贖罪
渚がひとつの決意を固めた数日後、彼女の姿はとある場所にあった。その場所に立つ渚の顔には緊張と、何より高揚でうっすらと上気させている。
彼女が緊張した面持ちで佇む、その場所とは――。
「……チカくん、いる?」
家に設置されている呼び鈴を鳴らす渚。そう、ここは盛周の自宅。彼女にとって想い人、そして――。
『なぎさか? どうしたんだ、わざわざ家まで?』
「ちょっと話したいことがあって……。今、良いかな?」
『……? 構わないが……。今、開けるよ』
そのやり取りの少し後、かちゃり。と音がして玄関の鍵が開く音とともに盛周が姿を現す。
彼の目に見えた渚は、どこか悲しげな顔をしていた。
「それで、話。というのは?」
渚を居間に案内した後、盛周は簡単な飲み物としてホットコーヒーを用意し、彼女へ渡しながら問いかける。
先ほど玄関で見た渚の悲しげな顔。それを見た盛周は、彼女の用事がただ事ではないと感じていた。
そして、彼の予感は的中していた。
「ねぇ、チカくん」
「うん……?」
「チカくん、バベルと関わりが、あったりする……?」
恐る恐る、違っていてほしい。と願いながら確認する渚。
一方、問い掛けられた盛周は、ついにこの時が来たか。と、悟られないように気を付けつつ嘆息する。
秘密基地からブルーサファイア。霞が脱走した時からこの日が来るのは予想していた。しかし――。
(……思ったより早かったな)
盛周は、霞なら渚のことを慮り黙っていると思っていた。しかし、ここまで早いとなると……。
「かすみから聞いたのか?」
消極的な盛周の肯定。それに渚は誤魔化さないんだ、と思いながら問い掛けに答える。
「ううん、かすみからは聞いてないよ。でも……」
「……でも?」
「あの娘、チカくんのことを盛周さまって言ってたから」
「それは、まぁ……」
それは実質、自白してるのと同じでは? そう考えてしまう盛周。
そんなことを考えている盛周に、渚は不思議そうな表情を見せる。
「……誤魔化さないんだね」
「違う、と言えば信じるのか?」
「……それは」
「だろう? 既に確信を持つ相手にすぐバレる嘘をついても意味がないだろ」
盛周の指摘に何ともいえない表情をする渚。
確かに、盛周の指摘はその通りなのだが、それでも。彼女は、渚は盛周のことを信じたかった。
たとえ、それが欺瞞だったとしても、だ。
「それじゃ、チカくんはわたしがレッドルビーだってことも――」
「もちろん知っている。……というより、お前は隠す気があるのか? 普通に正体がバレかけてる、というよりバレてるけど……」
「…………はい?」
盛周から予想外の指摘を受け目が点になる渚。
そんな彼女の様子に呆れてものも言えない盛周。
盛周の態度を見て、渚は泡を食ったように問いかける。
「ちょ、ちょっとチカくんどういうこと?!」
「いや、どう言うこともこういうことも――」
盛周は手元のスマホを操作してとある画面を見せる。
それを見た渚は、反射的に画面に出ている文字を読む。
「……えっと、ヒロイン【レッドルビー】の正体のJKを愛でるスレ――――うぇぇっ?!」
それはネットに掲載されている匿名掲示板。その中にあるスレッドタイトルの一つだった。
慌てて盛周の手の中にあるスマホを奪い取り、掲示板を閲覧する渚。
そこには、自身も覚えがある行動の書き込みがいくつか書き込まれていた。
「……うそ」
画面を食い入るように見つめる渚。その顔は少し青ざめ、顔色が悪くなっている。
一応、最低限プライバシーに配慮――もっとも、掲示板に書き込まれている時点でないような気もするが――されているようで、そこまで踏み込んだ情報は書かれていない。
しかし、それでもやはり、自身のことについて書かれているという事実は、精神的にくるものがあるようだ。
呆然としている彼女からスマホを取り上げる盛周。
「……あっ」
「まぁ、そういうことだ。さらにもう一つ付け加えるなら、立塔市では、半ば公然の秘密になってるぞ。……それでも、学校。というより学生たちにはなんとか情報を遮断してるが」
「……そう、なの?」
