もしも――
無意識に渚の頭を撫で、蕩けさせていた盛周に対して声がかけられる。
「――こほん、池田盛周?」
「……あっ」
その声を聞いた盛周は、しまった。という表情を浮かべて、声が聞こえてきた方へ向く。
そこには学院高校の担任である草壁楓の姿があった。
「……きさまらが幼馴染みだと知っているし、今あまり人がいないとはいえ、公衆の面前で羽目を外しすぎるのは感心できんな」
その言葉を聞いた盛周――ではなく、同じく聞いていた渚が恥ずかしさのあまり、沸騰したヤカンのように湯気を噴き出しながら顔を赤く染める。
「あ、あうあうぅ……」
「はぁ……」
狼狽える渚に、頭を抱える盛周。特に盛周は、目の前の渚もそうだが、楓もまた悩みの種になっているのだから、さもありなん。といったところか。
そして楓も楓で、盛周の反応になにか問題があることを察して、僅かに緊張している。もっとも、その問題。その原因が己にあるとは露とも思っていなかったが……。
そのことで辺りには微妙な空気が漂う。
たが、盛周はその空気を払拭するためにも楓に話しかける。
「……あぁ。えっと、とりあえずイチャついてるつもりはなかったんですが……。すみません」
「まぁ、そうだと思っていたが……。それよりも、もう授業は終わっているのだから、早く下校するように」
そう言いながら楓は廊下の窓越しに外を見る。
そこには彼女が言ったように、もう既に授業が終わった時間、簡単に言えば日が傾き、夕日が辺りを照らしていた。
それを確認した盛周は、彼女の言葉に頷くように答える。
「そうですね、それじゃ帰ります。さようなら、先生」
「あぁ、バベルの件もあるから気を付けて帰るように」
二人にとっては白々しいやり取り。しかし、ここに渚がいて、万が一にもバベルとの関係性を悟られる訳にもいかないので必要なことであった。
まぁ、半分パニックに陥っている渚相手には必要なかったかもしれないが……。
「おい、なぎさ。帰るぞ」
そう言って放心している渚の手を取る盛周。
彼が自身の手を握った感触で正気に戻った渚は素っ頓狂な声を上げる。
「――ひゃ、ひゃい! ……ち、ちかくんっ!」
「……どうした?」
「な、なんでもないのっ! ……先に下駄箱行ってるね!」
上擦った声でそれだけ告げると脱兎のごとくかける渚。
そんな姿を見た二人は、互いに顔を見合わせて苦笑する。
そして盛周は最後に楓へ会釈すると渚の後を追うのだった。
二人の生徒を見送った楓は、僅かとはいえ緊張していたのをほぐすようにため息をつく。
そして先ほどのやり取りで感じていたことをポツリと呟く。
「いくら盛周さまが、あの娘と幼馴染みとはいえ、護衛の観点からするとあまり近づいてほしくはないのだけど、ね……」
正直、楓にとって渚、レッドルビーは敵ではあるが、それを除いて一人の教師として見ると好ましい生徒であるのも確か。
だからこそ可能であれば敵対したくない、と思ってしまう程度には絆されてしまっている。
もっとも、バベル四天王としての彼女は敵である渚に容赦するべきでない、と感じているのも事実。
しかし、だからこそ思ってしまうのだ。
もし、彼女が力を得ていなかったら。もしくは、バベルの味方となってくれていたら、と。
そうすれば、また違う道もあった筈なのだから。
しかし、それはもしもの話。
今の現実では彼女とは敵対し、あの裏切り者のガイノイドとともに立ちはだかっている。
そうなっている以上、そんなもしもに想いを馳せても意味がない。
そんなもしもに想いを馳せるよりも、盛周の、大首領の命を遂行するために、新たなる計画を策定を急ぐ。
もっともその前に、表の、カバーのための身分である教師の仕事を終わらせるために気合いをいれるのだった。