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★ランキング掲載作品★(下世話ですみません汗)

婚約者に捨てられたことのあるお堅め王女は、しかたなく嫁いだ政略結婚相手の愛に気づかない

作者: 幌あきら

1.

 その日、小さな島国ハーディ島から、海を渡った大陸の国に一人の花嫁がやってきた。

 それはハーディ島の第二王女シーラだった。


 まっすぐな栗色の髪、整った顔立ち。気品のある細い体つき。 

 なかなか見ごたえのある王女だったが、彼女を何より特徴付けるものと言えば、芯の強そうな黒い目だった。


 シーラ王女の嫁ぎ先はこの大国の第4王子、ジェイク。

 しかし、シーラはジェイク王子の顔は見たことがない。

 だって、これは政略結婚だったから。


 そして、シーラが王族であるにもかかわらず、大陸の船着き場でシーラを出迎えたのは、ジェイク王子の秘書の一人を筆頭に、護衛を入れてもおよそ10人。


 それが、小さな島国ハーディ島とこの大陸の国の力関係を如実(にょじつ)に表していた。小さな島国ハーディ島は大陸の国との良好関係こそ必須の外交案件で、このように王女を輿入れさせて同盟を成立させてなんとか生きながらえているのだ。


 シーラはこっそりとため息をついた。


「ハーディ島のシーラ様でいらっしゃいますか? 私はジェイク王子の秘書の一人、フィル・プレイフォードと申します。ジェイク様の名代(みょうだい)を務めさせていただきます」

 フィルと名乗った男はシーラの方に一歩踏み出し、(うやうや)しく挨拶をした。


「よろしくお願いいたします、プレイフォード様。私がハーディ島の第二王女シーラでございます」

 シーラも丁寧に挨拶を返した。


 シーラの少し高く張りのある声に、フィルは

「ほう」

と思った。これはなかなか。

「フィルで結構です、シーラ様。しばらくは私がシーラ様の身の回りのお世話を指揮させていただきます」


「そうですか。ではフィル。私が入るのは後宮でしたね?」


「はい、そうです。後宮内にシーラ様のお部屋はもう用意してございます。今からご案内いたします」


「よろしくお願いします」

 シーラはまた頭を下げた。

 が、心の中は落ち着かなかった。

 後宮。そこが私が人生過ごす場所。入ったら離縁(りえん)されない限り一生出られない場所。

 離縁(りえん)? それだってあり得ない。だって、私の結婚は同盟を強化するための政略結婚なんだもの。


 私はジェイク王子に望まれて(とつ)ぐわけじゃない。ジェイク王子が自分で選んで後宮に入れた女たちにはどうやったって勝ち目はない。

 私は……一生、一人寂しく後宮で暮らすのだ……。


「シーラ様?」

 フィルが(いぶか)し気にシーラの顔を(のぞ)き込んだ。


「あ、いえ、何でもございません」

 シーラは軽く頭を振って、笑顔を取り(つくろ)った。


 連れてこられた後宮は美しかった。

 建物も、装飾品も、いそいそと歩き回る侍女たちも。

 真っ白な白い壁。彫刻の(ほどこ)された柱。無数の()った燭台(しょくだい)。調和を持って飾られた芸術品の数々。そして抜けるような白肌に美しく化粧映(けしょうば)えする侍女たち。流行最先端と思われる仕立ての良い服に繊細な髪飾り。侍女ですらこうなのだから、()となると格別でしょうね。


「後宮には男性も入れるのですね」

 フィルが後宮を案内してくれることに一瞬違和感を感じて、シーラは言った。


「はい。昼間なら。決まった役職の者だけですけど」

 フィルは答えた。


 そしてフィルは意外にも、シーラを南向きの窓の大きな気持ちの良い部屋に案内した。

「こちらの部屋です、シーラ様」


「あの、フィル。私にはこんな部屋は勿体(もったい)ないんですけど」

とシーラは恐縮して断ろうとした。

 お飾り()で夫の渡ってこない私には、もっと隅っこの薄暗い部屋で十分だわ。そこでひっそりと暮らすのだから。偉そうにいい部屋なんかもらっては、侍女たちの陰口(かげぐち)が増えるだけだわ。


 しかし、フィルはきょとんとしている。

勿体(もったい)ない? 何をおっしゃいます、シーラ様。部屋は空き放題。せっかくなのでよい部屋をお使いください」


「は、はあ……」

 シーラは気後(きおく)れして仕方がなかった。

 見回せば、一目で手が込んでいると思われる家具が(そろ)えられている。

 しかも布類も肌触りの良い高級なものばかりだ。


「申し訳ありません。最初なのでこちらでご用意しました。お気に召しませんでしたか? これからご自分で徐々にお好みのように替えていただいて構いませんから」

 フィルは申し訳なさそうに言った。


「フィル。あなたは、こんな私にも気を遣ってくださるのね」


「こんなって何です。ジェイク王子の()になられる方なのですから当然です」

 フィルは少しむっとしたように答えた。


「……まあそうですよね。形だけだとしても、()ですものね」

 シーラは(つぶや)いた。


 その言葉はフィルには聞こえなかったようだ。

 フィルは気を取り直して、コホンと咳払(せきばら)いをした。

「ところでシーラさま。結婚式は2か月後を予定しておりますがよろしいでしょうか? ほとんどの手配は済んでおりますので、あとはドレスのサイズ合わせとか……」


「え? 結婚式? そんなことするんですか? 後宮ですのに?」

 シーラは驚いた。

 後宮なのだから、王子が渡ってきてそれで結婚の既成事実が成立するのだと思っていた。


 フィルは少し困惑した顔をした。

「え? はい、しますけど」


 それから、結婚式の中身の話だったのかと思い立ち、

「ご心配なさらないでください。身内だけで行う宣誓式のようなものですよ。ジェイク様とシーラ様、ジェイク様のご兄弟、そして国王夫妻」

と説明した。


「こ、国王夫妻っ……」

 シーラは思わず繰り返した。形だけの()なのに!?

 まあでも『()』なのだから、そりゃ形式上しきたり通りの儀式くらいはやっておかなければならないのかも。


「では、結婚式は予定通り2か月後あたりに。吉日を選んで準備いたします。では一旦(いったん)私は下がります。またお夕食あたりに参りますので、どうぞお休みください」

 フィルは丁寧にお辞儀をすると部屋から退出していった。


 シーラは島から連れてきた数少ない侍女たちも一旦(いったん)下がらせると、一人ソファに腰かけた。

 いろいろなことがついに現実になってしまった。

 形だけだと自分に言い聞かせてきた結婚が、生々しく目の前に口を開けて待っている。


 そもそも何でこうなったんだっけ?

