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本番のステージ

「・・・」

 そして、僕はステージに立った。女の子の中に男が一人。みんなの視線が集まる――。

 しかし、ギターの香菜ちゃんがケガをしたということは知れ渡っていたのか、僕が、ステージに立っても、あまり驚く感じはなかった。すぐにこいつが代わりに弾くんだなという認識がなされたようで、興味や視線はすぐにあゆちゃんや他のメンバーに戻っていく。そして――、それだけだった。

 とりあえず、僕はそのことにホッとする。

「みなさん、こんにちわ~」

「うおおおおっ~」

 イエローバクがステージに立ち、あゆちゃんが開口一番、元気よくあいさつすると、目の前のステージ前を埋め尽くす観衆から、ものすごい熱気の籠った叫び声のようなあいさつが返ってくる。

「やっぱすごいな、イエローバクは」

 ステージ上から聞くその迫力にまず僕は驚く。そのことで、今自分が、とんでもないところに立っているということを実感した。

 そして、他の出演者もいる中、時間も限られているため、早速演奏が始まった。

 僕は、毎日のみんなとの練習の時のように普通に弾けていた。

「酒の力すごいな・・」

 あらためて酒の力に驚く。僕にとって酒の力は甚大だった。

 というか、大体そもそも、みんなあゆちゃんか、他のメンバーを見ていて、こんなむさい男など誰も見ちゃいなかった。僕はその辺の機材とほぼ同じような存在だった。僕の心配はただの杞憂だった。

 そして、今日は幸か不幸か愛ちゃんがバイトで来れなかった。愛ちゃんに会えないのは悲しいが、緊張問うことを考えると幸いだった。

「あ~した~の~♪」

 前奏が終わり、あゆちゃんが歌い出す。やっぱり、あゆちゃんの歌声はすごかった、その声量と迫力。最初の歌い出しで、それだけでもう観客の心を鷲掴みにしていた。そして、僕の心も。

 その小さな体のどこから湧き出してくるのか、膨大なエネルギーの固まりみたいな歌声が、世界そのものを変えてしまいそうな勢いで、その場にいるすべての人たちの胸を突き抜けていく。

「すごい」

 隣りでギターを弾いていて、鳥肌が立った。強烈な感動と興奮が僕の全身を総毛立つように駆け上がって来る。その歌声は神がかっていた。

 観客たちの異常な熱気と歓声、イエローバクの若い女の子たちの何とも言えないフェロモンのようなエネルギー、イエローバクオリジナルのポップな明るいロックな歌、それに加え、あゆちゃんの強烈な迫力ある歌声が混然一体となり、僕の頭をガツンガツン打ちつける。僕の血は沸騰し全身をものすごい勢いで流れ出す。そして、脳内で、脳内麻薬がドバドバと致死量レベルで出始める。あゆちゃんの隣りでギターを弾きながら、僕の意識は異様な興奮状態に入っていく。

「うをぉ~」

 楽しかった。さっきまでの逃げようとしていた自分が嘘のように、このステージに立っている自分に興奮していた。僕のテンションは最高潮に達していた。それに伴い、僕のギター演奏もノッて来る。僕は、緊張さえしなければ、引きこもっていた時の膨大な時間の中で培われた、あの性格の最強に悪い凉美ですら認めるギターテクニックがある。

 そして、リードギターの見せ場、ギターソロが始まる。ギターソロは、香菜ちゃんのやっているものを覚えきれなかったので全部アドリブでやった。

 速弾き、ライトハンド、僕の持ちうるありとあらゆる技を駆使し、グワングワン弾きまくった。批判されがちな目立ちたがりのプレイだったが、酔っぱらっている僕に怖いものはなかった。僕は弾きたいように弾き、突き上げる衝動のままに思いっきり弾きまくった。

 夏祭りのお祭り気分も相まって、それは意外にウケ、盛り上がった。男のファンたちからも、歓声が上がる。僕も酔った勢いと相まってさらにノッて来て、弾きまくる。

 最高だった。最高の気分だった。脳天を突き抜けるように全身が興奮と感動で熱くたぎっていた。

 そして、曲も進み、ライブも中盤に入り、夏の熱気とステージの熱気と観客の熱気が、混然一体となり、もう脳がとろけそうに、僕もアドレナリンが出まくり、もう訳が分からなくなるほどに熱くなってくる。もうノリノリだった。出演前は、目立たないようにしようと、自分を戒めていたのに、気づいたら、あゆちゃんの動きに合わせ僕もステージ上で動きまくっている。ものすごくいい感じだった。自分でも実感するほどにいい感じだった。とてもいいパフォーマンスができている。その手ごたえがガンガンあった。

