あなたのために出来ること
渚が泣き止むまで優しく抱きしめていた盛周。そして彼は、ようやく涙が止まってきた渚の頭を優しく撫でる。
頭を撫でられる心地よさと、ほんの少し感じる恥ずかしさから頬を赤く染める渚。
そんな彼女であるが、身動ぎして抱きしめられている腕の中から逃れると、真剣な眼差しで盛周を見つめる。
「ねぇ、チカくん……」
「なんだ……?」
彼女の真剣な様子に盛周もまた居住まいを正す。
「チカくんはなんでバベルに――、ううん。……バベルから離れる。関わらないように出来る?」
「なんだと……?」
それはある意味直接的な、渚からのお願いだった。
しかし、そのお願いを盛周が呑むことは不可能だ。それは彼が大首領であることもそうだし、それ以上に――。
「……無理、だな」
「なんで……!」
「そんなの決まってる。俺はあの人たち、親父とお袋の願いを継ぐと決めた」
「……!」
渚の目をまっすぐ見つめて宣言する盛周。
そのことで渚は、盛周がどういう立場にいるのか完全に理解する。
あの人たち、両親の願いを継ぐ。ということは彼もまた先代と同じ立場にいる、ということ。すなわち彼こそが大首領、アクジロー。
「そう、チカくんがアクジロー。…………?」
盛周の立場を、新しいバベルの大首領であるということを完全に理解した渚。しかし、同時にとんでもないことを忘れている気がして首をかしげる。
それを思い出すために過去の出来事を、詳しく言えばアクジローとの出会いを――。
「…………~~!!」
…………思い出して渚は全身を赤く染め、瞬間沸騰したヤカンのように湯気を噴き出す。
――胸を触られた。しかも大好きな、想い人の男の子に。
あの時は見知らぬ男だと思い嫌悪感が先にきた。しかし、それが盛周だったというのなら話は別だ。
しかも、あの後。確か胸を触られたことで変態、と罵詈雑言を投げかけたような……。
そのことで今度は顔が青くなる渚。
一人百面相をしている彼女を見て、盛周は不思議そうにしている。
「……おい、なぎさ?」
「――ひゃい!」
急に盛周から声をかけられたことで、渚は素っ頓狂な声を上げる。
慌てて盛周を見る渚。そこには心配そうに己を見つめる彼の姿が。
その姿を見て渚は胸が高鳴る。わたしを見てくれてる、心配してくれてる。
まさしく天にも昇る気持ち、とはこの事を言うのだろう、と渚は高揚している。
そんな渚を尻目に、盛周は何度も顔色が変わる渚を、本当に大丈夫なのか? と見つめる。
彼女の内心がわからない盛周からすれば、赤くなったり青くなったり、心臓に負担がかかっているのでは? と、思うのも無理はない。……まぁ、別の意味で心臓に負担がかかっているのは間違いないが。
ともかく、渚のことを心配した盛周。彼が行った次の行動で、奇しくも渚の心臓にさらなる負担をかけることになる。
「ちょっと、おでこ見せてみろ」
「ふぇ……? うぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ――――!」
渚の体調を確認するため、盛周は彼女の前髪を上げるとそのまま接近。自身の額と彼女の額をくっつける。
本人からするとただ単に渚の熱を測るための行為だったが、彼女からするといきなり想い人の顔がどアップに。それこそ、後少しでも下にさがればキスできそうなほど近づいているのだから、たまったものではない。
現に渚はあわあわ、とパニックに陥っていた。そして――。
「――――きゅう」
「お、おい? なぎさっ、なぎさ――!」
最後には精神的に限界が訪れたようで、渚は目を回しながら気絶。
急に気を失った渚を見た盛周が今度は慌てることとなるのであった。
気絶した渚であったが、ほどなくして意識が少しづつ覚醒してくる。しかし、彼女自身は気絶した、という自覚はなく、あくまで眠りから目覚めたつもり、だった。故に――。
「……う、むぅ――」
寝ていた渚はまくらがいつも使っているものよりも何故か固く感じて顔をしかめる。でも、それとは別にまくらから良い匂いが漂ってきて……。
「うぇへへへ……」
すぐに顔を綻ばせる。その顔はなんとも幸せそうだった。そのまま匂いを堪能するように渚は身動ぎする。すると、彼女の腰になにかが触れる感触――。
「――おい、危ないぞ」
そこで渚の意識は完全に覚醒する。今の声は間違いなく盛周。そして、先ほどまで彼と話していた筈――!