 そう、姉のナタリーだ。

 本当はこの話はナタリーに持ち上がったものだったのだ。

 しかしナタリーは嫌がった。


 ハーディ島の父王からこの政略結婚の話を聞いたとき、

「シーラが行きなさいよ」

とナタリーは片目をつぶって意地悪そうに言った。ナタリーの派手で美しい顔が、有無(うむ)を言わさぬ迫力を帯びる。

「だってお父様。あたしは仲の良い婚約者がいるんです。でもシーラはつい最近婚約者から婚約破棄を願いだされたばっかりでしょ。王女なのに末席の令嬢なんかに婚約者を寝取られて、恥ずかしいったらありゃしない。この国にいても人々の好奇の目で(はり)(むしろ)でしょうから、いっそ大陸とかに(とつ)いだ方がいいと思うわ!」


 父王はむきになって言い返した。

「あれはシーラには何の落ち度もなかろう! あの男が勝手に浮気したんだ。確かに醜聞(スキャンダル)は尾を引くかもしれないが……」

 そしてシーラをちらりと見た。


 シーラもこの政略結婚は全く気が進まなかった。

 婚約者を寝取られ、人の目を気にするように大陸に(とつ)ぐなんて、あまりにも(みじ)め過ぎるじゃない。

 しかも大陸には後宮があるという。後宮での形だけの()がどんなものなのかシーラも想像がつく。


 父王はまたナタリーに言った。

「しかしおまえの婚約者は臣下の身分ではないか。姉のお前を差し置て、妹が他国の王族と結婚するなど。」


「あら、そんな昔っぽいこと言わないでよ。私が臣下に(とつ)ぎ妹が王族に(とつ)いだって、私はちっとも可哀(かわい)そうなんかじゃないわ」

 ナタリーは口を(とが)らせた。

 その顔には、こんな政略結婚させられる方がよっぽど可哀(かわい)そうよと思っている(ふし)が見て取れた。

可哀(かわい)そうなシーラに(ゆず)るわよ、お父様!」

 譲るなんて優しそうな言葉を使っているが、政略結婚をシーラに押し付けたいナタリーの思惑(おもわく)がしっかり(にじ)み出ている。


 父王はシーラが少し気の毒になった。

「シーラ。ナタリーはこう言っているけれど?」


「お父様。私は浮気されて婚約を破棄された傷物(きずもの)王女です。その結婚のお相手の方がおかわいそうだわ」

 シーラは答えた。

「私は結婚とかはもういいんです。この島でお父様のお手伝いができれば」


「相手がかわいそうなどと! そんなことは断じてない!」

 父王は力を込めて言った。

「あの元婚約者がバカなのだ! おまえは賢く気立てもよい。 必ずや夫を立てる良い妻となる!」


 しかしナタリーは笑った。

「あら、お父様。シーラでは殿方の気を引くのは難しいと思うわ。こんな勉強ばっかりで色気のない女、殿方はつまらないわ」


 父王は首を振った。

「シーラの良さは分かる者だけに分かればよいのだ」


「まあお父様ったら。だいぶシーラを買っているのね。でも実際こうしてシーラは婚約破棄されているのよ? それも、仮にもシーラは王女だから出世(しゅっせ)が約束されているはずなのに、よ?」

 ナタリーの言いぐさには少しのやさしさもなかった。


 シーラは聞いていて腹が立ってきた。こんなに堂々と(なじ)られるなんて。

「もういい、もういいわ、ナタリーお姉さま! 私が大陸に()きますから」


「あら、()く気になった? よかったわ」

 ナタリーは美しい顔で天使のように微笑(ほほえ)んだ。

「あなたにとってはとってもいい話だと思うのよ。こんな話でもなきゃ、もう結婚できないものね?」


 父王は苦い顔をした。

 しかし何も言わなかった。

 この輿入(こしい)れで同盟を強化することは、この小さな島国にとっては非常に重要だったから。限られた土地、限られた資源で精いっぱい暮らしている島民たち。もし大陸と関係が悪くなり軍事的に攻められるようなことでもあればひとたまりもない。

 その状況でナタリーが嫌がっている以上、シーラに()ってもらわねばならないのだ。他の妹たちは結婚にはまだ幼すぎる。


 なので、シーラの一言ですべてが決まってしまった。

 それ以降、誰も反対の意を唱える者はいなかった。


 こうしてシーラは大陸のジェイク王子に(とつ)ぐことになったのだった。




2.

 翌日は、シーラのもとに後宮の侍女たちが訪れ、大陸の衣装などを着付けてくれた。郷に入れば郷に従えと言うやつだ。シーラはなされるがまま、大陸風の衣装に身を包んだ。

 侍女たちは化粧もしてくれたため、シーラの整った顔は急に華やかになった。


 しかし当の本人のシーラは、姉のナタリーに比べるとお堅い印象を与える自分の顔にコンプレックスを持っていたので、この侍女たちが「化粧し甲斐(がい)がないわね」と思っているのではないかと申し訳なく思った。


 それからシーラと侍女たちで島から持ってきたものを荷解(にほど)きしたが、それはあっという間に片付いてしまった。たいした荷物を持っていなかったからだ。


 そこでシーラはランチまでの時間、後宮内を案内してもらうことにした。

 フィルに許可を(あお)ぐと、フィルが「それは私の仕事です!」とすっ飛んできた。


 シーラを一目見るなり、フィルは微笑んだ。

「ああ。こちらの国の衣装を身に着けてくださったんですね」


「はい。変でしょうか?」

 シーラは少し恥ずかしそうに尋ねた。


「いいえ。昨日よりずっと親しみがわきますよ。どうぞ、この国を好きになってくださいね」

 フィルの言葉はとても柔らかかった。


 シーラは少しだけ緊張が(ほど)けた気持ちになった。

 優しい人だ。


 それからフィルは後宮内のあちこちを案内して回った。

 すれ違う侍女たちも笑顔でシーラに接してくれる。


「思っていた後宮とは少し違うのかもしれない」とシーラはこっそり思った。お妃たちが(ちょう)を競って張り合うぎすぎすしたところだと思っていた。

 しかし今のところそんな気配はない。


「おや、そろそろ昼食の時間ですね。お部屋に戻りましょうか」

 フィルは時計を確認して言った。


「あ、フィル。昼食を一緒にとりませんか?」

 シーラは躊躇(ためら)いがちに提案した。


「え、私と?」

 フィルは少し驚いた。

「だって私は臣下の一人ですよ」


「はい。でも、フィルはジェイク様の名代(みょうだい)だと(おっしゃ)いましたよね。それに、少しお聞きしたいんです。ジェイク様のこととか。その……私なんかが(とつ)いできて、何と(おっしゃ)っているのか」

