東雲秋葉 Begin
――アタシにとってあの娘は親友だった。だから、あの娘を救うためならアタシは……。
アタシの名前は東雲秋葉。どこにでもいる普通の女子中学生……だった。
まぁ、他の娘たちからすると普通というにはちょっと語弊があるのかもしれないけど。
というのも、ある意味アタシの容姿が他の娘たちにとって羨む、は、ちょっと違うかな。人気が出るものだったから。
自分で言うのも烏滸がましいけど、すらりと伸びたモデル張りの高身長に、凛々しく中性的と表される甘いマスク。
……胸は、同世代と比べたら控えめだけど、それが逆に同年代の女子には刺さったんだ。宝塚系とか、王子さまとか……。これはアタシの通う中学が女子校だったってのも理由だと思うけど。女子校じゃ、男と出会うことなんて早々ないからね。
……でも、でもね。アタシも女の子なんだ。可愛い服とかには興味あるし、実際に着てみたい。……似合わない、なんて分かってても、ね。
だから、なのかな? アタシはいつの頃からか、ヒロインに対して憧れ、憧憬の念を抱いてた。
だってあの人たちは、可愛くもカッコいい人たちの集まりだったから。
特に、この立塔市で活躍してるレッドルビーとブルーサファイア。二人は身近に存在するヒロインだったから、ことさらに。
でも、それを表に出すことはあまりなかった、かな。
だって、それはアタシっぽくなかったし、そんな姿を見られて幻滅されるのが嫌だった。
だから、なんだろうね。いつの頃からか、人前ではカッコいい自分を演じて、家のなか。アタシ自身の部屋でだけ、本当の自分をさらけ出すようになってた。
……そんなことして、疲れないのかって? 疲れるに決まってるだろ。でも、それしか方法がなかった。アタシには他の冴えたやり方なんて思いつかなかった。
本当にきつかったな、あの時は……。
そんな時に出会ったのがあの娘。春菜、西野春菜だった。
あの娘は、アタシと違ってすごく女の子らしい女の子だった。アタシと同じ高身長ではあったけど、出てるところは出てたし引っ込むところは引っ込んでたし……。
それでいて、濡烏のような長い髪をポニーテールにして、穏和な笑みを絶えず浮かべてた。
そんなあの娘は、他の娘たちと違ってアタシを女の子として見てくれた。
……嬉しかった。あの娘に、アタシが女の子だと認めてもらえたことが。アタシはどうしても良く言えばサバサバした。悪く言えば大雑把な性格だったから、特に男の子として見られることが多かったから。
もちろん、最初の頃は困惑したけどね。
こんな男っぽいアタシを女の子扱いしてくるなんて思っても見なかったから、さ。
でもあの娘、春菜と一緒にウインドショッピングにケーキバイキング。それに化粧品選びと、色々遊びに行くことが増えて。
ああ、この娘になら自分を隠す必要なんかなくて。
そう思ったら、自然と肩の荷が下りたんだ。
……まぁ、それで自然体になったら、今度は別の娘たちからお姉様、なんて慕われ方するのは予想外だったけど。春菜もお姉様なんて言って、くすくす笑いながらからかってくるし……。
それでも、アタシは確かに幸せだったよ。あの娘が春菜が行方不明になる、その時までは――。
「……春菜、どこ行ったんだよ!」
夜闇の中、秋葉は宛もなく照明に照らされた道を駆けずり回る。
原因は一本の電話。親友の、西野春菜の両親から掛かってきた春菜が家に来ていないか、という確認の電話だった。
その日、秋葉と春菜は帰宅途中に商店街を軽く散策していた。
そして、何事もなく。明日、また。と言い別れたのだ。
その時、春菜に不審なものは一切感じなかった秋葉。ただ、当たり前の日常が続くと思っていた。
しかし、春菜の両親から掛かってきた電話でそんな思いは脆くも崩れ去った。
春菜が未だ帰宅していないという一報。それを聞いた秋葉は両親の静止も振り切り、家を飛び出した。
なぜ、あの時アタシは春菜と別れてしまったのか。その思いだけが彼女の心に占める。
あの娘は、家出をするような娘じゃなかった。そんな悩みを見逃すほど浅い関係ではない、と秋葉は自負していた。
だが、それじゃ春菜はどこに消えたのか?
なにか事件に巻き込まれてしまったのか?
そのことが心配になり、秋葉はいてもたってもいられなくなった。
もし、彼女がなにかに巻き込まれていたら、怪我でもしてたら……。
嫌な想像ばかりが頭をよぎる。想像を振り払うように頭を振る秋葉。
――きっと、春菜は無事。だから、いち早く見つけないと!
何度も自身に言い聞かせる秋葉。そうでもしないと、心が折れてしまいそうだから。
今は鳴りを潜めているとはいえ復活したバベル。最近囁かれているファンタジーに出てくる化け物の噂。
単純なものだけでもこれだけの危険が立塔市に存在する。
……待っていればヒロインが、レッドルビーにブルーサファイア。それに最近活動を再開したバウンティーハンター、かの最強の呼び声高いレオーネが助けてくれるかもしれない。
だけど、秋葉はそれを待つ気になれなかった。
――不安に思ってるかもしれない。助けを求めているかもしれない。
そんな親友を見捨て、ただ待つだけなど彼女に出来るわけがない。
東雲秋葉は西野春菜に心を、そのあり方を救われたのだ。
――だから今度はアタシの番だ!