「あれっ」

 だが、五曲目が終わった時だった。急になんだか、テンションが瞬間冷却されるように下がった。

「あれっ」

 僕は焦る。どうしてしまったんだ。

「あっ」

 ここに来て酔いが冷め始めてきたのだ。

「やばい」

 目の前の群衆が、急にゆらゆらと揺らめき始める。それが、グワングワンと渦を巻いて脅迫するように僕に迫って来る。ついさっきまで一緒にノッていた目の前の観衆が急に怖くなってくる。

「ゆ、指が動かない」

 そして、緊張で指が動かなくなってきた。震えまで出ている。

「どうしよう」 

 僕は自分の左手を見る。だが、焦れば焦るほどに、緊張は増してくる。

「どうしよう」

 次の曲は、僕のギター単独のリフからから始まる。なかなか弾き出さない僕を、ボーカルの位置からあゆちゃんが不思議そうに見てくる。そして、他のメンバーも僕の異変に気づき始め、僕を見る。

「どうしよう・・」

 何とか弾こうと指に力を籠める。だが、焦れば焦るほどよけいに緊張が増してくる。僕はギターを握りしめたままその場に立ち尽くすように固まっていた。

「・・・」

 あの悪夢の光景が、まさに見たままの姿で目の前に現前している。

 観衆もあゆちゃんの視線を追って僕を見てくる。観衆も何かおかしいと気づき始めているようだった。

「・・・」

 絶体絶命だった。せっかく盛り上がっていたのに、僕がそれを今、壊そうとしている。悪夢で見た以上に最悪の展開だった。僕は逃げることもできず、すべての人からの視線に絡めとられ、金縛りにあうようにその場に突っ立っていた。

「ダメだ・・」

 何もできなかった。動くことすらが出来なかった

「終わった・・」

 終わった。やっぱり、僕はこんな場に立つような人間ではなかったのだ。人前に立つような人間ではなかったのだ。

「みんなごめん・・」

 僕は、自分の愚かさと情けなさに、唇を嚙みしめた。

 ガンッ

「いたぁ」 

 その時、何かが僕の額に直撃した。

「ん?」

 僕はステージに転がるそれを見る。それは、ペットボトルだった。

「なんだ?」

 投げた先を見ると、涼美が立っている。

「そうか」

 僕は慌てて、ペットボトルを開けた。強烈な酒の匂いがする。

「やった」

 しかし、僕はビール党だった。他の酒は、あまり好きではない。

 だが、一刻を争う。酒の好みを言っている場合ではない。僕はそれを一気にあおった。

「ぶほぉ」 

 だが、勢いをつけ過ぎて、僕はむせて口に含んだ酒を思いっきり噴き出した。

「ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ」

 僕はステージ上で、一人むせまくった。それはアルコール度数の高い、強烈なウイスキーだった。

「・・・」

 そんな僕をみんなが、さらに何ごとと見ている。

「大丈夫ですか・・汗」

 あゆちゃんが、僕に声をかける。

「う、うん、大丈夫、大丈夫」

 僕は慌てて取り繕う。

「ばか」

 涼美が呟いている。あゆちゃんたちは、訳も分からず、キョトンとした表情で僕を見ている。

 僕はもう一度あおった。

「来てる、来てる」

 そして、食道を焼き尽くすように下っていくその酒が胃に到達したと同時に、再びあのたぎるような熱い血の巡りが僕の中にやって来た。

「来てるぞぉ~」

 完全復活だった。

「大丈夫ですか・・汗」

 あゆちゃんが心配そうにそんな一人燃えている僕を見る。

「大丈夫」

 だが、完全復活を遂げた僕は力いっぱい、あゆちゃんに向かって、親指を立てた。

「助かった」

 マジで助かった。凉美ありがとう。

 しかし、もう少し丁寧な渡し方はなかったのか・・。僕は少しこぶになっている額をさすった。

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