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悪夢

「・・・」

 大勢詰めかけた溢れんばかりの観衆の視線が全員僕を見つめている。夏祭り、僕は、ステージに立っていた。

 僕は、全身が震え、ギターを握ることすらができない。指が震え固まっている。ギターがまったく弾けない。弾こうとするが、まるで自分の体じゃないみたいに緊張で体がまったく動かない。

 そんな僕を、ボーカルの立ち位置からあゆちゃんがいぶかし気に見ている。そして、その背後からイエローバクのメンバーがそれぞれのポジションで不思議そうに僕を見ている。客席からは愛ちゃんも見ていた。

 僕は全身脂汗で、ずぶ濡れになっている。僕はステージの上で緊張に震え、何もできずその場にただ情けなく立ち尽くしていた。そんな僕を観衆がさらに見つめて来る。

 その場は、堪らなく冷めた空気になっていた。そのいたたまれない空気が、さらに、僕を刺すように苦しめる。僕はその恐怖で、さらに固まり動けない。僕の全身は、あり得ないぐらいに震え、そして、汗が滝のように流れ落ちた。

「悪夢なら早く覚めてくれ」

 早く、早く覚めてくれ・・。しかし、すべての視線が僕を見つめ射貫いてくる。

「ああああっ」

 恐怖の絶頂が僕の脳天を突き抜けた。

「わああっ」

 僕はそこで目が覚めた。

「はあはあ、なんて恐ろしい夢なんだ」

 僕の心臓は起きてなお、バクバクと恐ろしいほどに鼓動していた。全身は汗でびっしょりと濡れていた。

「しかし・・」

 しかし、本番はやって来る。悪夢ではなく、現実としてあり得る。

「・・・」

 僕はしばらく、その場に固まった。


「せんぱ~い」

「えっ」

 イエローバクとのスタジオ練習に向かう途中だった。

「あっ、あゆちゃん」

 偶然、道行であゆちゃんと遭遇した。

「へへへっ」

 あゆちゃんは、そう笑いながら、僕の腕に自然と体を寄せて来る。それはなんのためらいも躊躇もない、限りなく自然な動きだった。

「・・・」

 あゆちゃんの方が僕の二の腕に触れる。あゆちゃんのその軽装から剥き出された柔肌の、その堪らなく柔らかい感触が僕の全身を何とも言えない快感に痺れさせる。

「めちゃくちゃ懐いてくれてる。こんな僕に」

 こんなかわいい女子高生が僕に体を寄せるなんて、今目の前にあってなお信じられなかった。そして、何度聞いてもすばらしいその先輩という響き。じ~んと胸の内に、おりんの共振現象のような感動が広がる。男にとってこれ以上の幸せがあるだろうか。

「後輩の女子に先輩と呼ばれるのが夢だった・・」

 それは漫画の世界の出来事だった。僕は感動で涙が出そうになっていた。こんなに幸せでいいのだろうか。なんだか今の自分が怖くなる。

「どうしたんですか?」

「い、いや、なんでもない」

 何度も何度も妄想の世界の中で夢見ていた現実が、本当に現実として今目の前にある。そして、それを、今まさに体験している。

「幸せだ」

 幸せだった。信じられないくらい幸せだった。全身が痺れるほど幸せだった。

「しかし・・」

 しかし・・、あの悪夢が脳裏をかすめる。

「・・・」

 いつか来るその本番の舞台・・。

「いや、今はそのことは考えまい」

 だが、僕はすかさず現実から目を反らした。

「本番はまだまだ先のことさ」

 僕は、今の不安から目を反らし、問題を先送りして、現実逃避するという、いつもの僕の歪な思考パターンで開き直り、本番まではこの天国を味わおうと思考を無理やり切り替えた。


「・・・」

 しかし、世の常として、そして、ここでも例外なく、幸せは長くは続かない。あっという間に、僕の恐れるその本番の舞台の日はやってきた。

「どうしよう・・」

 何でいつも僕はこんななんだ。僕は頭を抱える。

 夏休みの宿題だって、いつも、後回し後回しにして、ギリギリになって、いつも追い詰められてから後悔しながら、夏休み最後の三日になってすべての宿題を終わらせることになる。それは毎年の年中行事だった。

「手が震えてる」

 僕は自分の手の平を見る。全身も痺れたみたいに緊張している。

「どうしよう・・」

 僕は不安と恐怖でいっぱいだった。

「どうしよう。どうしよう」

 もう本番はすぐそこだ。ステージ上では、着々と準備が進んでいる。

「やばい」

 心臓があり得ないくらい鼓動している。尋常じゃない量の手汗をかいている。

「こんなんじゃ絶対うまく弾けない」

 うまく弾けないどころじゃない。まともに弾くことすらできないだろう。

「・・・」

 あの悪夢の場面が脳裏に浮かぶ。ステージ上で一人立ち尽くし・・。   

 しかも、ステージ前は早くもイエローバクのファンで溢れかえり始めている。同じ高校生の仲間や、すでについてるファンの人たちがひしめくようにしてステージのすぐ前を陣取っている。それは、素人バンドのレベルを超えた盛り上がりだった。想像以上にイエローバクは、その知名度と人気を上げていた。

 それに夏祭りの客なども、この大型ショッピングセンターの駐車場に設けられた特設ステージに注目している。

「ううっ、小さな祭りのステージだって言っていたのに・・」

 その光景はまさにあの悪夢のまんまだった。

「もうやめてくれぇ」

 しかし、そんな僕の思いとは裏腹に、客はどんどん集まり、膨れ上がっている。そんな人だかりが、さらに人を集め、さらにすごいことになっていく。

「どうしよう」

 僕は頭を抱えた。しかも、今回、僕はリードギターだ。思いっきり目立つ。

「うううっ、なんで僕なんかを誘ったんだぁ」

 そもそもかわいい女子高生バンドに、僕みたいな場違いな男がいること自体、引くだろ。そう考えるとさらに緊張と不安が増してくる。

「僕はついこの間まで引きこもりだった男だぞ」

 誘われたことに浮かれていたくせに、こんな状況に追いやったあゆちゃんを恨みまでし始める。完全な逆恨みだった。

「すごいお客さんですね」

 ふいに声をかけられ顔を上げる。あゆちゃんだった。ステージ用に今日は一段と派手な原色のヘアピンを頭にいっぱいつけ、カラフルな軽装の衣装に身を包んでいる。

「う、うん」

「私、緊張してきちゃった。でも、今日は先輩がいてくれるから安心です」

「あ、そ、そう・・」

 僕に頼るのか・・。すぐにぐにゃりと倒れちゃうよ・・。

「がんばりましょうね」

「う、うん」

 あゆちゃんの両手をグーにしたがんばりましょうねは最高にかわいかった。

「じゃあ、私向こうで待ってますね」

 あゆちゃんはかわいく手をふって行ってしまった。

「・・・」

 僕はその背中を見送る。

「かわいい・・」

 やっぱり、あゆちゃんはかわいい。

「いや、かわいい言ってる場合か」

 僕は自分で自分にツッコむ。そして、僕は、再び、ステージ前の現実を見る。

「こ、これは、素人のイベントの枠を超えているぞ・・汗」

 客はさらに増えていた。イエローバクの人気は、気づかぬうちに恐ろしいことになっていた。

「うをぉ~、ぜってぇ~無理だ。このシュチュエーション」

 僕は頭を抱え、かきむしる、緊張はさらに高まり、震えは全身にまで広がっていた。

「無理だ・・」

 絶対に無理だった。僕が、こんな大勢の人前で弾けるわけがない。僕はさらに頭を抱えた。

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