 シーラはフィルの目を見て言った。


 フィルは少し呆気(あっけ)に取られていたが、口の(はし)でにやりと笑った。

「ああ。まあ、わかりました。では昼食のお時間ご一緒しましょう」

(うなず)いた。


 その時だった。


 ギャーギャーと女が(わめ)く声が聞こえた。


 (わめ)いている女は、たくさんの後宮の侍女たちに取り押さえられるのを必死で振りきりながら、四つん這いになったり、転がったりして、こっちにやって来る。


 フィルの顔が緊張し、すっと背に(かば)うようにシーラの前に立った。

「何事だ! 誰だその女は!」

 フィルは大声を張り上げた。


「な、なんかの活動家っぽいです!」

 侍女の一人がフィルに答えるように大声を出した。


「活動家?」

 シーラは眉を(ひそ)めた。


「取り押さえろ。どこから入って来た、まったく!」

 フィルはツカツカと女に近づいて行った。


 そしてフィルが女の前に立とうとした瞬間、フィルの肩越しに女はシーラの方を見た。

「あ、あんた、もしかしてお(きさき)様かい!?」


「あ、いえ、まだ……」

 シーラは一瞬まごつき、無意識にティアラを手で隠そうとした。


 しかし女は気にしなかった。

「北の大湿地帯の水抜きをやめるよう王様に言っておくれよ!」


「なんだ? 直談判(じかだんぱん)しに後宮に潜り込んだのか? (きさき)の言葉なら王も耳を貸すだろうって?」

 フィルは(あき)れた。

「つまみだせっ!」


「やめとくれよっ! おい! そこのお(きさき)!」

 女は駆けつけてきた衛兵に捕まえられながらも、シーラに向かって声を張り上げた。

「あたしの覚悟が見えないのかい! そこのお(きさき)! 同じ女だろ! 話を聞けえっ!」


「あ、あの、私はお飾り()なんで、夫となる方とそもそもお話する機会があるかどうか……」

 シーラが申し訳なさそうに言いかけたとき、


 フィルは落ち着いた声でぴしゃりとシーラに言った。

「シーラ様、こんな者と言葉を交わす必要はございません。環境保全活動家という者はしばしば感情的になるのです。王は彼らと冷静に話し合う場をきちんと(もう)けておりますから」


 シーラは(うなず)いた。

 こういうことに自分が首を突っ込むべきではないと思っていたし。

 シーラはそれ以上は何も言うまいと決め、フィルに付き添われ背を向けて歩き出そうとした。


「はっ! がっかりだよ! お(きさき)なんてのはおしゃれして王様の気を引いて子作りすることしか頭にないんだろ!」

 女はシーラを罵倒(ばとう)した。


 シーラは無視する。

 それが国のための(きさき)の仕事ならやるしかないでしょ、ばか。


 無視されたその女はさらに激昂(げっこう)した。そして女は後宮をぐるうりと見渡した。

「ここの女どももそうだね! みんな自分さえよければいいんだ。くたばっちまえ!」


 侍女たちは「まあっ」と眉を(ひそ)め、口元を(おお)った。


 シーラもむっとした。

 そして差し出がましいと思いながらもすっと女の側に出た。

「その湿地帯がどういう計画なのかは知らない。でも私の国は島国で土地が足りなく、ずっと貧しい。子供が飢えて死ぬ。だから皆で望み、湿地の水を抜き農地にしたこともあったわ」


「あら、あんた(しゃべ)れるんじゃないか」

 女の顔がパッと明るくなった。

「あたしだって今あんたが言ってるようなこともよく分かってるよ。でもあたしは、そんな一方的な理由で湿地帯を壊してよいのかって言ってんだよ!」


 シーラはこの女と同じ土俵に立ってしまったことを少し後悔しながら、表面上は微笑(ほほえ)んで見せた。

「私の自然史の先生は悲観的な方だったから、自然を壊さない人間なんて知らないって(おっしゃ)ってたわ。でも、私だって自然を壊してよいのかと聞かれたら良くないと答えます。私でよければあなたの話し相手にはなるから、後宮に潜り込んで侍女たちの仕事を邪魔したり、王様に会わせろと駄々(だだ)をこねたり、騒ぎを起こすのはやめてくれない?」


 女はほっとした顔をした。

「あんた、あたしの話を聞いてくれるのね。それは良かった。あたしはデボラ。よろしくね」


 シーラは(うなず)いた。

「私はシーラよ。では、今日のところはお引き取りください」


 デボラは衛兵に(つか)まれそうになった腕を振り払い、軽くシーラに会釈(えしゃく)すると後宮の門に向かって堂々と歩きだした。


 活動家ってどうしてあんなに自分に自信があるのかしら、とシーラは思った。どこにいたって魂は自由だとばかりに堂々としている。

 私は自由もなく夢見ることもなく、こんなに情けないのに。


 その時、シーラの横でフィルが(つぶや)いた。

「はあ。シーラ様が撃退してしまわれた」


「撃退だなんて! そんな言い方あの方に失礼ですわ」

 シーラは慌てて否定した。

「でも、フィル、あなたさっき私を(かば)ってくれたわね。ありがとう」


「それは当然です」

 フィルは当たり前だという顔で答えたが、ふと急に何やら珍しいものを見るような目つきでシーラを眺め、それから面白そうにふふっと笑った。

 気に入った。


 シーラは少し気まずさを感じていたが、フィルが笑ったところを見て、その明るい笑顔に溶かされるような気持ちになった。


 その時、シーラとフィルが打ち解けたような雰囲気の中、それを遠くから見守る人影があった。


 シーラは何だか刺すような視線を感じてはっと辺りを見渡した。


 そして1人の男と目があった。


 美しい金髪の巻き毛の精悍(せいかん)な若者だ。しかし少し驚きを持ってこちらを観察している目は、まるでこちらを(にら)んでいるかのようだった。


 なんと言う印象的な目! シーラは身震いした。


 それが、シーラの夫となるジェイク王子だった。




3.

