ハーレム
「・・・」
たったそれだけで、最高に男を魅了する若い女の子の肌が、露出度高く僕のすぐ隣りにある。そして、僕はそんな肌に囲まれている。
僕はイエローバクの中にいた。そこは、十代女子のフェロモンが気を失いそうなレベルで逆巻く、凄まじくハーレムな状況だった。僕はもうこの現実に訳が分からず、頭の中がくらくらしていた。
「なんだこれはぁ」
僕は、心の中で叫んでいた。今までの引きこもり孤独生活からのギャップの激しさに、自分の感覚がついて行かない。極寒の北極からいきなり南国リゾート地に、どこでもドアで一瞬で移動したみたいだった。
しかし、かわいい女子高生たちとの練習の日々は、もちろん最高に幸せだった。
「青春だ」
今までの僕にはなかった青春がそこにあった。華やかで煌びやかで、まったく影のない、陰陽で成り立つこの世界の、あり得ないが、しかし、陰のまったくない、陽だけの世界。
「青春とはやっぱり女の子だぁ」
僕は叫ぶ。愛ちゃんと出会った時にも感じたが、やはり、青春は女子だった。
「女の子のいない青春なんて青春じゃない」
僕は感動と、よく分からないふわふわとした幸せの中にいた。
「先輩、なんで泣いているんですか?」
あゆちゃんが僕の顔を見る。
「えっ」
僕は気づくと涙を流していた。人間は幸福過ぎると、涙を流すものらしい。
「い、いやなんでもない」
僕は涙を拭う。幸せだった。堪らなく幸せだった。今まで女子たちに疎まれこそすれ、これほど必要とされ、歓迎されたことなど露ほどもなかった。世界で一番女子から遠い世界で、惨めで孤独に、キノコの生えるようなじめじめとした暗い閉ざされた世界で心にカビを生やしながら僕は生きていた。今が幸せ過ぎて、そんな過去の自分が憐れで死にたくなるほど、今の僕は幸せだった。
「ありがとう」
「えっ?」
突然感謝し出す僕に、イエローバクの面々はみんなキョトンとして僕を見る。もちろん一人感動する僕の気持ちなど分かろうはずもなかった。
「ありがとう」
しかし、僕は彼女たちにお礼を言わずにはおれなかった。彼女たちはさらにキョトンとする。
「ここはもっと、ロックっぽくした方がいいんじゃないかな」
「はい」
しかも、みんな素直に僕の意見を聞いてくれる。
腕を骨折してしまったギターの香菜ちゃん、ベースの弥生、キーボードの香澄、ドラムの樹里。そして、ボーカルのあゆちゃん。みんなかわいく、素直でいい子ばかりだった。
「なんて、素晴らしい子たちなんだろう」
自分の意見だけを通そうとするどこかの凉美とは全然違う。同じ女子高生、いや、女子、いや、同じ人間とは思えない違いだった。
そして、なんて素晴らしい音楽環境なんだろう。
自分の我だけを通そうとする性格のきついギタリストも、無茶苦茶なことを言い出すボーカルも、元暴走族のヘッドをやっていた怖いベースもいない。
「ほんとに素晴らしい」
このままこのバンドに、完全移籍してしまいたかった。
「先輩」
「な、何?」
その日のスタジオでの練習が終わり、外に出た時だった。
「家まで送って行ってください」
「えっ」
あゆちゃんが突然言った。
「・・・」
時刻は夜の九時を回っていた。
「ダメですか?」
「う、うんいいよ」
僕は戸惑いながらも了承していた。もともと、人から何か頼まれて、嫌と言えない性格だった。いや、言える性格だったとしても、絶対に断らなかっただろう。
「じゃあね。あゆ」
受付けの建物で、あの水木漫画キャラじいさんに鍵を返し、合わせて料金を支払い、スタジオの敷地から出ると、僕たちを残し、他のメンバーたちは去って行った。
残された僕とあゆちゃんは二人並んであゆちゃんの家に向かい歩き始める。あゆちゃんの家は、僕のうちとは反対方向の湖畔の方だった。
「そうか、あゆちゃんはお父さんいないんだ」
あゆちゃんは愛車のマウンテンバイクを押して、僕は徒歩で、あゆちゃんの家までの道のりを二人並んで歩いていた。真っ暗な湖面に月明かりの浮かんだ透明湖が、右手に広がっている。
「うん、私がまだ小さかった時に、白血病で死んじゃった」
「そうだったのか・・」
僕は両親がいるのが当たり前の家に育ったので、そういう境遇がどんなものなのか、想像すらできなかった。でも、すごく寂しかったに違いない。それは分かった。
そして、二人でとぼとぼと歩いて、距離は歩くにはかなり距離があるはずの場所だったが、それでも、知らず知らずのうちにあゆちゃんのうちに着いた。それは長いようでいて、あっという間だった。
「じゃ、じゃあ」
僕は使命を終え、右手を上げる。
「先輩うち寄っていってください」
「えっ」
だが、あゆちゃんは間髪入れず言った。
「いや、でも、夜も遅いし・・」
「どうぞ」
しかし、あゆちゃんはすでに背を向け家の中に入って行ってしまう。
「・・・」
仕方なく、僕も後について、あゆちゃんのうちに上がる。
「・・・」
初めての女子の部屋だった。こんなにかんたんに上がれていいものなのだろうか。僕は少し戸惑う。
「そこ座ってください」
「う、うん」
僕は緊張気味にベッドに腰掛ける。思わず膝が揃ってしまう。
「あゆちゃんもギター弾くんだ」
部屋の片隅にギターが立てかけてあった。白のテレキャスター。そういえば最初に見たライブでは、ギターを持っていた。
「はい、今練習中です。今度先輩教えてください」
「う、うん・・」
あゆちゃんが、僕のすぐ隣りに座る。
「ち、近い・・」
妙に近かった。
「なんだこのシュチュエーションは、このシュチュエーションは」
僕の心臓はバクバクで破裂しそうに鼓動を打ち、頭は沸騰寸前でもう訳が分からない。
「先輩」
「な、何?」
あゆちゃんが迫って来る。まさか。まさか。
「先輩これちょっと聞いてください」
「えっ」
あゆちゃんは僕にイヤホンを差し出す。
「夜遅いんで、これで聞いてください。私のお母さん看護師なんです。だから、疲れて寝ているの今」
「そうだったのか」
あゆちゃんがあまりに近くに来るので、僕のただでさえ破裂しそうな心臓がぶっ飛びそうになっていた。
「へぇ~、これいい曲だね」
あゆちゃんの差し出すイヤホンを耳に当て、聞いた曲は、とてもいい曲だった。
「Jim&Janeていう曲なんです」
「へぇ~、なんてバンド?」
「チェッカーズっていうんです」
「へぇ~、知らないな」
「お父さんがよく聞いてたの」
「そうなんだ」
「これをアレンジしてやりたいなって」
「うん、面白いよ」
「ほんとですか」
「うん」
あゆちゃんが目を輝かせる。その姿に、僕自身も喜びを感じた。
「・・・」
その帰り道。僕は一人夜の道を歩いていた。
「あゆちゃんはお父さんがいないのか・・」
僕はあゆちゃんの話を反芻していた。
「それであの曲をやりたかったんだな」
なんて、切ない思いなのだろう。僕の胸はキュンとした。




