した。

 後には、暖炉に焚かれた火が、うっすらと室内を照らすのみとなった。

 それでも、暗い室内に、すぐ向かいのベッドで体を横たえて目をつぶっているアンナの姿は、ぼんやりと浮かび上がって見えていた。


(……私も早く眠ろう。眠ってしまえば、アンナの事を気にする事もなくなる。……)


 そう思って、キースも、瞼に少し力を込めるように目を閉じた。



 しかし、キースはすぐに、自分の考えが甘かったのを思い知る事になった。


(……なかなか眠れない。……眠ろう眠ろうと意識すればする程、眠れないものだな。……)


 国境騎士団の野戦訓練で兵士達と雑魚寝した時は問題なく眠りにつけたキースだったが、美しいアンナがすぐ近くで横になっていると思うと、妙に目が冴えてしまって内心困り果てていた。

 肉体的には、馬で別荘についてからすぐに用意をして半日近く森の中を歩き回っていたので、疲れを感じてはいる。

 藁を敷き詰めた上に粗末なシーツと毛布という、屋敷とは違う状況も、さほど気にはならない。

 ただ、アンナの事だけが、気に掛かって仕方なかった。


 目を閉じると、瞼の裏に浮かんでくるのは、今日この山小屋で初めて出会ってからのアンナの姿ばかりだった。

 頭に巻いていたスカーフを取り去った時に初めて見た、胸に突き刺さる程鮮烈な、輝くように美しい素顔。

 足を洗った時は、嫌がる様子も全くなく、柔らかな笑みをたたえて、隅々まで丁寧に洗い上げてくれた。

 姿勢を正して静かに料理を食べている姿、薄紅色の唇を動かし小鳥の囀るような可愛らしい声で話す様子。

 つい先程見た、無防備な寝間着姿に漂う、朗らかながらも、なんとも言えない成熟した女性の色香。


 そんな事をグルグル考えている内に、ますます眠りの淵から遠ざかるキースだった。


 一方で、アンナは、蝋燭の灯りを消してから十分程して眠りに落ちたらしく、規則正しい寝息がすうすうと聞こえてきていた。

 隣の部屋ではイヴァンも眠っている筈だが、ドアの向こうからは、もはや物音一つ聞こえなかった。

 森の夜は、どこまでも深く静かでありながら、遠くから時折梟の鳴き声や狼の遠吠えが響き、自分が今、巨大な自然の真っ暗なはらわたに横たわっている事を感じさせる。


 やがてキースは、目を閉じて体だけは休ませようとジッとしている内に、うつらうつらし始めた。

 横になった事で、肉体の緊張がほぐれ、疲れがドッと出たのかもしれない。


 そんな時、キースの耳に聞こえてくるものがあった。


「……ん、んん……い、嫌……やめて……やめて下さい……どうか、お許し下さい……」


 向かいの壁際に置かれたベッドで、アンナが何か夢を見ているらしく、酷くうなされていた。


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