盛周からもたらされた情報に首をかしげる渚。彼女からすると、学友たちにも既にバレていると思っていたのだが……。
「そういう情報操作はこちらの得意分野だからな。まぁ、それをお前の正体隠しに使うのは、どうかと思わなくもないが……」
「あぅぅぅぅ…………」
盛周の呆れを隠さない物言いに恥ずかしさで悶える渚。
「……でも、なんでチカくん。ううん、バベルがわたしの正体を隠蔽してるの……?」
「それは……。お前に教える必要があるか?」
「うっ……」
盛周からの明確な拒絶に渚は呻く。
もともと、バベルとバルドルは敵対しているのだから答える必要などない。
むしろ、何事もなく問答できているだけでもかなりの温情だろう。
それこそ、すぐに怪人が現れ戦闘が始まっても不思議ではないのだから。
それでも盛周が敢えて彼女と話し合いの時間を設けているのは……。
「それで? お前がここに来た本当の理由は、親父たちのことか?」
「……っ」
盛周の指摘を受け、渚の顔色が目に見えて悪くなる。
そう、彼女が盛周の自宅に来た本当の理由。それは彼の両親、先代大首領と副首領についてだった。
「……うん、そうだよ」
盛周の指摘を肯定した渚。彼女の表情には、僅かながら怯えが見える。
今から話すことは、彼女にとって罪であり、盛周に嫌われても仕方ないことだ。でも……。
「チカくんも、たぶん知ってるんだよね。わたしが、おじさんとおばさんを殺したこと」
それでも、そのことについて謝りたかった。たとえ彼に嫌われても。
自己満足かもしれない。偽善、迷惑なことかもしれない。
でも、知ってしまった以上。今までみたいに、何事もなく彼に隠し事を、二人を殺したことを隠しながら彼に笑顔を見せるのは無理だった。
だから、謝りたかった。……いや、そうじゃない。楽に、なりたかった。
これで嫌われても苦しい想いをするのは確かだ。でも、すべて隠し通して。なにも知らなかった時のように笑い続けるのも、単純に好きだ、という想いを彼に向けるのも無理だ。
彼と顔を会わせる度、話す度に二人を、盛周の両親を殺したという事実が渚の心を突き刺してくるだろう。
……だから、楽になりたかった。
嫌われてもいい、なんて口が裂けても言えない。
それでも、こんな想いを永遠に抱くよりはましだ。だから……。
「……ああ、知っている」
盛周の口から出た言葉を聞いて渚は、全身から汗が噴き出るのを感じる。
そのまま盛周は渚の近くへ寄る。
――叩かれる!
そう思った渚は恐怖で目を瞑る。
しかし、叩かれる感触はなく、それどころか。
「……えっ?」
ぎゅ、と抱きしめられる感触。彼の見た目より力強い腕の力と硬い胸板。そして心音が聞こえてくる。
そのことで、ようやく盛周に抱きしめられていることに気付いた渚は赤面する。
「なん……、え? な、なに――」
「気にするな、といっても無理か……」
混乱している渚の耳元から盛周の声が聞こえる。
「それに、なんでお前が謝る必要がある」
「えっ……?」
盛周からの問いかけを受け、さらに混乱する渚。
なんで、もなにも。盛周の両親を討ったのは渚なのだ。なのに……。
そこまで考えて、次に聞こえてきた盛周の言葉で頭が真っ白になる。
「それを言うなら、こちらの方がよほど謝罪が必要だ。おじさんとおばさんを殺しているのだから」
「あっ……」
思わず声がこぼれる渚。盛周が言うように、順番で言えばバベルが渚の両親を殺したのが先だ。それは間違いない。だが……。
盛周と、何よりも渚の脳裏に先代大首領と副首領が渚の両親の死んだ時期の前後。何かと渚について気に掛けていたことを思い出す。
もしかしたら、それは彼らなりの渚に対する贖罪だったのかもしれない。
そのことに気が付いた渚は一筋の涙を流す。
もしかしたら、両親の死は本当に偶然で。そのことであの人たちは渚がレッドルビーだと知りながらも良くしてくれたのかもしれない、と。
一度でもそう思ってしまったら、もう涙が止まらなかった。
あんな優しい人たちの命を奪ってしまった……。
そう想い、涙を流す渚を盛周は優しく抱きしめるのだった。