戦う、ということ
千草と歩夢が重苦しい雰囲気に包まれている頃、霞は一人、いまだ目覚めない渚に付き添い、彼女が目覚めるのを願うように手を握っていた。
その手は、年頃の少女らしくすべすべであったが、今は汗でしっとりと濡れている。
しかし、それは寝汗というわけではなく――。
「……ぅ、ぁ。わた、し、そんな……」
「なぎさ、どうしたんですか? しっかり――!」
先ほどから繰り返し悪夢を見ているのだろう。渚が呻く度、霞は安心させるように声掛けを続けている。
だが、その効果は出ていないようで、渚は苦悶の表情を浮かべ身動ぎしていた。
そんな彼女の姿を見て、霞もまた苦しそうな表情を浮かべる。そして――。
「……あぁ。もし、神さまがいるのなら、どうかこの娘を――」
そうして祈るように呟く。親友が、渚が無事に目を覚ましますように、と……。
渚が気が付いた時、辺りは真っ暗であった。
否、彼女はここが現実ではないと直感する。なぜなら、まず足元。そこに足を踏みしめる感覚。地面がなかった。
かといって無重力か、と問われると実際に行ったことのない彼女は答えに窮するが、それでも良く聞くふわふわした感覚がないことから、たぶん違うのだろう、と思う。
その時、渚の周りが光に包まれる。あまりの眩しさに目を細める渚。
次の瞬間、真っ暗な景色は一変し、別の場所へ移動していた。そして、移動した景色に彼女は見覚えがあった。
「……ここ、まさか。バベルの本拠地?」
彼女が呟いた通り、そこは二年前。バベルとの最終決戦で訪れた敵の本拠地であった。
急な景色の変化に驚く渚。そんな彼女のとなりを何者かが駆け抜けていく。
その姿を見て驚き、目を見開く渚。彼女のとなりを過ぎていった者。それは――。
「わた、し……?」
彼女が変身した姿、超能力戦士レッドルビーだった。
この景色、そして変身した己の姿を見て、渚の喉はからからに乾き、ひりついている。
彼女はこの光景を覚えている。覚えているのだ。
「もしかして――!」
そして彼女は自身を追うように走り出す。止めなくては! 絶対にこれだけは――!
しかし、超能力戦士となったルビーと、ただの少女である渚には隔絶した能力の差がある。そんな彼女に追い付くためには、自身も変身する必要があるが……。
「――なんで! なんで、変身できないのっ!」
……本来、彼女の変身は手首に巻いてある腕時計に似たバングルを操作することで、腹部にあるベルト、バックルと連動してコスチュームとPDCを出現させ、装着する。
また非常時――バングルを操作する暇がない――には、多少消耗するものの、微弱なサイキックエナジーを発現させることでバックルに認識させ緊急変身することも可能なのだが、なぜかどちらを使っても変身することが出来なかった。
そのことに焦る渚。このままでは間に合わない。
「……まだ。まだ、諦めちゃ――!」
それでも諦めるわけにはいかなかった。
だって諦めてしまったら――!
「今ならまだ、まだ止められるかもしれないんだから――!」
自らの愚行、それを止められる可能性があるのなら、諦められるわけがない。だからこそ、彼女は走る。戦いを止めるために――。
そうして必死に自身を追いかけていた渚。しかし、彼女が追い付いた時。その時には既に――。
神話に登場する女怪、メデューサを思わせる頭部が蛇に見える怪人が地に伏せている。
「おば、さま――」
それが旧時代のバベル副首領。盛周の母。彼女が自らを改造した怪人体だった。
そして――。
「――やめてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
彼女の叫び声と、ルビーが大首領。盛周の父である彼の怪人体。一つ目の頭部と、全体的に黒い体躯の怪人の胸を拳で貫き、砕く音が同時に響き渡る。
「嫌ぁっ――! おじさまぁぁぁぁっ!」
渚の絶叫が周囲に響き渡る。それとともに先ほどと同じ、真っ暗ななにもない空間に――。
「あーぁ、やっちゃったねぇ……?」
――否、先ほどとは違い。目の前には血濡れに、大首領と副首領の返り血を浴びた自身の姿が。
「なんで、止めてくれなかったの?」
「そんな、わたし……」
止めようとした、と言おうとして言葉が続かない渚。事実、間に合わなかったのだから、それは言い訳にもならなかった。
そんな渚を嘲るように目の前のレッドルビーは言葉を続ける。
「そうだよね。出来るわけないよね? なんてったってあんたが、私がしたことなんだから――」
そこまで言ったレッドルビー。いつの間にか彼女は能面のような無表情になっている。
そして彼女は、決定的な一言を口にする。
「――この、人殺し」
「う、ぁぁぁぁぁぁぁぁっ――――!」
その言葉を聞いて慟哭する渚。そして、彼女はうわ言のように呟く。
「わた、わたし、は……そん、な。つもり――」
「そんなつもりはなかったって?」
渚の呟きに、レッドルビーは呆れたような声を出す。
「なにを言うかと思えば……。これは、貴女が、私が選んだ選択でしょうに」
レッドルビーの指摘に、首を横に振ることで否定する渚。
そんな彼女にレッドルビーは現実を突きつけるように語りかける。
「違わない、なにも違わないわ。貴女は、私は戦うという、敵を殺すという選択を取った。……その、敵が偶然、おじさま。おばさまだっただけで」
「わ、たしはしらな――」
「ええ、知らなかった。知らないまま殺した。ただ、それだけよ?」
「……ぅ、ぐっ――」
レッドルビーの容赦ない追撃に、ついに限界が訪れた渚は、胃の中の物をぶちまけるように嘔吐する。
それをレッドルビーは冷ややかに見つめるのだった。