 その夜、フィルはこの国の第4王子ジェイクに呼ばれて、ジェイクの執務室を訪れた。

「ジェイク様。今日のシーラ様の件ですね?」


 しかし、ジェイク王子は黙ったままだった。目だけは燃えるようにフィルを見ている。


「?」

 フィルは少し変だなと思った。

「ジェイク様?」


「いや、すまん。……少しな」

 ジェイク王子はやっと口を開いた。


「ジェイク様?」

 またフィルは心配そうに聞いた。

 いつものジェイク様と違う。いつものジェイク様はもう少しはきはきしている。


「だいぶ楽しそうだったじゃないか。あの王女と」

 ジェイク王子はぼそっと言う。


 フィルは耳を疑った。

 ……この言い方。まるで嫉妬しているかのようではないか。

 え? 嫉妬? まさか、この聡明なジェイク様が?

「ジェイク様! 私はあなた様から(まか)されてシーラ様のお世話をしているだけですよ!」

 フィルは慌てて言い訳をした。


「ふん。で、昼間の騒ぎを報告してくれるか」

 ジェイク王子はまだ口を(とが)らせたままだ。


 フィルはジェイク王子が珍しく子供っぽいので少し可笑(おか)しくなった。

 こんなジェイク様は初めて見る。


 にしても。どんなに色っぽい令嬢を前にしても全く興味を示さないジェイク様。ああいうお(かた)そうなのが好きなのか。

 これは良いネタ(つか)んだぞ!


 フィルは少し意外な気持ちを押さえながら、淡々と今日の活動家の一件をジェイク王子に話して聞かせた。


 ジェイク王子は黙って聞いていたが、やがてフィルの話が途切(とぎ)れると大きく(うなず)いた。

「そうか。それにしてもあのシーラという王女、過激な者を相手にしながら、きちんと目を見て言葉を交わしていたように見えた。わりと現実的な考え方の持ち主のようだし、悪くないな」


「そうですね。最初に打診(だしん)が来たナタリー王女より、この国のためには良かったかもしれません」

とフィルは笑顔で言った。


「そうだな」

とジェイク王子も相槌(あいづち)を打った。


 ハーディ島から同盟強化の縁組の申し込みがあったとき、うちの国王は無下(むげ)には断らないだろうとジェイク王子は思った。なぜなら、他国から船で攻められたときにハーディ島はよい海上要塞(ようさい)になるからだ。


 しかし、ハーディ島が格下の国であることは(いな)めない。だから、縁組の話を受けるのであれば末席の王子の自分のところに話が回ってくるだろうとジェイク王子は思っていた。


 そこで、ジェイク王子は第一王女ナタリーの噂を集めさせた。そしてナタリー王女は美しいがパーティ好きだと知った。好ましくはないが、まあそれくらいなら、とジェイク王子は思っていた。


 しかし、先方は第一王女ナタリーではなく、第二王女シーラでと言ってきた。正直、シーラ王女について十分に調べる余裕がなかった。不十分ながら悪い(うわさ)は聞かなかったので受諾(じゅだく)することにしたが、ジェイク王子はやはり不安だった。


 しかし、いざシーラ王女について毎日フィルから報告を受けると、ジェイク王子はシーラ王女に興味を引き付けられているのを感じた。

 見た目ではない。シーラ王女は面倒な政務上の悩みに寄り添ってくれる気がした。彼女は何にも逃げることをしなさそうだったから。


 ともすれば執政者は孤独だ。全ての人を満たす決断など存在しない。必ずどこからか不平が出る。

 シーラ王女はその孤独を一緒に分かち合ってくれる気がした。


 俺は真面目だ、とジェイク王子は思った。

 どうしても兄たちのように女性と遊ぶという感覚がなかった。

 女性にも自分を理解してもらいたいと願っていたのだ。


 シーラ王女にはそれが期待できるような気がした。

 ジェイク王子はだいぶシーラ王女に心が(かたむ)いていたのだった。


 フィルはそんなジェイク王子の様子をじっくり観察していた。こんな主人(あるじ)は初めてだったから、少しほほえましかった。

 ついにこんなジェイク様を見る日が来たか。


 それからフィルはシーラの様子を思い浮かべた。

 ことあるごとに「私なんか」「こんな私」と口にするシーラ王女。自己肯定感がとてつもなく低いらしい。


 侍女からの噂話では、なんでも島国で婚約者から婚約破棄を()われたとのこと。


 今はなかなか男性を信じられないだろうな、とフィルは思った。


 フィルはニヤリと笑った。

 これは少し面白いことが起こりそうだ。


 その時、ジェイク王子はフィルのおかしな様子に何やら嫌なものを感じた。

「フィル、あんまりシーラ王女に近寄るなよ」

 ジェイク王子は釘を刺した。

 しかしはっとして一言追加した。

「だが、世話は抜かりないように」


 は? フィルは吹き出しそうになった。

 世話をしなきゃいけないのに近寄るなだと?

 何という嫉妬発言だ!


「なんだよ」

 ジェイク王子は不機嫌そうにそっぽを向いた。


「いいえ、なんでも」

 フィルは今度こそ腹がよじれるかと思ったが、(かろ)うじて(こら)えて、顔を隠しながらジェイク王子の前から下がった。





4.

