ホルモン屋のカウンター
「俺はパワーコードしか弾けねぇ。だが、それは俺がロックだからだ」
令さんが僕を見る。
「は、はあ・・汗」
相変わらず令さんの言っていることはよく分からなかったが、でも、令さんと話が出来ていることに僕は感動していた。
「俺はペンタトニックしか知らない。しかも、キーはAマイナーだけだ。だが、俺はこの五つの音の中にすべてがつまっている気がするんだ。だから、俺はそれだけで勝負する。それが俺のロックだ」
なんだかすごいのか、ダメなのかよく分からない話だったが、令さんが言うとなんだかすごい話のように聞こえてくる。
「つまりだ。うどんやそばには、七味をかける。ラーメンにはコショウだ。パスタには粉チーズ。じゃあ、カレーうどんには何をかけるかっていう問題なんだ」
「・・・?」
何もかけないというのはダメなのだろうか・・。というか話の繋がりがまったく分からない。
しかし、令さんの話には不思議な魅力があった。話は無茶苦茶なのだが聞いていてどんどん令さんの魅力に引き込まれていく。
「君は練習帰りか?」
ふと、令さんが僕を見た。
「えっ、あ、はあ、ちょっと、強烈な女がいまして・・、それで練習の途中で・・」
「そうか君も女に悩んでいるのか」
「あ、いえ、そういう・・」
「女っていうのは、何があってもやさしくしてやらなきゃいけない生き物だ。つまり、軟体動物みたいなもんだな」
「な、軟体動物?」
例えがよく分からなかった・・汗。というか、絶対に無理だ。あいつにやさしくなんかしたらつけ上がるばかりだ。
「女ってのはあれで弱い生き物なんだ」
「・・・」
凉美は、殺しても死なさそうだと思ったが、それは言わなかった。
「君は高校生だろ」
「いえ、あの、僕は高校行っていなくて・・」
僕はうつむきながら言った。僕は高校中退がコンプレックスになっていた。
「君も中退か」
だが、そう言って令さんが僕を見た。
「えっ?」
君も?
「俺もだ」
「えっ、そうだったんですか」
僕は驚いて令さんを見る。
「そうだ。俺は中学二年の春、ここは人間の行くところじゃないと思った」
「えっ、中学で?」
中学から学校に行っていないのか・・。
「俺は許せなかった」
「はい?」
「入学してから二年目の冬が終わって最初の登校日だった。まだ寒さの残る初春の暖房のない体育館だ。みんな直立不動で校長先生の話を聞いている。辛い。堪らなく辛い。だが、ちょっとでも動いたら殴られる。女子たちが貧血でバタバタ倒れて行く。それでも、俺たちは耐えなければならない。じっと、寒さに耐え、校長先生のお話を聞かなければならない」
「・・・」
「俺は何かがおかしい。そう思った。ふいに、その光景にただならない違和感を感じた。俺はここにいちゃいけない。ここにいたら俺はおかしくなる。直感的にそう思った。俺は、一人体育館を飛び出した。俺はそれから学校に行っていない。君もそういうことなんだろう?」
「いや・・、僕は・・、ただ単に学校に適応できなくて・・、なんか同級生にも嫌われて・・、クラスに居場所が無くて・・、ごにょごにょごにょ・・」
僕はただ学校に適応できなかっただけ・・、行きたくても行けなかっただけ・・。僕は令さんみたいにカッコよく学校を去ったわけではなかった。
「俺たちは仲間だ」
「えっ」
だが、力強く令さんは僕の肩を抱き、叩いた。
「俺たちは似た者同士だ」
「いや・・、多分、違う・・」
絶対違っていた。僕は令さんみたいにカッコよく辞めたわけじゃない。
「飲もう」
「は、はい」
「学校という共通の地獄から生き残った俺たちに乾杯」
「乾杯・・」
生き残ったというところがよく分からなかったが、理屈ではない何か強烈な説得力がやはり令さんにはあり、僕はとりあえず令さんにジョッキを差し出されるがままにまた乾杯をした。
「今じゃ何も覚えていない。校長だけじゃない、担任も他の先生もそうだ。奴らの語った話も内容も、欠片も覚えていない。校長の顔すらも覚えていない。俺にとって学校ってのはそういうもんだった」
「・・・」
確かに、僕もあれほどの忍耐で、小中高と聞き続けた校長先生の話は欠片も覚えていなかった。そして、今の僕の人生になんの役にも立っていない。
「俺はたとえ、貧乏だろうとまともな大人になれなくても、こんなとこにいたくなかったし、いるべきじゃないと思った。ここは何かが間違っている。俺はそう思った。そして、それは正しかった。違うか?」
「違いません」
僕は力を込めて答える。何だかよく分からなかったけど、令さんの話を聞いていたら、僕は生まれて始めて高校を辞めたことを肯定できる気がした。学校に適応できなくてよかったとさえ思えてきた。
「令さん・・」
僕は令さんを見た。令さんがものすごく、カッコよく見えた。堪らなくカッコよく見えた。
「おいっ」
その時、急に背後でドスの利いた声がした。
「えっ?」
僕は、振り返る。
「わっ」
振り返ったその先に、明らかにやばそうな人がずらりと並んでいた。北斗の拳にでも出てきそうな見るからにゴロツキな感じの方たちだ。スキンヘッドにピンクのモヒカンが普通にいる。
「てめぇ、舐めた態度とってくれたな」
その中心にいたガタイのいいスキンヘッドの男が、ものすごい青筋を立てて令さんを睨みつける。
「またお前らかよ」
「えっ」
僕は令さんを見る。令さんは、しかし、落ち着いていた。
「まったく、しつこい野郎だ」
令さんがやれやれといった表情で立ち上がった。




