おっぱい論
次の日、僕の意識はまだほわっとしたままだった。
「愛ちゃんのおっぱい・・」
僕は自分の右手を見つめる。つい昨日触ったばかりなのに、まだ信じられなかった。でも、あのおっぱいのリアルな感触は、まだこの右の手の中に残っていた。
「おっぱい・・」
僕は夢見心地だった。服の上からではあったが、もう今すぐ死んでも何の未練もない気がした。
「これで生乳でも揉んでしまった日には僕はどうなってしまうのだろうか・・」
僕は、まだ来てもいないことに、心配までしていた。
「・・・」
僕は高架下のいつものホルモン屋台にいた。スタジオに行っての帰り、ここで酒を飲むことがいつしか習慣になっていた。お金はもちろんマチに借りていた。いくらこのホルモン屋が尋常じゃなく安くても、バイトもしていない僕にはお金はなかった。
「・・・」
僕の借金はいったいにいくらになっているのだろうか・・。僕はふと不安になる。お金は、一度借りると癖になる。あまりに度々借りていて、もはやいくら借りているのか自分で分からなくなっていた。
「お金って怖いなぁ・・」
返す当てはまったくなかった。対人恐怖症の僕は、バイトの面接すら行けなかった。
「・・・」
不安が、恐怖に変わり始める・・。僕は不安神経症でもあった。
「借金のことは考えるのはよそう」
僕は借金のことを考えるのをやめた。僕お得意のいつもの現実逃避だった。僕はそうやってここまで生きてきた。
「おっぱい・・」
おっぱいのことを考えよう。僕は、またおっぱいのことを考えることにした。
「愛ちゃんのおっぱい・・」
僕はまた昨日のことを思い出す。あの感触がまた瞬時に右手に蘇る。
「・・・」
僕は僕の右手を見る。僕の右手は、あの時のまま心なしか愛ちゃんのおっぱいの形に合わせ丸まっていた。
「愛ちゃん・・」
「その形はおっぱいか」
「ん?」
突然真横から声がして、僕は左を向く。
「わっ」
令さんだった。ベンチ椅子の僕のすぐ真横に、キング・クルーガー・ザ・キッドの令さんがいた。
「よっ、青年」
人懐っこく令さんが、左手を上げる。
「ど、どうも・・」
僕は、驚き過ぎて半分固まったままおずおずと頭を下げる。
「やっぱおっぱいは最高だよな」
「は、はい?」
令さんは突然僕の肩を抱くようにして言う。そう言えば、なぜ僕の考えていることが分かったんだ。
「俺は最近気づいたんだ」
「えっ、な、何をですか?」
「おっぱいは宇宙だってな」
「えっ、う、宇宙?ですか・・?」
「そうだ」
「・・・」
僕は何のこっちゃ分からなかったが、真剣な目で令さんは僕を見てくる。その目は美しく、生まれたての赤ちゃんのようにどこまでも澄み渡っていた。
「おっぱいは、おっぱいだけではだめだよな」
「は、はあ」
「おっぱいは、やっぱり、胸があってお腹があってお尻があって、足があって、腕があって首があって、顔があって頭があって髪の毛があってすべてが揃ってそれでおっぱいだよな」
「は、はい・・」
「おっぱいだけではダメなんだ。つまりだ。おっぱいは、体であり、その人でもある。分かるか」
「は、はあ・・、なんとなく・・」
全然分からなかった・・。
「つまり、おっぱいは体全体であり、体全体はおっぱいなんだ」
「はあ・・」
「つまり、色即是空空即是色なんだ。つまり、おっぱいは宇宙なんだ」
「・・・」
令さんはドヤ顔で僕を見てくる。
「俺はそれに気づいてしまった」
「・・・」
「分かるか」
「は、はあ・・、なんとなく・・」
正直、別次元過ぎて全然分からなかった。
「そうか。分かるか。よかった。俺はこれを発見した時、自分は頭がおかしいんじゃないかって思ったよ」
令さんは、笑顔で僕の方をバシバシ叩いて来る。
「は、はあ・・汗」
「やっぱおっぱいは宇宙だよな」
「は、はい・・汗」
言っていることはよく分からなかったが、令さんに言われるとなんか妙に納得していしまうところはあった。
「よしっ、おっぱいに乾杯だ」
「えっ、あ、は、はい」
「大将、ビール、ジョッキで二つね」
「はいよ」
強面の大将が今日も愛想よく答えると、すぐにビールの並々と注がれたジョッキが二つ出てきた。
「おっぱいに」
「お、おっぱいに・・」
「乾杯」
「乾杯」
僕はよく分からないまま、令さんに合わせてジョッキを高々と掲げていた。
「じゃあ、そういうことで」
どういうことなのか分からないまま、その後、ビールを飲むだけ飲んでホルモンを食べるだけ食べると、令さんはさっと片手を上げ行ってしまった。
「えっ、あ、はい」
僕があいさつを返す間もなく、令さんは行ってしまった。
「・・・」
しばし、僕は令さんの去って行った方を見つめていた。
「あっ」
お金・・。ふと我に返り僕は気づいた。
「・・・」
今日も令さんの分も払うことになった。この店は極端に安いとはいえ、無職の身としては辛い。
「・・・」
屋台のテーブルには、令さんの飲んだジョッキとホルモンを食べたお皿が溢れるように並んでいた。
「すごいな・・汗」
あの華奢な体のどこに入るのか令さんの食欲は凄まじかった。
「また、マチに借りることになるな・・」
僕は財布の中の千円札を見ながら思った。
「えっ、令さんがいたの」
「うん」
僕は家に帰ると部屋にいた涼美に令さんに会ったことを言った。
「何で私を呼ばないのよ」
「どうやって呼ぶんだよ」
「電話しなさいよ」
「どこにいるか知らないし、お前のうちの電話番号知らないよ」
この時まだ携帯はほとんど普及していない。
「調べなさいよそんなこと」
「滅茶苦茶言うな」
「ていうかなんであんたなんかが令さんの知り合いなのよ」
「それは・・」
それは自分でもよく分からなかった。
「そんなに好きなの?」
「令さんだったら、何されてもいいわ」
「何をされてもいい・・」
僕の中にその言葉は何ともエロく響いた。凉美が言うとなんかエロかった。この年の思春期の男には堪らない響きがそこにはあった。僕は思わずまた涼美の胸の膨らみを見てしまった。