 翌日のことだった。

 美しい午後の昼下がり、ジェイク王子は執務の合間に王宮の庭に出て(つか)()のお茶をしていた。


 ああ、肩が()る……。

 ジェイク王子が人目につかぬようこっそり首を回しながら、ふうっと休憩していると、そこにフィルに付き添われたシーラ王女の姿が見えた。


 ジェイク王子はフィルに少しムッとしたが、どう見てもフィルがシーラに王宮を案内しているようにしか見えなかったので、自分の心を落ち着かせながら、フィルに向かって手を上げた。


 フィルははっと気付くと、シーラについてくるよう声をかけ、足早にジェイク王子に駆け寄った。


「ジェイク様。シーラ王女に王宮を案内しておりました」

 フィルはお辞儀をした。


「そのようだな」

 ジェイク王子はまだ不機嫌そうな声で答えた。

 二人の仲は疑う必要はないのに、どうしても二人で歩かれると不愉快だ。


 シーラは初めて言葉を交わすジェイク王子がとても不機嫌そうだったので、泣きそうな気持になるのと同時に体が強張(こわば)った。


 フィルはシーラ王女の様子を見てジェイク王子の不手際(ふてぎわ)に少し焦ったが、安心を与えるように、

「シーラ様、こちらがジェイク王子ですよ」

と柔らかい声でジェイク王子を紹介した。


「は、はじめまして……」

 シーラはジェイク王子に小さな声で挨拶した。

 これが夫になる人。


「昨日変な女に(から)まれたんだって?」

とジェイク王子はシーラに言った。


「あ、いえ、そんなたいしたことでは……」

 シーラはおずおずと答える。


「おまえがきちんと対応してくれたと聞いたが」

とジェイク王子は(ねぎら)うように優しく言った。

「怖かっただろうに」


「いえ、フィルがいてくださったので大丈夫でした」

 シーラは答えた。


「フィルがいたから?」

 ジェイク王子は少し低い声で聞き返した。


 フィルはジェイク王子の嫉妬に気づき、楽しそうに口元に笑みを浮かべた。


 ジェイク王子はぎりっと歯軋(はぎし)りする。


 しかしシーラはそんなジェイク王子の様子には気づかず、

「はい! フィルはとても頼りになる、とてもやさしい方です。何かあってもきっと助けてくださると思っていました」

とはっきりと言った。


 ジェイク王子の視線がどんどん冷たくなっていく。

 フィルはそんなジェイク王子を見てすっかり楽しくなってきた。

 きっと(はらわた)煮え繰り返ってるんだろうなあ!


 案の定、ジェイク王子はみるみる不機嫌になった。

「へー。フィルのことだいぶ信頼してるんだね」

 ジェイク王子は渇いた声で言った。


 しかしシーラ王女は、あろうことか笑顔になった。

「はい! とても信頼しています!」


「シーラ王女、どうかそのへんで」

 ジェイク王子の眉が吊り上がったので、フィルは苦笑した。


「どうかなさりましたか?」

 シーラはきょとんとして聞く。


「このままですと私はジェイク王子に(くび)り殺されます」

 フィルは楽しそうにシーラ王女に耳打ちした。


「え? (くび)り殺され……? な、何でですか?」

 シーラは驚いて尋ねる。


「おい、フィル」

 ジェイク王子が低い声で(さえぎ)った。


 ジェイク王子の声が怒気(どき)(はら)んでいたので、シーラはビクッとなった。

 な、何か、私は余計なことを言っただろうか……。ああ……きっと言ったんだわ。


 シーラはずうんと肩を落とした。

 ただでさえ厄介者の私なのに、さらに余計なことを言って嫌われてしまった。


 自分が愛されるはずないと(かたく)なに信じ切っているシーラ王女は、心から落ち込み下を向いてしまった。


「すみません、私なんかが、何か差し出がましいことを申しましたようで……」

 シーラは(かろ)うじて声を絞り出すと二人に謝った。


「いや、おまえのせいではない」

とジェイク王子はシーラに向かって慌てて言った。


 そう、私のせいだよ、とフィルは心の中で楽しそうに思った。

 この二人、からかい甲斐があるねえ!




5.

 その日はデボラという例の環境保全活動家がシーラ王女の元を訪れていた。


 シーラが話を聞いてやると言ったので、デボラから再三いつならよいかと聞いてきたのだ。


 シーラは少し気が乗らなかったが無視する訳にもいかず、渋々(しぶしぶ)デボラとお茶する機会を(もう)けた。

 ただ、デボラが仲間を連れて行きたいと申し出たのはキッパリと断った。


 フィルは

「シーラ様。私も念のため同席しましょうか? 私から言えることもあるかもしれません」

と提案した。


「ああ、フィル、ぜひお願いします! 私一人じゃ不安だわ」

  シーラはフィルを心から頼もしく思った。『活動家』の熱量を(ぎょ)せる自信がなかったのだ。


 フィルはふふっと微笑(びしょう)した。

 

 デボラは意気揚々(いきようよう)と現れて、北の大湿地帯の排水工事をやめるよう、あれやこれやと理由を説明した。ほとんどは北の大湿地帯の生態系の話だった。地形や水の由来、()んでいる生き物、そしてこの国全体の中での位置づけ。