彼女が意気込むのも無理からぬ話だった。恩人にして親友、そんな大事な人を助けるのに尻込みするわけがなかった。
たとえ、それが蛮勇と評されても、だ。
そんな決意を固めている秋葉の耳になにか、音が……。
もしかしたら、そこに春菜がいるかもしれない。
一縷の望みを託し、音がする場所へ急ぐ秋葉。しかし、そこには――。
「――なんだよ、あれ……」
そこには散々暴れまわったのだろう、破壊された瓦礫を散乱させ、月に向かって遠吠えをする化け物。その姿は伝承に出てくる狼男のようで――。
反射的に建物の影へ身を隠す秋葉。
彼女の心臓は現実にあり得ないものを見た恐怖と興奮で、ばくばくと痛いほどに脈打ち、顔もまた恐怖で引きつっているのを自覚した。
――逃げなくちゃ!
それだけが秋葉の意思を支配する。
万が一、あの化け物に見つかってしまえば何の力も持たない秋葉の末路は考えるまでもない。
でも、秋葉の足は動かなかった。
怖いのもある。事実、秋葉の足はがくがくと恐怖で震えていたし、彼女が穿いているスカートの中。大事な部分が少し、ほんの少しであるが湿り気を帯びていた。
逃げなければ死ぬ。そのことは理解している。だけど、もし……。
あの先に恩人が、春菜がいたら――。
彼女の冷静な部分がヒロインを待つべきだ。警察に、自衛隊に連絡を入れるべきだ。と、煩く騒いでいる。
そんなこと分かっている。あの化け物に立ち向かうこと自体蛮勇であることも含めて、だ。
――逃げるべき。
――立ち向かうべき。
相反する意思を抱え混乱する秋葉。
そして、混乱していたからこそ彼女は失態を犯してしまう。
――じゃり。
「……しまっ――」
無意識に足を踏み込んでしまった結果、周囲に散乱していた瓦礫の欠片を踏み、音がなる。
それは自身がここにいる。という意思表明をするに等しくて……。
化け物が、狼男が音のした方角へ視線を向け、秋葉を見つける。
そして、狼男は獲物を見つけた。とばかりに、にたり、と醜悪な笑みを浮かべると――。
「アォォォォォォォォォォォォォン――――!」
これから貴様を狩るぞ、と宣言するように遠吠えを上げる。
遠吠えを聞いた秋葉の身体から、どっ、と汗が噴き出る。
もう、一刻の猶予もない。逃げなければ――!
「――――」
秋葉は声なき悲鳴を上げて逃げ出す。
そんな哀れな獲物を、狼男は蔑むように見つめていた。
反射的に逃げ出した秋葉であったが、彼女の冷静な部分はあの化け物から逃げおおせるのは不可能だ、と告げている。
それも当然だ。狼男は人の狡猾さと、狼の嗅覚、身体能力をあわせ持つ化け物。
ただでさえ身体能力が劣っているのに、人の知恵まで得ている化け物に勝てる訳がない。でも――。
「……諦めたら全て終わるっ! だから――」
諦める訳にはいかない。それがどれほどか細い希望であっても。しかし――。
「……ぁ、ぐっ――!」
秋葉の肩が熱く、いや、これは痛みだ。あまりの痛みに熱と勘違いしたのだ。
痛みを感じた衝撃で足を縺れさせ転ぶ秋葉。彼女は痛みを感じる肩へ手を添える。
ぬるり、とした感触。そして鼻には、つん、とした鉄の臭いが……。
そこで秋葉は、このぬめりの正体が血だと気付く。狼男の鋭利な爪で服ごと切り裂かれたのだ。
だが、なぜか狼男はそれ以上秋葉に近づいてこない。今の痛みに踞る秋葉であればすぐに仕留められるにも関わらず、だ。
獲物を嬲る趣味でもあるのか、思わずそう考える秋葉。
そんな彼女のもとに第3者の声が聞こえてくる。
「……きみ、こっちだもん!」
子供の声にも聞こえるハスキーボイス。その声を聞いた秋葉は焦る。
――このままじゃ、この声の主も巻き込んじまう!
そんなこと、許せる訳がなかった。しかし、声の主は秋葉の意思を嘲笑うかのごとく……。
「早く、こっちに来るもん!」
なおも秋葉に向かって声をかけ続ける。
「くそっ……!」
このままでは声の主が先に狙われるかもしれない。なら、囮になるにしても、何にしても一度合流するしかない!
