再びあゆちゃんと・・
僕はスタジオで、スティーヴ・ヴァイのフォア・ザ・ラブ・オブ・ゴッドを弾いていた。初めてその譜面を見た時に、初めて見る六十四分音符にビビったのを今も思い出す。
「何じゃこれ」
そのお経のような音符の羅列を見た時のあの衝撃は忘れられない。だが、それを僕は今弾けている。スローなイントロからのソロの六十四分音符の超絶速弾き。僕はそれを弾きまくる。
深みのあるメロディー。人間の抱える苦悩、業、不条理がそのメロディーから溢れてくるようだった。音の一つ一つの流れの中に、人間の持つその、人生の苦しみが一つ一つ深く深く刻み込まれている。それが心の一つ一つにぐさぐさ突き刺さる。自分で弾いていて鳥肌が立つ。音の繊細さ、音の揺らめき、メロディーの流れ、すべてが正に神の領域だった。
「ふぅ~、今日も弾きまくったぜ」
二時間ぶっ通しで弾きまくった後、僕はまたいつものように、スタジオの外の椅子にどかりと座り込む。かいた汗が木陰の涼の中で引いていく。最高に気分のいい至福の時間だった。
やっぱりギターは最高だ。ロックは最高だ。目を閉じ、その至福の感覚に僕は沈み込んでゆく。最高に気持ちいい。
「先輩」
その時、突然背後から声をかけられた。僕は目を開け、声の方を向く。
「あっ」
あゆちゃんだった。
「来てたんだ」
「はい」
僕はドギマギしてしまう。あのキスのことが脳裏をよぎる。しかし、あゆちゃんは全然気にする風もなく、あっけらかんとしている。
「どうしてここに?」
「ここに来れば先輩がいるような気がして」
夏祭りのライブが終わってから、僕はイエローバクの練習からは遠ざかっていた。
「そうだったのか・・」
わざわざ僕に会いにここまで・・。
「先輩」
「な、何?」
あゆちゃんはニコニコと笑いながら意味ありげに僕の顔を覗き込んでくる。
「またライブがあるんです」
「えっ、そ、そうなの」
やっぱり、あゆちゃんはかわいい。僕の顔を覗き込むその顔はやっぱり最高にかわいい。その顔がすぐ目の前にあり、僕を見つめている。慣れてきたとはいえ、僕はドギマギしてしまう。そして、視線がその唇に行ってしまう。
「僕はこの唇と・・」
僕はまたあの時の場面を思い出した。
「はい、だからまた応援頼めないかなって」
「えっ」
「ダメですか?」
あゆちゃんがさらに首をかしげ顔を覗き込んでくる。無茶苦茶かわいい。これが何かかわいさで人を殺す武器だったとしたら、僕は確実に今死んでいた。かわい過ぎて死んでいた。多分、即死。
「あ、ああ、いいよ」
僕は思わず答えてしまっていた。やっぱり、僕は愛ちゃんが好きだし、あゆちゃんとは夏祭りのステージも終わり丁度いいので、距離を置こうと思っていた。にも関わらず、優柔不断で気の弱い面の僕の方がいざという時には表に出て決断してしまっていた。なんて弱いんだ僕は。自分でも情けなくなってくる。
だが、正直、イエローバクの方が居心地がよかった。というか、天国と地獄だった。こっちには、若い天使が五人もいて、向こうには凉美という悪魔がいる。大吾くんも怖い。
「やったぁ」
大仰にあゆちゃんが喜ぶ。でも、そうやって言ってもらえるのはうれしかった。
「先輩は何かやりたい曲とかあります」
「えっ」
「なんでもいいですよ。好きな曲とかバンドとか」
「そうだなぁ・・」
僕は考える。
「ユニコーンとかやりたいな」
僕はユニコーンが大好きで中学の頃から、いつか、どれでもいいからその中の曲をライブでやりたいとずっと思っていた。
「分かりました」
「え、いいの?」
「はい」
「・・・」
以前、自分のバンドでユニコーンを提案した時には、凉美に即却下されていた。
「やっぱりいい。ここは天国や」
僕はしみじみ思った。
「先輩」
「えっ」
あゆちゃんが、突然意味ありげに下から僕の顔を覗き込んでくる。
「な、何?」
その目は、どこか艶めかしく挑発的だった。
「私ファーストキスだったんです」
あゆちゃんが恥ずかしそうに僕を見る。
「えっ」
あゆちゃんもだったのか・・。全身に痺れるような緊張が走る。
もし、あゆちゃんとつき合っていたら、こんな幸せなことはない。
もし、あゆちゃんと、愛ちゃんと二人との出会いがズレてくれていたら、ちょっとでもズレてくれていたら・・。まったくモテない時期となんかモテる時期が極端過ぎる。
「ううううっ」
僕は頭を抱えた。なんだか幸せなのか、苦しいのか分からなくなってきた。
「先輩」
「えっ」
気づいた時にはあゆちゃんの顔が目の前にあった。
「あっ」
あゆちゃんは、僕の唇に自分の唇を重ねた。
「じゃあ、また」
そして、唇を離すと、そう言って、あゆちゃんは明るく手を振って去って行った。
「・・・」
僕の唇に残像のようにあゆちゃんの唇の感触を残して・・。