 個々の話としてはなかなか面白かった。確かにそこに()む生き物たちにとっては豊かな土地であることが分かった。


 デボラは滔々(とうとう)と語って一息(ひといき)つくと、出されたお茶をずずっとすすった。


 シーラはほとんど黙って聞いていたが、デボラが小休憩をとったのを見て

「なかなか面白い話だったわ」

と言った。


 デボラは目を輝かせた。

 今度こそ王宮内に自分の理解者が現れたと思った。


 しかしシーラは困ったように言った。

「でも、それが飢えた国民を見殺しにする理由になるかと言われたら、私にはわからないわ」


 デボラは慌ててぶんぶんと首を振った。

「違うよ! この国は餓死者が出ない程度には十分豊かさ、シーラ様。飢えた人なんていないんだ。この事業はただ生産量を上げるためのものなんだ」

と力説した。


「でも将来性を見越した国家事業なんでしょ? しかももう話が進んでいる。あなたには悪いんだけど、他国から嫁いできた私がなんやかんや言える立場ではないわ」

 シーラは申し訳なさそうに言った。


 フィルは小さく(うなず)いた。


「そんな!」

 デボラは金切(かなき)り声を上げた。

「あなたに止められなきゃ誰が止めてくれるの!」


 シーラはそれには答えなかったが、しばらく黙ってからやがてぼそっと言った。

「私には少し不思議だわ、デボラ。自然の味方をしてあなたに何の(とく)があるの。あの日、もし逮捕されてたら今頃あなたは(ろう)の中よ。自分が大事ではないの?」


「あんた、それは聞き捨てならないわよ。バカにしてるの?」

 デボラは声を(あら)げた。

「あたしの村は漁業やってんだよ。その魚はあの湿地帯で生まれて大きくなるんだ。湿地帯がなくなりゃ魚もいなくなる」


 シーラはデボラのその言葉にぎょっとした。

「え? ええ? あなた、環境保全活動家ではないの?」


 デボラはむっとした。

「誰が活動家だって言ったよっ! あたしの村が直接被害を(こうむ)るんだよ!」


 シーラは慌てた。

「ご、ごめんなさい! ああ、でもそれなら、もうちょっと正当な方法で王宮に申し入れをした方がよいわ」


「村の一部の連中は役人に金を握らされて村も分裂状態さ。なんとか申し入れまでこぎつけたが、返答は補償の話ばっかりだ。誰も湿地帯の水抜きをやめる話はしない」

 デボラはぶすっと答えた。


「じゃあ、残念だけど止められないわよ」

 シーラは(さと)すように言った。

「せいぜい十分な補償金を勝ち取りましょ」


 デボラは情けない顔をした。

「なんだよ、あんたもヤツらと一緒かい……あんたなら理解してくれるかと思ったのに!」


「そんな顔しないで、デボラ。でも、なんでわざわざ後宮なんかに足を運んだの。利害関係者ならもっと聞く耳を持ってくれる人がいるはずでしょ?」


「だってそれは、昔、大嵐でうちの漁村が壊滅した時に、当時の王様が漁村の女子供をここで養ってくれたってのを村の連中から聞いてたからさ。ここはそういう人助けの場所なのかと思ってね」

 デボラは言った。


「え? 後宮に? 漁村の女子供が?」

 シーラは訳が分からずポカンとした。

「ちょっと何言ってるか分からない」


 側に(ひか)えていたフィルが慌てて口を挟んだ。

「ああ、以前の国王の話ですよ。ここは、『戦争や災害で夫を失った女たちを保護し、彼女等が子供を育てたり教育を受ける』、そんな場所だったんです。今は昔より豊かになり、そういったことはされてませんが」


「え? は? あの、ここは()の住まう場所では?」

 シーラはまだ頭が混乱している。


()って言ったって、こんなに大きな敷地は必要ないでしょう?」

 フィルはゆっくりと理解を(うなが)すように言った。


「え? 妃ってたくさんいるのではないの? フィル。この後宮にはジェイク王子の()は何人くらいいるのですか?」

 シーラは早口で(たず)ねた。


 フィルは呆気(あっけ)にとられた。


「え?」

 シーラは何か変なことを言ったかと思った。


「えっと」

 フィルは我に返ったように、

「ジェイク王子に他のお(きさき)はおられませんよ」

と慌てて答えた。


 今度はシーラが驚いてしまった。

「え? 私だけ?」


 フィルは合点(がてん)がいったといった顔をした。

「ああ! やっとわかりましたよ! この結婚で何となくシーラ様のテンションが低かったのはそういうことですか。いいですか、シーラ様。基本的にお(きさき)は一人です。ジェイク様のご兄弟のお妃様もこちらにお住まいになってますけど、そちらも皆様一人ずつ」


 シーラは想像と全く違い戸惑(とまど)ってしまった。

「ええ? そうだったんですか!? じゃあ、ジェイク様のお(きさき)は私だけ? ええ? まあ、どうしましょう!」


「どうしましょうって……」

 フィルは苦笑している。


 デボラも横で大笑いをしていた。


「だって、ジェイク様が気の毒だわ。妻は一人だけなのに、政略結婚で愛してもいない女と結婚せねばならないなんて!」

 シーラは悲鳴に近い声を上げた。


「気の毒がってくれてありがとう」

 急に背後からむすっとした声がした。

 ジェイク王子だった。


 シーラは急に現れたジェイク王子に驚いたが、ジェイク王子の様子を見て気が重くなった。

 ああ、まだジェイク王子はご機嫌が悪い……。

 こんな状況で本当に結婚するの?


 シーラは頭を抱えたくなった。


 その時ジェイク王子がデボラの方を向いて口を開いた。

「おい、そこの女。あんまりうちの()を困らせてくれるな。北の湿地帯のことなんだそうだな。俺が工事を止めてやろう」


 デボラとシーラは「えっ?」と言った顔をした。

 フィルもポカンとして微動(びどう)だにできなかった。


「ふん! うちの()(まと)わりつく鬱陶(うっとう)しい女がいると聞いたから調べさせた。北の湿地帯については関係の建設事業主から担当官への賄賂(わいろ)とかもあったようだから、まあ止められるだろう。もともと俺はあの事業には反対だったしな」

 ジェイク王子は威厳のある声でそれだけ言うと、用は済んだとばかりに立ち去ろうとした。


 シーラは我に返った。

「あ! ジェイク様! あ、ありがとうございます」


「あ、ありがとうございます!」

 デボラも慌てて言った。


 二人はあまりに唐突(とうとつ)な話で頭がついていけていなかったのだ。


 ジェイク王子はチラリとシーラを見た。

 シーラ王女は相変わらず真っ直ぐな感謝の瞳でジェイク王子を見ていた。


 目が会い、シーラは少し照れた顔をした。

 ジェイク王子は私のために手を回してくださったのだ。


 シーラの照れた顔が可愛らしくて、ジェイク王子の顔はカッと熱くなってきた。ジェイク王子は慌てて

「貸しだからな!」

と言うとさっさと立ち去ってしまった。


 フィルは急にぷーっと吹き出した。


 デボラはシーラを振り返った。

賄賂(わいろ)だってさ。あんたの夫は行動力があるね! それにいい男じゃないか」

 デボラは上機嫌になった。少々調子が良い。

「結婚、そんなに心配しなくてもいいんじゃないか?」


 シーラは少しどきっとした。

「そ、そうかしら?」

 しかし半信半疑だ。


「ジェイク様はああいう方です。少し怖かったですか?」

 フィルは探るようにシーラに聞いた。


「いいえ、態度とは裏腹(うらはら)の優しさを感じました……」

 シーラ王女は(つぶや)いた。


 あの方にとって私は唯一の妻……

 ぶっきらぼうな方だけど、実は配慮してくれるのかもしれない。

 もう少し、彼のことを知りたいな、とシーラは思った。


 ちっ、っとフィルは隠れて舌打ちした。






6.

