戦う意味、守りたい人
ブルーサファイアがサモバットを撃破した頃、レッドルビーはガスパイダーから噴射された特殊ガスで苦しめられていた。
「あ、んぅ……。く、う……」
身体を動かす度、コスチュームが肌と擦れる度に甘い疼きが全身に奔る。そして、それと同時に体温が高くなっているのか、彼女の額に、さらには全身にも薄く汗が流れている。
それと平行して頬を赤らめ、悩ましげな表情を浮かべていることから、今の彼女からは妙な艶かしさを感じさせた。
惜しむらく――レッドルビーからすると唯一の救い――は、その艶かしさを見る者がいない、というところだ。
否、一応一人……、一体だけいる。それがレッドルビーをこの状態に追い込んだ元凶。怪人-ガスパイダーだ。
とはいえ、ガスパイダー自身もこの状況は予想外だった。
そもそも今回の特殊ガスを使用したのも、あくまでレッドルビーに対する牽制の意味合いが強かった。
それ故、ガスパイダーも彼女を辱しめるつもりは毛頭なく、それどころか蜘蛛顔で表情こそ読み取れないのだが、内心では途方に暮れていた。
それこそ、今の状況が万が一。本当に万が一大首領に知れてしまったら……。
叱責だけで済めば御の字。最悪の場合、廃棄処分すらあり得るだろう。
だからこそ戦うにせよ、撤退するにせよ、何らかの手を打つ必要があるのだが……。
(確かに、このガスパイダーは毒ガスを生成出来るし、生成できるということは中和することも可能。だが、なぁ……)
そう内心ごちるガスパイダー。
自然界に自身の毒で死ぬ生物がいないように、ガスパイダーも毒の中和は可能だ。……ただ、それを外部に出すことは不可能。
だが、それもそれほど不思議ではない。
そもそも、敵対し、戦闘中の相手に毒を使い、なおかつその毒から救助するために中和剤を使う。などという状況を想定している方がおかしいだろう。
それならそもそもなぜ毒を使ったのか、という話になる。マッチポンプか。
ただ、この特殊ガス。強力な威力と引き換えなのか射程距離がすこぶる短い。そのため基本的に相手と戦闘時のみ使用可能という制約がある。
そしてそれ故、マッチポンプも不可能。ますますもって中和剤を外部に出す意味合いがない。
かといってこのままでは堂々巡り……。
ならばせめて、とガスパイダーは人間の腕と同じ主腕と、蜘蛛の足を思わせる副腕を展開。
とりあえずレッドルビーを拘束、無力化を行おうと考えた。後から起きるであろう問題、それについてはその時また考えれば良い。と思考放棄して。
自身の感覚に翻弄されて、ガスパイダーの接近に気付かなかったレッドルビーは、抵抗することなく腕を捕まれる。
「――は、ぁ……!」
腕を捕まれた瞬間、今まで感じていた感覚が遊戯かと思うほど強力な快感が奔る。もし、この場に誰もいなかったら、レッドルビーはそのまま座り込んで顔中から液体を垂れ流し、恍惚の表情を浮かべていただろう。それほどに強烈な感覚だった。
それと同時にレッドルビーの、渚の脳裏には盛周の、想い人の顔がフラッシュバックする。
もし、この気持ち良さを与えてくれたのが彼だったら……。それだったらどんなに素晴らしかったか、と妄想してしまう。
「……チカくん、私――」
譫言のように盛周の名を出すレッドルビー。
自身の口から出た想い人の名を聞いて、多幸感に包まれる彼女だったが、少し違和感を感じる。それが何なのかまでは分からない……。
「そのまま抵抗するなよ、レッドルビー。抵抗しなければ手荒には扱わん」
「あ、ぅ……」
他人の声を聞いて、さらに違和感が強くなった。
「何で私――」
――戦ってるんだっけ?
そう自問自答するとともに、再び脳裏にフラッシュバックする盛周の顔。
――そう、だ……。チカくんを守るため……!
答えを出すと同時に、頭の中にあった桃色の靄が晴れていく。
「そうだ、私はレッドルビー……! 私はチカくんを、守るために――!」
もしここで私が破れたら、負けたらチカくんは、大好きなあの人はどうなる!
戦う術を持たないあの人を、私の両親のように失って良いのか!
――良くない!
ならばどうする!
そんなの決まってる! 戦う、戦って勝つ! それが私が、レッドルビーが出来ること!
「う、あぁぁぁぁ――――!!」
「な、なにぃ――!」
まさか、この土壇場で抵抗すると思っていなかったガスパイダーは驚きのあまり、手の力が緩んでしまう。
そして、その緩んだ力なら今のレッドルビーでも脱出可能だ。
彼女はガスパイダーの拘束を力任せに振りほどく。ただ――。
「くっ、あぁ……!」
そもそも感覚が未だに敏感である以上、そんな行動一つ取っても、容赦なく甘い責め苦を与えてくる。
事実、今の彼女は常に頭の中で稲妻が弾け、視界が白く明滅している。一瞬でも気を抜けばそのまま気絶しかねない状況。
――それが、どうした!
決めたのだ、戦うと。大切な人を守るために!
それなのに、こんなことで足踏みしていられない!
――ふと、全身から力が抜けそうになる。
だからどうした! 歯を、唇が切れ血が流れるほどに噛み締め、無理矢理力を込める。
――意識が朦朧とし、目がかすみ敵の姿がぶれる。
だからどうした! ぶれていようと、未だ見えているなら問題ない。いくらぶれていようと中心向かって打てばどこかに当たる!
「あ、あァァァァァァァァ――――!!」
後の事など知ったことか! 今、全力で戦わないと未来がないのだから! だから――。
レッドルビーはPDCをフル稼働させる!
それとともに手甲と足甲の一部装甲が展開、あまりの出力に余剰となったエネルギーを熱として廃熱。
それでもなお有り余る力場を右手に集中させる!
「こ、れ、でぇぇぇ――――!!」
そして、その必滅の一撃をガスパイダーへと叩き込む!
必然か、偶然か。その一撃はガスパイダーの中心へと叩き込まれることとなった。
「――ば、ばかなぁぁぁぁぁぁ!!」
なぜ死に体だったレッドルビーにこれほどの力が……。あまりにも理解の範疇を越えたレッドルビーの反撃を受けたガスパイダーは、錯乱したように断末魔を上げる。
しかも、ガスパイダーにとってさらなる悲劇が続く。
「――がはぁっ……! レッド、ルビィ! 貴様、どこをぉ――!」
レッドルビーの一撃は、ガスパイダーの身体を打ち砕くに飽き足らず、今の彼のコアとなるブラックボックス。奈緒が盛周に自慢するように見せつけた新型コアを抉り取っていた。
「か、返せぇ……! それ、はぁ――」
ガスパイダーの意識がそこまでだった。怪人たちのメインジェネレーターである新型コアを奪われた以上、以降の戦闘、襲撃活動をするのは不可能。
そして奪われた者の末路は……。
「申し訳、ありません。大首領――!」
機密保持のため、爆破処分。サブ動力を使った自爆であった。
結果として、ガスパイダーの自爆を至近距離で受けることとなったレッドルビー。
だが、その爆発自体は超能力の力場をバリヤーとすることで防ぐ。
しかし、敵であるガスパイダーを撃破したことで張り詰めていた精神の糸が切れ、彼女の意識は堕ちていく。
そんな彼女が見た最後の景色。それは――。
「――…………ぃ」
誰かがこちらに向かって駆けてくる。そんな光景だった。