マチのママ
「・・・」
確かによく見ると、着ている服は独特な白地に赤や黄色のカラフルな斑点模様のついた変わったデザインのものだった。映画なんかで、ちょっとおかしな芸術家が着ている服を連想させる。しかし、ぶっ飛んではいるがオシャレと言われればオシャレに見えなくもない。多分、これが、世界的にはオシャレなのだろうと僕は勝手に理解した。
「あら、マチちゃん久しぶり」
そこで、マチのママがマチに気づく。
「ひ、久しぶり?」
まだ中学生の娘が数か月家にいなかったのに、何とも軽い反応だった。そんなマチの母の態度に僕は驚く。
「元気にしてた?」
これも、久しぶりに会う友だちにでも聞くみたいな軽い言い方だった。
「・・・」
僕はマチを見る。
「こういう親なの」
マチは僕を見返して呆れたように言った。
「マチちゃんも何か飲む?」
しかし、僕らのそんな反応にはまったく無頓着で、マチの母はマチに訊く。
「もう、ママは、台所に立たないでよ」
マチが眉間に皺を寄せる。いつもクールなマチのそんな顔を僕は始めて見た。
「ちょっと、何か飲みたくて、今、フルーツジュース作っているの」
だが、マチのママはうれしそうに無邪気に言う。どうも子どもみたいな人らしい。ちょっと見ただけでなんとなくそれが分かった。
「あらっ、お客様?」
その時、初めてマチのママが僕に気づく。
「あっ、ど、どうも、マチさんとは、あの・・」
なんと説明していいのか分からない。
「この人のうちに今居候しているの」
マチがそんなダメな僕をフォローするように言った。
「あら、そう」
マチのママはさして驚く風もなくそれだけを言った。
「えっ」
僕はまた驚く。
「それだけ?」
もっと他に反応があっていい気がしたが・・、マチのママの反応はそれだけだった。
「マチちゃんをよろしくね」
そして、笑顔で僕に言った。
「・・・」
やはり、それだけだった。
「よろしくて・・」
僕はマチを見る。
「こういう親なの」
何かを諦めたようにマチは言う。
「・・・」
幼い娘が何ヵ月も家におらず、そして、久々に家に帰りそこで会い、他人の家に居候しているという事実を聞いたにもかかわらず、まったく何の驚く反応もない。僕はそんな親がいることに驚く。
「お客様もどう?」
マチのママがグラスを掲げながら僕を見た。
「えっ?ああ・・」
しかし、マチのママはそんな僕の反応に気づくこともなく、もう意識はフルーツジュースの作成にいっていた。
「じゃ、じゃあ、いただきます」
「やめといた方がいいわよ」
だが、マチはすかさず言った。
「えっ」
僕はマチを見る。その真意が分からず、僕は混乱する。しかし、人からの好意を断るというそんな大それたことのできる僕は人間では全然なかった。何かを勧められたら首を縦に振る。気の小さな僕にはそれしかできなかった。
「はい、召し上がれ。特製のフルーツジュースよ」
しばらくして、出来上がったフルーツジュースをマチのママが持ってきてくれた。
「あ、ありがとうございます」
僕はその見るからに高そうなグラスを手に取った。それはガラスの輝きが違っていた。そして、ズシリと響くような質量を感じる。僕はそのグラスに口をつけた。
「一気に飲んだ方がいいわよ。体にいいから」
すると、口をつけたとたん、マチのママが、突然なぜかそんな根拠のよく分からないことを言い出す。
「えっ、そうなんですか」
僕はその意味も真意もよく分からず、困惑するが、基本素直でいい子の僕は、マチのママの言う通り、そのマチのママ特製のフルーツジュースを一気に煽った。
ぶーっ
そして、僕は思いっきり吹き出した。
「ゴホッゴホッ、な、なんだこれ」
「だから言ったのに」
マチが言う。そして、マチのママを見る。
「またやっちゃったかしら」
マチのママは、悪びれることもなく、舌を出して無邪気に笑いながらそんなことを言う。
「ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ」
僕はむせて咳がとまらなかった。気管支の入口が焼けるようで、食道から胃にかけて、胸くそ悪い吐き気に似たむかむかが胸全体を覆うように湧き上がる。今までの人生の中で味わったことのないほど、恐ろしく気持ち悪い感覚だった。
「うちのママは死ぬほど不器用なの」
そんな僕にマチが言った。
「・・・」
それにしても・・、酷い味だった。どうしてフルーツジュースがこんな味になるのか分からないほどその味はぶっ飛んでいた。
「ごめんなさいね。オホホホッ、なんか間違えちゃった」
自分は、まったくフルーツジュースに口をつけず、マチのママは、そう言って無邪気に笑っている。
「・・・」
本当に子どもみたいな人だった。
「なんか間違えたレベルでここまで酷くなるものなのか・・」
僕は、呆けたようにフルーツジュースの残りの入ったグラスを見つめた。
「あらっ、いけない」
その時、急にマチのママが時計を見て、叫ぶように言った。
「じゃあ、マチちゃんをよろしくね」
「えっ、よろしく?」
「これから、私フランスに行かなきゃいけないの」
「フ、フランス?」
というか、子どものことはいいのか・・。だが、マチのママはそのまま、困惑する僕たちを置いて、フランスへと家を出て行ってしまった。
「よろしくて・・」
僕はマチを三たび見る。
「だから、うちは変人家族なの」
「な、なるほど・・」
だんだん、マチの置かれている境遇が分かった気がした。
「いいの?」
その日の帰り道僕はマチに訊いた。
「何が?」
「いや、また家出てきて」
「いいの」
「・・・」
僕にはうらやましいくらいの家だったが、マチにはまったくそうではないらしい。世の中には色んな家族の形があることを僕はこの日、実地で学んだ。
「あっ、香菜ちゃん」
上桑駅に着き、その建物を出たところだった。そこにイエローバクのギターの香菜ちゃんがいた。友だちと何やら楽しそうに話をしている。
「あれっ?」
友だちと話に夢中になっている香菜ちゃんは、普通に自転車の脇で壁に手をついている。それは痛めた方の手だった。
「治っている・・」
どう見てもそれは治っていた。
「香菜ちゃん、手、治ったの?」
僕は近づき声をかける。
「えっ、あっ」
僕の姿に香菜ちゃんは酷く驚いた様子で、というか慌てた様子で悲鳴に近い声を上げる。
「いえ、まだ、あの・・、ちょっと痛みが・・」
そして、さっきまで普通に手をついてた手を押さえ、急に顔をしかめ始める。
「・・・」
しかし、さっき思いっきり横の壁にその痛めた手でその体を支えていた。僕は何が何やら訳が分からず、一人困惑してそんな香菜ちゃんを見つめる。
「あちゃ~」
そして、香菜ちゃんは突然そんな声を発した。
「あちゃ~?」
そして、もう、誤魔化しきれないと思ったのか、香菜ちゃんがその手の痛む素振りをやめた。
「このことはあゆには黙ってて」
「えっ」
「そういう設定にしといて。というかそういう設定だから」
「設定?」
「じゃあ、よろしく」
そして、香菜ちゃんは手を勢いよく僕に向けて上げると、友だちと自転車に乗って行ってしまった。
「よろしくて・・」
なんなんだ・・。いったい・・。この時の、というかこの時だけではないが、鈍い僕には、自分の置かれている状況がまったく分かっていなかった。




