邂逅
政府直轄の組織バルドルの司令、南雲千草。
彼女は今、平和を謳歌している立塔市の市街地を鼻歌交じりに散策していた。
いくら彼女がバルドルの司令とはいえ、流石に休日が一切ない。というのは――政府公認の組織であるという意味と、所属している人員の健康面と言う双方の意味で――流石に問題になるからだ。
もっとも、彼女の場合。司令と言う組織の意思決定権を持つ立場もあるため、連絡が来た場合即応しなければならない。という悲しい立場でもあるのだが……。
しかし、それはあくまでことが起きた場合の話。
バベルの思惑は不明だが、現在は完全に鳴りを潜めており、そのことで対バベル組織であるバルドルも開店休業状態。
もちろんバベルに関わらない業務も存在しはするが、それでも司令である千草が出張るような緊急性の高いものはないことから、彼女は久々となる完全オフを楽しんでいた。
惜しむらくは、今日が平日であり目に入れても痛くない愛娘の霞が学校に行って不在だということだろう。
それに、彼女がなにかと気に掛けている渚も同じく、といったところか。
もし、今日が休日であれば千草は嬉々として三人でのお出掛けプランを作成。……というよりも既に30以上作成してあるプランから、どれを採用しようか。と頭を悩ませていたことだろう。
もっとも、彼女にとってそれは嬉しい悲鳴。というやつであったのだが……。
そもそもなぜ彼女が渚をそこまで気に掛けているのか?
義理とはいえ愛娘の霞と出会う切っ掛けを与えてくれた、というのも勿論ある。それにその霞が気に掛けていることから、自然と、というのも確かだ。
だが、それ以上に南雲千草は真波渚に負い目を感じている。
それは、彼女が渚をスカウトしてしまったから。
スカウト自体は英断だったと言える。しかし、それでも結果として民間人、守るべく立場の彼女を鉄火場に投入し、挙げ句の果て、結果論であるが彼女を両親と死別させ、天涯孤独の身としてしまった。
……本当なら、彼女を引き取ってくれる親戚もいただろう。しかし、それを渚は望まなかった。
もし、今度はその人たちが死んでしまったら、と……。
本来、そんな心配事を取り除くことこそがバルドルの役目なのに。よりによって善意の協力者の家族を死なせ、被害者である少女に逆に気を使わせている。
そのようなことを起こさせないための対バベル、バルドルの筈なのに。
だからこそ千草は、せめて渚が少しでも幸せになるようにあらゆる手を打とう、と彼女を気に掛けている。
それが欺瞞、偽善である。というのは理解している。
それに所詮、自己満足。自分の罪の意識を逸らすためだろう。などと言われたら、恐らく反論できない。
実際、心の奥底ではそんなことを考えているかもしれない。というのは否定できないから。
それでも渚には、彼女に幸せになってもらいたい。という想いは本物だ。
だって、それは彼女の両親と同じく、義理とはいえ愛娘をもつ――。
いつの間にか、考えに没頭していたのだろう。急に身体に衝撃を感じて、千草は尻餅をつく。
「きゃっ……。あ、ごめんなさい――」
考え事のし過ぎで通行人にぶつかったことを遅まきに理解した千草は相手に謝罪する。
しかし、謝罪する際相手を見た千草は、そのぶつかった相手が自身よりも遥かに小柄だったことに驚く。
それこそ背丈だけで見れば自身どころか、霞や渚よりも小柄で一見すると中学を卒業するかしないか、程度の年頃に見えた。
もっとも、相手は全身を外套で覆い隠していたため、本当にそうであるのかは不明だったが……。
むしろ、現状の立塔市ではそのような格好、歯に衣着せぬ言葉で言えば不審者が闊歩しているのは大問題と言えた。
そのような姿から、念のため警戒し、最悪の場合を考え、千草はポケットに忍ばせていたバルドルに緊急警報を発令できる警報器に手を伸ばす。
しかしそんな彼女の考えを知ってか知らずか、ぶつかった不審者は心配そうな様子で彼女へ手を差し伸べる。
「大丈夫? ボクの方こそごめんね?」
どことなく幼く、それでいて千草のことを心配していることが分かる音色で問い掛けてくる――声色的に恐らく少女――の様子に毒気を抜かれる千草。
しばし彼女の手を取るか逡巡するが――。
「……ねぇ、早く立ち上がらないと見えちゃうよ?」
彼女の言葉で、何が見えるのか。と一瞬考えた千草だったが、今の己の服装が何時もの司令服のパンツスタイルではなく、タイトスカートであることを思い出す。
そして今、自身の格好は尻餅をついて少し、本当に少し足を広げた状態で……。
それで何が見えるか、などというのは愚問な訳で――。
それに気付いた千草は頬を紅潮させ、慌てた様子で彼女の手を取る。
「それじゃ、いくよ? ……よっ、と」
すると不審者な格好の彼女は、小柄な体躯とは想像のつかないほどの力強さで引っ張り、千草を立ち上がらせる。
そんな彼女の力強さに目を白黒させる千草。ただ、彼女がそんな状態になっているのはそれだけが理由ではなく……。
外套の中に見えた白髪。その奥に見えた顔にすごく見覚えがあった。
しかし、千草が知っている彼女は白髪ではなく銀髪だった筈。
それでも、不思議と他人とは思えず、千草は無意識のうちに彼女と顔が酷似している少女。現在音信不通となっているヒロインの名前を口にする。
「レオーネ、ちゃん……?」
しかし不審者然とした彼女はその名前に反応することはなく――。
「大丈夫そうだね。それじゃ、ボクはこれで――」
立ち上がった千草を一瞥すると、脇を通り抜けるように去っていく。
「……ぁ! ま、まって――」
少しの合間放心していた千草は、慌てた様子で後ろを振り返る。しかし、そこには先ほどまでいた筈の少女の姿はなく――。
「ゆめ、だったの……?」
想わず呆然と呟く千草。
そんな彼女を見下ろす影が、とあるビルの屋上にあった。
それは先ほどまで千草と話していた筈の不審者然とした少女。
その時、突如として吹いた突風が彼女の外套。そのフード部分を捲りあげる。
そこには白髪の、以前官房長官と密会していた女性の姿が――。
その女性は懐かしむ様子で口を開く。
「いやぁ、まさかこんなとこで千草さんと会うなんて、ねぇ……?」
その口調は明らかに千草と顔見知りだということの証で。
「今はまだ、ボクがここにいることは秘密なんだから、バレないようにしないと、ね」
そう言って踵を返す女性。
そう、千草の直感は正しかった。
彼女の名はレオーネ。
バウンティーハンターの称号とともに敵には悪鬼のごとく疎まれ、味方からは神のごとく崇められた、かつて最強クラスとも謡われたヒロイン。
バウンティーハンター-レオーネ、その人であった。