魔物と情報
霞にどつかれた痛みで悶絶していた渚。
しばらくするとようやく痛みが引いてきたようで、渚は涙目で霞をにらむ。
「もう、なにするの!」
「……なにするの、じゃないのだけど」
霞の底冷えするような声。そこでようやく、なにかがおかしいと気付いた渚は辺りを見渡す。
そこには苦笑する千草に歩夢。そして、何とも言えない表情で己を見つめる秋葉に、そんな彼女の背に隠れるアグ。
その時点で渚は、自身がなにかしでかしたのだろうということに気付く。
もっとも、霞に殴られる以前の記憶がない――暴走して完全に意識が飛んでいた――ため、何をしたのかが分からない。
自身が何をしでかしたのか知るため、渚は恐る恐る問いかける。
「あのぅ……。わたし、なにかやっちゃいました……?」
その後、聞こえてくる複数のため息。それを聞いて、身体をびくつかせる渚。
――確実に何かしでかしてる!
疑問は確信に変わってしまった。そのことに乾いた笑いしかでない渚。
しかも、普段怒らない霞がぶちギレ、思いっきり殴られていることから、相当不味い部類である可能性が高い。
あ、これ。終わったかも……。心の中でそう思う渚。
……ちなみに、怒れる霞から一部始終を聞いた渚は即座にアグと秋葉に土下座するのであった。
ひとしきり行われた漫才のような一連の行動のあと、少しづつ辺りが落ち着いてきたのを見計らって改めて千草が秋葉に話しかける。
「それじゃ、改めて自己紹介から。私の名前は南雲千草。ここ、対バベル用秘密組織【バルドル】の司令官です。で、こっちが――」
「私は水瀬歩夢、バルドルの統括オペレーター。まぁ、分かりやすく言うと、実質的な千草の副官。という立ち位置かな?」
「あら? 歩夢、ようやく副司令になる決心をしてくれたの?」
「するわけないでしょ、あくまで彼女に分かりやすく説明するために、よ」
「それは残念」
千草と歩夢は自己紹介しつつも、軽快なやり取りを見せる。
そんな二人のやり取りを真剣に見ていた秋葉。彼女にとって、二人はヒロインの直属の上司。つまり、本来見ることが出来ない裏方の人物たちなのだから、好奇心を刺激されていた。
もっとも、二人は秋葉の真剣な様子に照れ臭そうな笑みを浮かべる。
もともとバルドルという組織自体、ヒロインたちの活動を支援する目的で生み出された以上、世間に活動を露出させることはあまりない。
むろん、公的な政府機関である以上、意図的に存在を隠す。ということは行っていないが、それでも組織自体は知る人ぞ知る、といったところだ。
世間一般からすると華やかな見た目と、きらびやかな活躍をするヒロインに注目が集まるのが当然の話で、その活躍を支える地味な組織が日の目を浴びることは少ない。といえば理解しやすいだろう。
しかし、千草たちからするとそれで問題なかった。なんと言っても彼女らからすれば渚や霞に身体を張らせ、自身らは安全地帯にいて指示を出しているだけなのだ。
その状態で、どうして私たちは頑張っています。などと声を高らかに上げられようか。特に千草からすれば霞は、義理とはいえ娘。
そんな彼女を危険な場所に送りながら、誇らしげに功績を嘯くなど、完全な道化ではないか。
彼女としては、そんな恥知らずにだけはなりたくなかった。
そんなことを思っていた千草たちの前に現れたのが秋葉だ。
彼女がヒロイン好きだというのは今までの渚たちとのやり取りや、バルドル基地へ来た際。純粋な子供のように瞳を輝かせていたことからも理解できる。
だが、そんな娘からヒロインたちを見つめる時と同じ熱量がこもった視線を浴びるとなると、流石の彼女たちも照れ臭く、こそばゆかった。
実際、彼女らも何度かヒロインが好きという少年少女と交友したことはあるが、やはりどうしてもレッドルビー、ブルーサファイア両名に人気が片寄っていたのが実情。ゆえに、秋葉という少女の存在は珍しく、そして好ましく感じていた。
かといって、彼女らは自身の本分を忘れたつもりはなく、多少声を震わせながらも秋葉に、そしてアグに問いかける。
「それで、ね。秋葉さんとアグさんには、あの怪物。貴女たちが魔物、と呼んでいたものについて教えてほしいの」
「魔物のことですか?」
「ええ、なにしろ私たちが今まで戦ってきたのはバベルの怪人。改造人間たちで、今回のファンタジー的な不思議生物とは戦闘経験がないから」
「なるほど……」
千草の言葉に納得する秋葉。実際、彼女もレッドルビー、ブルーサファイアの戦績などある程度調べているが、そこに魔物の類いとの戦闘は記録されていなかった。
完全なる未知の敵。ヒロインたちの安全を考えるなら、一つでも情報が多い方が良いに決まっている。
「良いよな、アグ?」
「仕方ないんだもん」
秋葉の問いかけに、アグは不承不承ながらも同意する。
アグとしても相棒たる秋葉。彼女の頼みは無下に出来なかった。
「それじゃ、オイラから説明するもん」
そうして、魔物についての知識を話そうとするアグ。
……特に意味のないことだが、なぜか渚だけ、アグが自身のことをオイラ、と言ったことになぜか感動していた。
もっとも、他の者たち――アグも含む――からすると全く関係ないことなのでスルーし話を続ける。
「今回戦った魔物の種族名はオーガ。高い膂力と耐久力で殴り合いをするのが得意な魔物だもん」
「……オーガ、ある意味そのままな名前なんだね」
先ほどまで謎の感動を覚えていた渚は、アグから出てきた魔物の名前を聞いて、そう呟く。
千草にしても、イメージ通りの名前であれば管理しやすくなる、という利点があることから少し表情を柔らかくしていた。
しかし、次にアグが発した言葉を聞いて驚くことになる。
「それはそうだもん。だって、こちらの世界に伝わっているオーガは、もともとオイラたちの世界出身だもん」
「……は?」
驚きで口をあんぐりと開ける渚。
霞など他の面々も、渚ほどではないがそれぞれ驚きの表情を浮かべていた。
「……ちょ、ちょっと待って! それってどういうこと!」
驚きのあまり、アグに詰め寄る渚。
そんな渚を、この中で唯一驚いていなかった秋葉だけがうんうん、と頷いていた。……まるで、かつての自身を見るような目で。
「そのことを説明する前に、まずはこの世界とオイラたちの世界。二つの世界の関係性を話す必要があるもん」
どこまでも淡々と話すアグ。
そんな彼? に、バルドルの面々は耳を傾けるのであった。