「シーラ、寄らせてもらったぞ」

 ふいに後宮のシーラの部屋にジェイク王子がやってきたので、シーラは驚いた。

 ジェイク王子の後ろにはフィルが控えている。


「何でございましょうか?」

 シーラは突然のジェイク王子の訪問に慌てて出迎えた。


「ん? ここがおまえの部屋か。少し島の雰囲気が漂っているな。新鮮だ」

 ジェイク王子は窓辺によりカーテンの生地を指で触った。


 それからジェイク王子はシーラに近づき手紙を手渡した。

「おまえに島の国から便りが届いていたのでな」


「ジェイク様(みずか)ら手紙を渡しに? ありがとうございます」

 シーラは戸惑(とまど)いながらも丁寧に受け取った。


 ジェイク王子はシーラと話したかったので、手紙にかこつけて会いに来てしまった。

「何と言ってきたのか?」

 ジェイク王子は気持ちを押し殺しながら、ポーカーフェイスを(よそお)って聞いた。

 

 シーラはそっと手紙を開きざっと一読すると、あっと小さく声を上げた。

「姉が結婚するそうです」

とぽつんと言った。


「ほう? ナタリー王女だったな。結婚が近かったのか。この国にわざわざ妹の方(シーラ)を差し出すので何かあるのかと思っていたが。めでたいではないか」

 ジェイク王子は言った。


 しかしシーラは微妙な顔になった。

「お祝いに大陸の絹織物を大量に送れと言ってきました」


「贈ってやればよかろう」

 にこにことジェイク王子は言った。


 シーラは何も答えず、ため息をついた。

 ジェイク王子との縁談を嫌がっていた姉ナタリー。政略結婚を私に押し付けておいて、お祝いの品を贈れという。どういう神経してるんだ?


「ため息? どうかしたのか」

 ジェイク王子がすこし気遣(きづか)うような口調になった。


「あ、いいえ」

 シーラはナタリー王女がジェイク王子との縁談を嫌がっていたとはさすがに言えず、口を閉ざした。


「なんだ、気になるな」

 ジェイク王子が話せと促してくる。


 うーんと思いながらシーラは口を開いた。

「姉の(つつし)みのなさに……」


 しかしジェイク王子はたいして気にしない様子だった。

 もともとが政略結婚だったし、何より、

「ナタリー王女が断ったおかげでシーラが来てくれたではないか。だから姉君の結婚は祝福したい気分だ」


 シーラはどきっとした。

「えっ、ええ?」

 ジェイク様、今、何と?

 もしかして私のことを歓迎してくれているのかしら。


 そうだったらとても嬉しい。

 政略結婚だと思っていたけど、私は今ジェイク様が気になっている。

 シーラの(ほお)が少し(ゆる)んだ。


 少し離れたところに控えていたフィルは、シーラとジェイク王子がいい雰囲気になりかけているのを忌々(いまいま)しそうに見ていた。


 それで何か思案して、何か思いついたようにニヤリとした。

 そしてフィルは面白がっている顔をしてジェイク王子に「キスでもしたらどうですか?」とジェスチャーを送った。


 効果はてきめんだった。堅物(かたぶつ)ジェイク王子はまた急に顔を(しか)めたのだ。


 シーラがびくっとなった。

 あ、ああ、私が微笑(ほほえ)みかけたらジェイク様が不機嫌に!

 やっぱり歓迎だなんて私の誤解でしたのね。


 ここでの生活が楽しくなっているからって、忘れちゃだめよ、シーラ! 私は婚約破棄されたこともある欠陥人間なんだからね。

 シーラがきゅっと顔を引き締めた。


 ジェイク王子は、え?と戸惑(とまど)った。心の中で狼狽(うろた)える。なぜ、さっきまで(なご)やかそうだったシーラが急にこんな顔を?


 ジェイク王子がシーラに言葉をかけようと思った時、フィルが時計を確認した。

「ジェイク様。今日は慣例(かんれい)通り歴代国王の霊廟(れいびょう)に結婚前のご挨拶をしに行く日です」


「うっ、そうだったな」

 しかしジェイク王子はシーラに後ろ髪引かれる思いだ。


「ジェイク様!」

 フィルは眉を吊り上げて見せた。


「分かった分かった、フィル。最近のおまえはどうも厳しいな」

 ジェイク王子は困り顔で肩を(すく)めると、軽くシーラに一言告げて出て行った。


 パタンっと扉が寂しい音を立てた。


 ジェイク王子が立ち去ると、シーラはフィルに尋ねた。

霊廟(れいびょう)にご挨拶? そういう慣例があるのですね」


 フィルはにっこりした。

「そうですよ。しきたりで。もうすぐ結婚式ですからね」


 シーラが途端に不安そうな顔になった。

「結婚式か。ねえ、フィル。私、本当にジェイク王子と結婚するのかしら」


「お(いや)なんですか?」

 フィルは優しく聞いた。


「私は嫌じゃありません。でも……ジェイク様は……」

 シーラは手で顔を(おお)った。


「心配ですか?」

 フィルはゆっくりとシーラに近づいた。

「いいんですよ、結婚やめますか?」


 シーラははっと顔を上げた。

「やめるなど! そんなことできません。政略結婚ですよ!」


「そう、政略結婚です。愛がないんですよ。……シーラ様。私はあなたが好きです。こんなくだらない結婚などやめてしまえばいいと思っている」

 フィルはシーラの腕を取り、ずいっとシーラを抱き寄せた。


「フィル! あなた、何を!」


「私のこと、嫌いじゃないでしょう? 私と逃げましょう」


「無理、無理ですよ! 私は国のためにジェイク王子と結婚しなければならない!」


 フィルは熱っぽい目でシーラを見つめるとそっと唇を寄せようとした。

「じゃあ、私はあなたの秘密の恋人になりましょう。あなただってご自分の幸せを考えてもいいのですよ、あなたの姉上のように」


 フィルの言葉にシーラははっとした。

 姉のように!? ……姉の?


 それは絶対に嫌だ!


