再びステージへ
「はい」
ライブ本番直前、あの狭い物置のような楽屋で涼美が僕にビールを差し出す。
「・・・」
僕は、ゆっくりとそれを受け取った。
「・・・」
そして、そのキンキンに冷えたビール缶を見つめる。
「何してんのよ」
涼美が、そんな僕を見つめる。
「うん・・」
昨日は緊張で全然眠れなかった。ステージはやはり怖い。僕は缶ビールのプルトップを開けた。全然酒を飲みたい気分ではなかったが、仕方がない。
「ううっ、ナムサン」
かけつけ一杯。そして、僕は勢いよく缶ビールをあおった。
「・・・」
そして、ビールは僕の喉を通り過ぎて行った。
「どう?」
涼美が僕の変化を観察する。
「うん・・」
特に変化は感じなかった。
「おおおっ」
しかし、酒が胃の腑に到達し、そこから血に乗って全身にめぐり始めると、さっきまでの緊張と不安が嘘のように晴れてゆく。指の震えも嘘のように治まっていく。
「おおしっ」
そして、僕の小さかった気はどんどん大きくなり、地球の危機を救えるまでに大きくなった。
「いけるぞ」
僕は目を見開き、涼美を見た。
「俺行ける」
今、僕は全人類の全ての問題を解決できる気がした。
「俺行けるぞ」
「はいはい、よかったね」
涼美は酔って歪な気合の入った僕を軽く受け流す。
「ところでチューニングは大丈夫なの」
涼美が不審気な顔で、そんな一人歪に燃える僕のベースを見る。
「あんたまた前みたいになったら、ほんと殺すからね」
涼美は低く重い声で言った。
「大丈夫、五分は持つから」
あれからさらに様々工夫して、ベースの音の狂いは小さくなっていた。だがやはり五分が限界だった。
「五分以内だったら大丈夫だ」
「ウルトラマンか」
涼美がツッコむ。
「ウルトラマンは三分だ」
僕は即座に言い返す。
「わっ」
涼美が持っていたペットボトルを投げつけて来た。僕はそれを寸でのところでかわす。ペットボトルは、そのまま後ろの壁まで飛んで行き、そこに当たって落ちた。それを人の良い丸ちゃんが、おずおずと拾う。
「ほんと殺すからね」
涼美が睨む。
「暴力反た~い」
僕は小さく叫んだ。
「何?」
涼美がさらに鋭く睨む。
「いえ、なんでもないです・・」
「さ、時間よ、行きましょう」
涼美は立ち上がって、スタスタと一人出口に向かって行った。
「なんて 凶暴な女だ」
僕はそんな涼美の背中を見つめ呟いた。それにしても、やはり涼美は今日もセクシーだ。涼美の背中は大きくセクシーに開き、その美しい白い肌を大きく露出していた。今日は網タイツにガーターベルトまでしている。
「どこまでセクシーなんだ・・」
僕は呟いた。
「・・・」
そして、僕はまたあの悪夢のステージに立っていた。昨日あれほど恐れ、震え、怯えた舞台に僕は今また立っている。舞台と言っても、ちょっとした段差があるだけの、客席とほぼ地続きな舞台なのだが、そこはやはり、僕にとってひどく恐ろしい場所だった。
丸ちゃんは、まじめに涼美の言いつけを守り、下を向き、目をつぶってステージに上がって行き、ドラムの前に座った。そして、そのまま、絶対に前を見ないようにして、ただドラムのスネア部分の一点だけを注視していた。
僕もなるべく、客席の方は見ないようにしていた。
「ん?」
だが、ふと前を見ると、拍子抜けするほど、前回よりも観客は圧倒的に少なく、ちらほらしかいなかった。客よりも開いている空間の方が大きい。ライブというよりは、何か適当な集まりといった雰囲気だ。しかも、そのちらほらのうちの二人は千亜とマチだ。
「へへ~い、エブリバディ、みんな今日も行くぜいぇぇ~いい」
そして、今日も状況に関係なくジェフがテンション高く叫ぶ。しかし、今日は逆に客が少な過ぎて、ジェフのテンションは完全にこの場で浮いた。反応しているのはライブハウスのオーナーのおっさんだけだ。今日もド派手なサングラスとアロハシャツに身を包んだオーナーは、客席の後ろで、ジェフの叫びに一人だけ反応し、拳を突き出し「お~っ」と、叫んでいる。
そして、そんな微妙な前振りで、演奏は始まった。
「ひ、弾けている・・」
酒の効果もあり、僕はまったく緊張していなかった。指も動く。僕は普通にベースを弾けていた。涼美はもちろん、場慣れしているのか、もともと緊張しない質なのか、そのパフォーマンスをフルに発揮している。そのサウンドは最高に良かった。ジェフは、まじめに歌えばやはり、声はいい。その迫力ある歌声は、ライブハウス全体を震わせる。
丸ちゃんの叩く、ドラムの音とリズムも安定していた。丸ちゃんの集中力は、自分でもかなりあると言っていたが、本当だった。丸ちゃんは、何かまったく別の世界に入り込んでいるようなすごい集中力だった。その禍集中に入ってしまえば、周りが見えなくなるらしい。丸ちゃんは前回とは別人のように安定して演奏している。
完成度はまだまだ低いものの、僕らは普通に演奏出来ていた。あれだけ緊張していた自分が悲しくなるくらい、僕も普通に弾けていた。
「終わった」
そして、全ての演奏が終わった。たったの三曲だったが・・。
「終わったぞ」
ステージから降りた僕は緊張からの解放で、天にも上るテンションだった。
「終わった」
僕は天に両拳を突き上げ叫んだ。酔いと、ライブの終わった解放感と、演奏の興奮で、僕のテンションはマックスに達していた。
「終わった」
僕はさらに叫ぶ。
「うるさいわねぇ」
そんなうっとうしい僕を涼美が睨む。
対バンの二つのバンドも僕らと似たり寄ったりの、即席田舎バンドといった感じだった。
「こんなもんなのか・・」
案外恐れるほどのものではなかった。
「ライブ恐るるに足らず」
僕はライブ前の気弱な僕とは全くの別人になっていた。
「ふっ、ふっ、ふっ、ライブなんて大したことはないぜ。はっ、はっ、はっ」
「ほんとうっとうしいわね、なんなのよあんたは」
そんな妙なテンションの僕を、涼美は、隣りからちょっと引きながら睨んだ。