その時、ようやく渚は今まで固いと思っていたまくらの正体に気付く。
盛周の太股だ。渚は彼に膝枕をされソファーで眠っていたのだ。
そして先ほど身動ぎした時、彼女がソファーから落ちそうになったため盛周が腰に手を添え、支えたのだ。
後れ馳せながら事実に気付いた渚は――。
「――――!」
声なき悲鳴を上げる。……まぁ、起きたら想い人の膝で眠ってました。という状況では然もありなん、といったところだろう。
そんな渚を、盛周は微笑ましそうに見つめていた。
意識が完全に覚醒した渚は、改めて盛周と向かい合っていた。もっとも片方は、恥ずかしさやら嬉しさやらで顔を紅潮させつつ俯き、もう一方はそれを微笑ましく見つめていたわけだが。
そんな中、渚は無理矢理にでも話を進めるため盛周へ話しかける。
「ねぇ、チカくん。バベルのことは無理なんだよね?」
「あぁ、それは。たとえ誰に言われても、な」
彼女の質問に真剣な様子で答える盛周。そのことに渚は、やっぱり説得は無理だと思わされる。
だが、それと同時に彼女の中にあった意識の一つに変化をもたらした。
今まで彼女にとって、バベルとは盛周に危害を加えるかもしれない敵、という認識だった。
しかし、その大前提が崩れたのだ。
盛周自身がバベル大首領、という事実によって。
即ち、バルドル所属のレッドルビーとしては倒すべき敵であることには変わらないが、真波渚という個人からすると絶対に倒さないといけない敵ではなくなった。
むろん、両親の仇。という意味では今も敵対する理由はあるが、それを言うならあくまで先代。盛周の両親が率いていた旧バベル時代のことであり、仇討ちという意味では既に達成している、ともとれる。
ならば、その部分には拘らなくていい筈だ、と渚は考える。
ならヒロイン、レッドルビーではなく、真波渚として何をしたいか?
渚は自問自答し、一つの結論を導き出す。
「ならさ、チカくん」
「……ん?」
「おじさんやおばさんが目指してた夢、願いってなに?」
「それを知ってどうするつもりだ?」
盛周が抱いた疑問、それは同時に明確な拒絶でないことを察した渚は、自身が考えたこと。やりたいことを告げる。
「もし、もしかしたらわたしだって手伝えるかもしれない。ううん、出来れば手伝いたいの。チカくんのこと」
「……正気か? お前はヒロインだろうに」
「正気だし、本気だよ?」
真剣な、覚悟を決めた表情を見せる渚。
しかし、盛周も譲れないものがある。
「だが、俺はバベルだ。それなのにお前の――」
「関係ないよ」
盛周は自身を遮って発した渚の言葉を聞いて固まる。
「そんなの関係ない。わたしはバルドルのレッドルビーである前に、池田盛周くんの幼馴染み。真波渚だよ。だから、関係ない」
「なぎさ……」
渚の意思がこもった瞳にたじろぐ盛周。だが、そんなことは渚には関係ない。彼女は、彼女が思うがままに己の考えを口にする。
「それにおじさんたちがただ単に世界征服のために動いてた、なんて思わない。あの人たちなら、きっと他に目的があった筈、でしょ?」
「……」
彼女が発する勘の良い発言に押し黙る盛周。そして渚は、最後に彼女自身の望みを口にする。
「だから聞かせてほしいんだ。あの人たちが何を望んだのかを。そして、したいんだ。わたしがあなたのために出来ることを」
彼女の声には確かに、成し遂げたいという信念があった。
彼女の瞳には、たとえ拒絶されても、あなたのために出来ることをしたいという覚悟があった。
伊達でも、酔狂でもない。確かに、彼女は彼女の意思で言葉を発していた。
そのことを感じた盛周は――。
「~~しょうがねぇなぁ――!」
頭を掻きながら降参するように吐き捨てる。
そんな彼の様子に、渚は花開く笑顔を見せるのだった。