チャンス再来
「なによ」
凉美が、妙にニヤニヤとしている僕をいぶかしげに見る。
「俺は今幸せだ」
「だから何よ」
「俺は今最高に幸せなんだ」
僕は幸せだった。堪らなく幸せだった。
「知らねぇよ」
「俺は幸せだぁ」
僕は叫ぶ。幸せ過ぎて、もうどうにかなってしまいそうだった。
「なんなんだよお前は。ほんとうぜぇな」
凉美が顔をしかめて毒づく。しかし、そんなことも全然気にならなかった。それほどに僕の心は完全な幸せで満たされていた。
「イエローバクは最高なんだ」
「そのままイエローバクに移籍して消えてくれ」
凉美はさらに毒づく。
「ふっ、ふふふ」
しかし、やはり全然気にならない。今の僕は最強だった。
「ていうかなんであなただったのかしら。そこが不思議」
すると、ふと凉美が浮かれる僕の隣りで首をかしげた。
「・・・」
確かにそうだった。なぜ、僕だったんだ?そこは僕もずっと謎だった。多分、他にいくらでもいただろう。同じ高校にもギターを弾く奴なんていくらでもいるだろうし、バンド仲間にもいただろう。
なんで僕なんだ?
「あっ」
「どうしたのよ」
思い出した・・。僕は愕然とする。
「ギターうまいですね」
最初にあゆちゃんに声をかけられた時の言葉だった。
「一人でスタジオで弾いていたのを聞いていたんだ」
僕は、一人で弾いてる時は、ものすごくうまい。それを聞いて・・。
「・・・」
しまったと思った時には、もう遅かった。
「どうしよう」
僕は頭を抱えた。
「どうしよう」
僕は凉美を見る。
「知らないわよ」
「どうしよう・・」
僕は再び頭を抱える。
「お前、練習じゃうまいけど、本番なったら全然だめだもんな」
凉美が、勝ち誇ったように言う。
「そうなんだよ」
僕はさらに頭を抱える。
「し~らね」
「うううっ」
「本番でがっかりされるぞ」
「ううっ」
そんなことは、僕自身が一番よく分かってる。
「あ~あ」
「うううっ」
凉美は、悩む僕をさらに追い込むようなことしか言わない。本当に血も涙もない奴だ。
「でも、それにしても、何であんなかわいい子がお前なんだろうな。他にいくらでもいただろうに」
「・・・」
確かにそうだった。ギターがうまいにしても、他に絶対にもっとカッコよく頼りがいのある男はいただろう。
「・・・」
なぜ、僕だったんだ・・。
「どうしたんですか。ヒロシさん」
「えっ」
愛ちゃんの言葉で、僕はふと我に返る。僕は愛ちゃんと並んで歩きながらまたボーっと、あゆちゃんのことを考えてしまっていた。
「なんだか、最近、心ここにあらずですね」
愛ちゃんが僕の顔を何かを探るように覗き込んで見る。
「う、うん・・」
愛ちゃんは鋭い。僕はドキッとする。
「新しいバンドにちょっと助っ人頼まれてね」
「そうなんですか。バンド二つ掛け持ちなんだ。じゃあ、忙しいんですね」
「うん、夏祭りのステージに出るんだ」
「へぇ~、すごい、私も見に行きますね」
「えっ、う、うん・・」
いいのだろうか・・。あゆちゃんと愛ちゃんが同じところで・・。というか、僕はそんな大舞台でまともに演奏ができるのだろうか。緊張して何も弾けない自分の哀れな姿が浮かぶ。想像しただけで体が痺れるような緊張が全身に走る。
「・・・」
それを二人に見られたら・・。今度こそ、百年の恋も冷めるに違いない・・。
「大丈夫ですか?」
「えっ、う、うん・・」
また、愛ちゃんが僕の顔を覗き込む。そんな愛ちゃんの顔を僕も見る。やっぱり、今日も愛ちゃんは堪らなくかわいい。そして・・、