 シーラはフィルの体をドンっと突き放そうとした。


 しかしフィルの力は強く、揺らぎもしない。

 逆にシーラの腕を取る手に力がこもった。

「シーラ様。私を受け入れてください」


「い、いやっ! 誰か助けて!」

 シーラは身を(よじ)ってフィルの腕を振り払おうとした。


 そのとき、

「フィル。何をしている」

と低い声がした。


 ジェイク王子だった。衛兵を従えている。


「シーラを放せ」

 ジェイク王子は冷たい顔をし、目は殺気を帯びていた。


 フィルはぎょっとした。


 それから上ずった声を上げた。

「ジェイク様がなぜここに? 今は霊廟(れいびょう)では」


「ここんとこおまえの様子がおかしいのでね。行ったふりをして様子を見ていた」

 ジェイク王子は(すご)みのある声で返事をした。


「う……」

 フィルは(うめ)いた。


「何の真似だ、これは」

 ジェイク王子がフィルに近づき、シーラを(ねじ)じり上げていた腕を(つか)み引き()がす。


 くっ、とフィルは唇を噛んだ。


 それから、ぎっとジェイク王子を(にら)んだ。

「ずっとあんたに一泡(ひとあわ)吹かせてやりたかったんだ。あんたがこの女を気に入っているというから、先に俺が奪ってやろうと思った。あんたが悔しがる(さま)を見たかったんだ!」


 ジェイク王子の眉間(みけん)(しわ)が寄った。

「何だと。俺はおまえに何かしたか?」


「ああ! あんたが次々と開発事業の計画を白紙にするからな! 俺の親父が手掛けてんのもいくつ潰されたか。いい加減腹が立ってたんだよ!」

 フィルはキッと(にら)んだ。


 シーラは息を()んだ。

「フィル、あなた……」


「悪かったな、フィル。私の父や兄たちの利益追求姿勢も悪くないんだが、俺はあまりにも強引な開発は好きじゃないんだ」

 ジェイク王子は冷たく言い放った。

「衛兵、さっさとフィルをつまみ出せ」


 フィルは悔しそうに(わめ)いた。

「好き嫌いかよ。俺の話を聞く気もないのか!?」


「聞かない。俺はこの状況にだいぶ怒っているからな」

 ジェイク王子はフィルに目をやることもせず、くるりと背を向けた。

 身近な者に裏切られた悲しみとシーラへの乱暴への怒りが、ジェイク王子の背から(ただよ)った。


 フィルは(わめ)き散らしながら衛兵に引きずり出されていった。


 ジェイク王子はシーラの方を見た。

「大丈夫だったか」


「は、はい。間一髪(かんいっぱつ)と申しますか」

 シーラはお辞儀をした。


「間に合って良かった。フィルの言う通りだ、おまえを奪われたら、俺は、正気(しょうき)を保てるかな」


「何をおっしゃいます」

 シーラは冗談だと思って笑いかけた。

「私は大丈夫ですわ、ジェイク様。政略結婚。希望は捨ててまいりました」


「そんな竹を割ったように言われてもな」

とジェイクは(かな)しそうに言った。


 ジェイク王子が笑わずシーラの顔をじっと見るので、シーラは困ってしまった。

「そりゃフィルのことは少しショックでしたわ。信頼していましたから、こんな裏切り」

 今までの自分への優しさが、ジェイク王子への当てつけだったと思うとシーラはさすがに寂しいものを感じた。


「好きだったのか、フィルが」

 ジェイク王子は聞いた。


「え?」

 シーラはポカンとした。

 それから焦って言った。

「いいえ、まさか! フィルは私を(なぐさ)めてくれただけです」


(なぐさ)める?」

 ジェイク王子は怪訝(けげん)そうに聞いた。


「はい。後宮の(すみ)でひっそりと生きていくと思っていましたので」

 シーラはそっと言った。


「そんなこと言うな!」

 ジェイク王子は思わず大声を上げ、がしっとシーラの手を取った。


 シーラはどきっとした。

 ジェイク王子に握られている部分が熱くなる。


「私は、おまえのことを……」

と言いかけてジェイク王子は赤面し、言葉が()まってしまった。


 ジェイク王子の目がシーラの目にぶつかる。

 くぅっと思いながら、ジェイクは頭を()きむしった。

「分かったよ! 言えばいいんだろ。そうだよ、シーラ王女、俺はおまえを気に入っている。結婚のことは素直に喜んでいる」


「え?」

 シーラはみるみる真っ赤になった。

「ジェイク様。あ……と、とっても嬉しいです」


「俺を支えてくれるか」


「はい、わたしでよければ、よろこんで」

 シーラは嬉しそうに微笑(ほほえ)んだ。


 そうして二人は無事に結婚することになった。

 政略結婚と言われた二人だが、ふたを開けてみればたいそう仲が良く、シーラ王女はジェイク王子を支え、大陸はますます豊かになっていった。

 そして、二人の結婚のおかげでハーディ島も長く平和が保たれた。


 ここで一つ余談を。


 しばらくしてシーラがジェイク王子を(ともな)いハーディ島に里帰りするとなると、大陸の王子とその()の訪問ということでハーディ島は大騒ぎになった。


 シーラは大陸の()なので、ハーディ島の国王より上座に()えなければならない。

 当然臣下(しんか)(とつ)いだナタリーは国王より下の席だ。


 あれだけ高飛車(たかびしゃ)だった姉のナタリーは、その時ばかりは大変(くや)しそうな顔でシーラの下座に()したということだった。

最後までお読みくださりありがとうございます!

とても嬉しいです。


本作品は遥彼方様主催の【共通恋愛プロット企画】参加作品で、相内充希様のプロットをもとに執筆されています。

普段は登場人物が暴れまわるままに物語が進んでいくのですが、今回プロットの重要さを再確認いたしました。

参加させていただきとてもありがたかったです。


もし少しでも面白いと思ってくださり、ご感想やご評価をいただけましたらとても励みになります。


最後までお読みくださりありがとうございました!

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(プロット提供: 遥彼方様
『真っ黒な噂の伯爵に嫁いだ貧乏令嬢、メンタルが強すぎる』





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【全14話・完結】離婚の慰謝料は瞳くりくりのふわふわ猫でした!』(作品は こちら

至上最愛の白モフ様
イラスト: ウバ クロネ
― 新着の感想 ―
[良い点] 真面目で誠実に生きている女性が正当に評価されて、愛されるところ。姉のワガママのおかげで、お互いにぴったり合う人と寄り添えてよかった♥️フィルの立ち位置は、凄いどんでん返しですね。
[良い点] おとうさまがシーラのことをちゃんと理解してくれている人なのが救われたー! なのにナタリーときたら……! 最後にちゃんとプチザマァが入っていて面白かったです♪ フィルにはびっくりさせられたけ…
[良い点] 自信がないけれどしっかり者のヒロインってつい応援したくなりますね。 ジェイク王子がツンデレさん! フィルが兄目線で面白がっているのかと思ったので、驚きました。 シーラはこれから王子にしっか…
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