ベースとコーラス
「ベース届いたんだ」
涼美が僕の抱えるベースを見る。僕たちはスタジオにいた。
「うん」
電話で頼んで、店の予告通りちゃんと三日でやって来た。だが、写真で見たのと、なんか違う。全体的に非常にみすぼらしい。しかも、ピックガードの柄が、写真で見たべっこう柄ではなく真っ白で、電話で文句を言うと別のを送るから送り返してくれと言う。そんな時間はないので、この柄で仕方なく妥協。いきなり、なんかがっかりな感じだった。
「それにしても、見るからに安ものね」
届いたベースを見て、涼美が思いっきり失礼なことを言う。
「しょうがないだろ。金がないんだから」
しかし、僕も箱を空けてまず思ったのはそれだった。
「情けないわねぇ」
「うううっ、お前なぁ。俺だって俺なりにがんばってんだよ」
「知らないわよ、そんなの」
「うううっ」
僕の苦労など知らないわよの一言で片づけられた。
「はいはい、時間がないんだから練習練習」
「うううっ」
しかも、涼美は僕の怒りなど完無視で次に行こうとする。しかたなく、僕はその安物のベースを肩にかけた。
「ふ、太」
ネックを握ってまずその弦の太さにビビった。ギターからベースに持ち変え、その弦の太さの違いがあまりに大きく感覚がついていかない。一応弾き方はギターと同じだから、弾くことは可能なのだが、あまりに太さが違い過ぎる。
「重いなぁ」
さらに重い。ボディのデカさがそのままずっしりと肩に来る。
「情けないわねぇ」
僕が、ベースの感触にまごまごしてると涼美がすかさず文句を言う。
「うるさいなぁ」
しかし、弾こうとすると、やっぱりなんか勝手が違う。かなり弾きにくい。本番までに慣れるだろうか。
「・・・」
不安はさらに募った。
「そこは頭だけでいいわ」
「うん」
「そこはシンプルでいいから、しっかり音出して」
ベースは、短音だけでいいのでその分は楽だった。
「丸ちゃんそこはもうちょっと強く」
「はい」
練習は涼美が完全に仕切っていく。
「ジェフ、ちゃんと歌おぼえた?」
涼美がジェフを見る。
「おお、完璧ペキペキ、パーフェクトだよ」
ジェフはいつもの謎の陽気なテンションで答える。
「言っている意味は分からないが・・、とにかく覚えたんだな・・汗」
僕が呟く。
「うぅ~♪走るぅ言葉の陰りに~♪」
ジェフは、唐突にマイクを握り、アカペラで歌い出した。
「おおっ」
いきなり一番盛り上がるサビから歌い出すと、それはすぐに僕らのハートを揺さぶった。スタジオ内の空気が一気に変わる。ジェフの歌声にはやはり不思議な魅力と力があった。
涼美が、慌ててジェフに合わせてギターを弾き始める。僕もそれに慌てて続くと、丸ちゃんも続いた。
「おおっ」
鳥肌が立つ。まだまだ完成度は低いが、歌にギター、その後ろにベース、ドラムと音が重なり、曲が形になる。
「う~ん、いい感じだ」
音を合わせるとやっぱり、曲が曲として迫力を持つ。
「これならいけそうだ」
僕は初めて自信を感じた。
演奏が終わると突然、涼美が僕を見る。
「ん?なんだよ」
「コーラスやって」
「はい?」
「あたしがメインギターなんだから、あなたがコーラスやりなさい」
それはほぼ命令だった。
「なんで命令なんだよ」
いったい何様なんだ。
「あたしはギターに集中したいから」
「なんて自己中な」
涼美の理由は全て自分中心だ。
「やりなさい」
「嫌だ」
僕は断固として言った。
「なんでよ」
「やなものはやだ」
「子どもか・・汗」
「絶対やだ」
「いいからやりなさいよ」
「やだ」
「あなたはベースでしょ」
「ベースだからなんだ」
「どうしたのよ。いやに反抗的ね。いつもはすぐ妥協する癖に」
「ううっ」
「なんかあるの?」
「何もないよ」
「じゃあ、いいでしょ。やって」
「ううっ・・」
涼美の圧力に負け、気の弱い自分にがっかりしながら仕方なく僕はマイクの前に立った。
演奏が始まる。コーラスの部分になると、僕は無我夢中で歌った。
演奏が止まった。
「・・・」
「・・・」
ジェフと涼美が僕を茫然と見つめる。その後ろでは丸ちゃんまでが目を丸くして僕を見ている。
「な、なんだよ」
僕は二人を見返す。
「おまえ、音痴だな」
ジェフが言った。
「ドン引くぐらい音痴だな」
涼美がさらにかぶせるように言った。
「そこまで言うな。だから嫌だって言ったんだ」
「そこまで言いたくなる音痴だぞ」
涼美が言った。
「うううっ」
「ほんとに使えないわね」
涼美がさらに蔑むように言った。
「使えないとか言うな」
「実際使えないじゃない」
「うううっ」
嫌な女だ。ほんと嫌な女だ。
「上がり症で音痴って、なんでギター弾いてるのよ」
「言ってしまったなそれを」
僕のアイデンティティはその一言で致命傷を負っていた。
「うううっ」
一言で僕という不安定な存在の核心を突かれた。
「だから、女は嫌なんだ」
女はたった一言で、今まで傷つかないよう傷つかないよう大事にこつこつ守ってきた男のプライドを全部ぶっ壊す。
「あんたが情けないだけでしょ」
「うううっ」
また核心を突きやがって・・。
「クソゥ~、こんな奴とこれから一緒にバンドをやっていくのか」
僕はなんだかくらくらした。
「何、ぶつぶつ言ってんのよ」
「ううっ」
しかし、バンドは僕の長年の夢。ここでいきなり脱退するわけにはいかない。このチャンスを逃したら多分、いや、絶対こんなチャンスは一生僕の下には巡っては来ないだろう。
「がまんだ。がまんだ。忍耐忍耐・・」
僕は念じるように心の中で呟いた。
「なんで音痴なのよ」
だが、涼美はさらにたたみかけ僕を睨む。
「知るか。神様に訊いてくれ」
「逆切れ?もう最低ね」
「好きで音痴やってるわけじゃないんだ」
「好きでやられたら、半殺しにしてやるわ」
「うううっ、口の減らない奴だ」
上がり症で音痴で口げんかすら敵わない。
「ほんと最低ね」
「ううっ、俺も自分で思っていることを・・」
我慢だ。我慢だ。忍耐だ。僕は自分に言い聞かせた。
「しょうがないわねぇ」
涼美が嘆息まじりに言った。そして、マイクの前に立つ。そして、再び演奏は始まった。
「おおおっ」
涼美の歌声はそれだけで、メインボーカルすらできそうなほどの澄んだ美しさがあった。
「そんなに歌うまいなら最初から、涼美がやれよ」
僕はぶつぶつと言った。僕は二重に恥をかいただけだった。