秋葉は苛立ちながらも声の主のもとへと向かう。
「おい、あんた! はやく、に、げ……?」
早く逃げろ! そう声の主へ言おうとして固まる秋葉。そこには子供ではなく、アライグマをディフォルメしたようなぬいぐるみが鎮座して……。
「…………は? ぬい、ぐるみ――?」
「失敬な! オイラにはアグ、という立派な名前があるもん!」
ぬいぐるみが喋ったことに、とうとう思考放棄する秋葉。
狼男に喋るぬいぐるみ、と立て続けに現実離れしたことが起きて、完全に理解を越えたのだ。
しかし、現実逃避をしている時間などない。
「――――!!」
遠くから聞こえてきた咆哮。ふたたび狼男が動き出したのだ。
「まず――――!」
強制的に現実へ戻された秋葉は焦りで顔を歪ませる。
そんな時、アグが秋葉へ声をかける。
「きみ、名前を――」
「……は?」
「名前だもん、な、ま、え!」
目の前にいる不思議生物の要求に、半ば自暴自棄になった秋葉は答える。
「……秋葉、東雲秋葉だ!」
「なら秋葉、きみに力をあげるもん!」
「……は? ――――ぁ、んぅ!」
アグの力をあげる、という言葉に困惑する秋葉。
しかし、すぐにアグから流れ込んできた何かを感じて、矯声をあげる。
まるで身体を包み込むように、そしてまさぐるように全身に快感が駆け巡った。
その快感を受け、頬を紅潮させる秋葉。
だが。その直後違和感に気付く。
――肩の痛みが、ない……?!
先ほどまでじくじく、と秋葉の身体を蝕んでいた痛みが消え失せていた。
そのことに驚き思わず肩を見る秋葉。そして彼女は驚愕の声をあげる。
「何じゃ、こりゃあぁ――!!」
先ほどまでは間違いなく秋葉は自身の私服。スカートこそ穿いているが、どちらかといえばボーイッシュさを感じる服を纏っていた。
しかし、今は全身にフリルをあしらった、可愛らしさを前面に押し出した深紅のドレスを身に纏っている。
そのことに、先ほどとは別の理由で頬を紅潮させる秋葉。
確かに、可愛らしい服を着るのは夢だった。だが誰もいないとはいえ、公衆の面前で、しかもコスプレっぽいドレスを着るのは何か違うだろう――!
それが、秋葉の偽らざる気持ちだった。
内心でノリ突っ込みを行っていた秋葉だが、そんな彼女へアグが叫ぶ。
「秋葉、来るもん!」
「グ、ゥゥゥゥゥゥ――!!」
いつの間にか、秋葉の目の前には狼男の姿が――。
「ひっ――」
思わず悲鳴を上げる秋葉。
秋葉の悲鳴に隙を見出だした狼男は彼女めがけて突貫する。
そして狼男の狂爪が秋葉に迫る。
「――秋葉!」
「……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――!」
しかし、狼男の狂爪が彼女に届くことはなかった。彼女が無意識にとった回避行動。それが功を奏した。もっとも、彼女自身にとっては予想外であったのだが。
「……? うぇっ?!」
攻撃の痛みを感じなかった秋葉は、いつの間にか閉じていた目を開き、驚愕した。
本当に、いつの間にか狼男との間合いがかなり開いていた。
「これがきみにあげた力。魔法少女の力だもん」
「魔法、少女……?」
アグの言葉を聞いた秋葉は己の両手を見つめ、握りしめる。
「アタシの力……。これなら――!」
あの化け物相手でも戦える。それこそ、ヒロインのように!
秋葉はそう思い、覚悟を決めると拳を突き出し構えをとる。
「いくぞっ!」
秋葉は今までのお返しとばかりに、今度は自ら狼男へ突撃する!
「はっ――! やぁ――!」
「グッ――!!」
突如として反撃してきた秋葉に狼狽した狼男は、もろに攻撃を受けてしまう。
頬を、腹を、鳩尾を拳の衝撃が貫いていく。
「まだ、まだぁ――――!」
秋葉は追い討ちとばかりに、今度は足払いを仕掛け体勢を崩させると馬乗りになってラッシュ、ラッシュ!
狼男をボコボコにしていく。
秋葉の連打を受けた狼男は、どんどん動きが鈍っていく。
それを見て好機と思ったアグは秋葉に声をかける。
「秋葉、今こそチャンスだもん!」
「アグ……?!」
「魔法を、自分の内を見つめるもん!」
「自分の内……?」
アグから指示された通り、秋葉は目を閉じ瞑想する。
――己の中に、何か紅い光が……。これが、魔法?
自身の中にある何かを感じた秋葉。彼女は、その何かを解放するように呟く。
「……ファイア、ブレイド――――!」
彼女の力ある言葉とともに、手元に炎の剣が出現する。
「これが、魔法――」
そうして彼女は、半ば死に体となっている狼男を見る。
そこには意識が朦朧としているのか、虚ろな瞳を見せていた。
彼女はその姿を見て――。
「これで、とどめを――」
秋葉は立ち上がると、切っ先を狼男へ向け、そのまま突き立てる。
すると、炎が身体全体に広がり――。
「さようなら……!」
狼男の身体は完全に灰となる。それを見送った秋葉はアグに向き直り。
「アグ、っていったよな? 詳しく聞かせてくれるんだよな?」
そう、アグへ問いかけ、後にバルドルの面々が受けた説明を聞くことになるのだった。