「愛ちゃんの唇・・」
愛ちゃんの唇につい目がいってしまう。前回のことがあり、いやらしい自分を恥じながら、しかし、それはとめられなかった。
「キス、キス、キス・・」
僕の頭の中は、あの時以来、前回のあのキス一歩手前でしくじったあの時の場面が、エンドレスリピートで再生されていた。
一歩手前まで行ったのだ。一歩手前まで――。キス・・、あの、あの、遠く、別世界だったあのキス――が目の前にあったのだ。あの女子の唇と触れ合うというあの人生最大のセレモニー、キスが、目の前にほんの数センチ先にあったのだ。
「大丈夫ですか」
「えっ?」
「やっぱりなんか、変ですよ」
「・・・」
また、かなりの集中力で自分の世界に入り込んでしまっていたらしい。この癖を治さねば・・。
「キス・・」
しかし、僕の頭の中はキスのことでいっぱいだった――。
そして、再び愛ちゃんが僕の目の前にいた。公園のベンチに並んで腰かけ、僕たちは見つめ合っていた。恐ろしいほど僕の思惑に沿った形で順調に再びチャンスはやって来た。
「いい波が来ている。ものすごいいい波が来ている」
今の僕には、ものすごい神がかった追い風が吹いていた。
愛ちゃんがいる。目の前に愛ちゃんがいる。
再びのチャンスだった。普通一回だ。普通、あれほどの大失態を目の前でやらかしたら、今どきの女子などすぐに呆れて去って行ってしまうものだ。それを愛ちゃんは許してくれた。そして、愛ちゃんは再び僕に僕の思惑を許してくれている。それが分かった。後は、僕の、僕の勇気と行動力だった。しかし、僕の一番苦手なことは勇気と行動力だった。
「でも、今日こそは、今日こそは」
僕は自分を奮い立たせる。
「愛ちゃん」
愛ちゃんを抱きしめる。愛ちゃんの温もり、やわらかさ、肌ざわり、その体、存在。それは、男としての僕の心の隙間、虚しさ、寂しさ、苦しみ、すべてを埋めてくれる。宇宙なんかよりももっと大きな存在。それが大げさでなく愛ちゃんだった。
「愛ちゃん・・」
大好きだった。大好きだった。堪らなく好きだった。どうしようもなく好きだった。もう自分が壊れてしまいそうに好きだった。
自然な流れの中で、僕たちの顔は近づいていく。
もう少し、もうほんの少しの距離。後ほんのわずかばかりの距離に愛ちゃんの唇がある。もうその厚みも温度すらも感じられる程の距離に愛ちゃんのその唇はある。もう少し。もう少し。その未知の領域が今、僕の目の前に迫っている――。
「ヒロシさん」
「愛ちゃん好きだ」
「ヒロシさん」
「愛ちゃん」
「ヒロシさん?」
「え?えっ?」
「ちょ、ちょっと」
「えっ」
拒絶されたかと思い、僕は慌てる。
「そうじゃなくて」
愛ちゃんがそれを察して言う。
「えっ」
愛ちゃんが周囲を見ている。
「ん?」
僕も周囲を見る。
「あっ」
周囲には、いつの間に湧き出したのか、小さな子どもたちがいっぱい飛び跳ね遊んでいた。
「い、いつの間に・・」
というか夕方の公園。そこに子どもがいるのは当たり前だった。
僕たちは慌てて体を離す。こんなとこでラブシーンをやっている場合ではない。公園の端には、その母親たちも見える。
あまりに愛ちゃんのことに意識が入り込み過ぎていて、僕は全然回りが見えていなかった。
「い、行こうか・・」
「はい・・」
僕て阿知波立ち上がり公園を後にした。
「・・・」
今回も失敗に終わった。あと少し、あとほんのわずかな距離だった。その距離であるだけに余計に悔しかった。




