誤解
「おいっ、ちょっと飲み過ぎじゃないか」
凉美は、今日も僕の部屋で夕食後、ギターを弾きながら酒を飲んでいる。
「私はお酒に強いの」
「強いったって飲み過ぎだろそれは」
しかし、実際、凉美は恐ろしいほどに酒に強かった。
「全然平気だって言ってるでしょ。私は酔わない体質なの」
凉美は、そう言ってガンガン酒を飲んでいく。
「滅茶苦茶、酔っぱらってるじゃないかよ」
「酔ってないわよ」
「酔っ払いに限ってそういうこと言うんだよなぁ」
しかし、もはや凉美は僕の話など聞いてはいなかった。弾いているギターに入り込んでしまった。
「高校生の酒量じゃないよな・・」
いくら明日が、土曜で学校が休みだからって飲み過ぎだ。
「いい加減名前つけたら」
凉美が、突然顔を上げ子猫を見た。あのマチが拾ってきた子猫はまだ名前がなかった。
「まだ名前がない。なんか哲学的だわ」
マチが言った。マチは相変わらず部屋の片隅で壁に背をもたせかけるいつものスタイルで分厚い本を読んでいた。
「そうなのか?」
僕はマチを見る。僕にはそういう感性はまったく分からなかった。
「そういうのもいいでしょ」
「そうなのか?」
僕にはやっぱりまったく分からなかった。
「にゃ~」
相変わらず、子猫は僕にやたらと懐く。
「お前は動物にだけは好かれるな」
「うるせぇよ」
凉美は最悪に口が悪い。
「ていうか、お前そんな酒とか飲んで親とか何も言われないのか」
しきりと僕に体を寄せる猫を抱き上げ、その小さな頭を撫でながら僕は凉身を見た。その時、なんとなく言ったその言葉に凉美は、急に表情を険しくした。それは、ちょっと背筋がゾクッとするほどのものだった。
「親なんて、知らないわよ」
突然、凉美がドスの利いた声で叫んだ。
「えっ、あ、ああ」
その突然のただならぬ剣幕に、僕は驚く。いつも冷静なマチすらが本から顔を上げ、目を丸くして驚いていた。
「・・・」
凉美の急変に、一体何が、そんなに気に障ったのだろうかと、僕はたじろぐ。
「そんなに怒らなくても・・」
気の弱い僕は、それだけで縮こまり、ちょっと泣きそうになってしまった。だが、すぐに凉美は何ごともなかったみたいに、またギターに没頭していた。
「・・・」
僕とマチは、顔を見合わせる。
「そういえば・・」
そういえば凉美の家族の話を、僕はまだ一度も聞いたことがなかった。
よく考えれば、凉美は、深夜遅くまでうちにいることも多い。休日などはそのまま泊まっていくことも珍しくない。酒も飲む。ロックバンドもやる。(この当時、ロックはまだ不良がやるものというレッテルが世間にはあった)しかも、あんなお嬢様学校に通っているのに、親は何も言わないのだろうか。
「・・・」
僕は凉美のギターを弾くその横顔を見つめた。
「ゆかりちゃんのお母さんてすっごい美人だったよねぇ」
「ねぇ、すごいきれいなお母さんだったよねぇ」
「ねぇ」
「ねぇ」
「・・・」
ギターの入ったソフトケースを肩に担ぎ歩いている僕のすぐ前を、小学校低学年くらいの女の子が、大きなランドセルをしょってとことこと二人歩いている。周囲には親子連れの姿も見える。今日は、どこかの小学校で、授業参観でもあったらしい。
「ほんときれいだったよねぇ、ゆかりちゃんのお母さん」
「ねぇ」
「ゆかりちゃんはブサイクなのにね」
「ねぇ」
「・・・汗」
子どもは、残酷だった。
いつものように一人、僕はスタジオでギターを弾きまくろうと、今日も駅裏の音楽スタジオにやって来ていた。
「先輩」
いつものように、水木じいさんのいる受付けで手続きをして、スタジオに入ろうとしたその時、突然、背後から聞き覚えのあるかわいい声に声をかけられた。
「えっ、あっ」
僕が驚いて振り返るとあゆちゃんが立っていた。
「ど、どうしたの?」
あゆちゃんは、ものすごくキラキラした目で僕を見つめていた。
「先輩、すごいんですね」
「えっ、何が?」
何を言っているのかまったく、分からなかった。
「先輩やさしいんですね」
「やさしい?」
増々分からない。
「何が?」
「昨日」
「昨日?」
「先輩は不良から子どもを守ったって」
「ああ」
やっと分かった。
「いや、あれは・・」
「香菜が見てたんです」
「そうだったのか・・」
昨日のあの人垣の中に香菜ちゃんがいたのか。やっぱり、田舎は狭い。
「すごかったって」
「いや、あれは・・、ジェフが・・」
僕は隙あらば逃げようとしていただけだった。まったく立ち向かう気などなかった。しかも、情けないことに、女ヤンキーに一方的にボコボコにされていた。実際に見たら滅茶苦茶情けない奴だった。
「先輩は無抵抗だったって」
「えっ」
「すごいです。先輩、どんなに殴られても非暴力を貫くなんて尊敬しちゃいます」
「・・・」
そっちの解釈か・・。なんか知らんが助かった。
「先輩強いんですね」
「・・・」
完全にあゆちゃんは誤解していた。僕は自分でドン引くくらい滅茶苦茶弱い。まあ、いいんだけど・・。そっちなら・・。
「先輩今度のライブもお願いしますね」
「えっ」
「ほらっ、助っ人」
そう言って、あゆちゃんが僕の腕を取り、その身を寄せてくる。当たり前みたいに、僕の体にあゆちゃんはその女子のやわらかい体をくっつけてくる。
「あ、ああ・・」
僕の血流は逆流し、脳天から噴火しそうだった。
「いいのか・・」
というかちょっと横乳が当たっている。
「忘れてたんですか」
あゆちゃんは、さらに猫が甘えてくるようにその身を僕に摺り寄せてくる。
「い、いや・・」
美少女が、その身を惜しみなく摺り寄せてくる。こんな天国な状況があっていいのだろうか。思春期の健全な男子なら全員が憧れるそのシュチュエーション。それが一番遠いであろう存在の僕に今やって来ていた。
「美少女・・」
僕は風呂にも入っていないのにのぼせてしまう。
「えっ?」
「いや・・」
いったい、どんな奇跡なんだ。
「あの時、死ななくてよかった」
僕は心底思った。あの暗い一人ぼっちの夜に死のうとしていた自分を思い出す。
「ほんとよかった・・」
多分、絶対に死ねなかったが・・、何かの間違いで死んでいたら、今のこの奇跡を味わうこともなかった。
「先輩?」
「えっ、う、うん」
「お願いしますね」
「えっ、う、うん・・」
『そういう設定だから』
以前、香菜ちゃんの言っていた言葉が頭に浮かぶ。
「設定・・」
僕はすぐ隣りのあゆちゃんを見る。男からしたら、何百兆円という国家予算並みに価値のあるその美少女の体に接触するという行為を、何の自覚もなしに自分から普通にしている。その相手が僕だった。
「・・・」
あゆちゃんは、すごく僕のことを誤解している気がする。
僕は戸惑い、喜び、そして、怯えていた。僕は、こんな美少女に好かれるようなそんな大した人間じゃない。僕は怯えていた。愛されることに、僕は怯えていた。




