生きる。それはまるで生物の死のようだ。
「生きる」とは、何だろうか。私は何故「生きている」のだろうか。
この哲学的疑問に、答えはない。だが、私は考え続ける。道を歩きながら。
「生きる」というのは、天国で悪い事をした者の罰ではないか。
「生きる」というのは、地獄で頑張った人の褒美ではないか。
色んな事が思いつく。今の私は人生で一番集中している。そんなとき、頭にある考えが浮かんだ。
人は失敗から学ぶという。つまり、この世界では失敗を経験させ、成長してから天国に行かせるのか。つまり天国が本当の世界で。「生きる」というのは、そのための土台なんだ。
私は一人、納得する。だか…。
「いや、待てよ。」と私は言葉をこぼす。まだ小さい子が病気などで亡くなってしまうこともある。これでは学ばせる事ができないではないか。意味が無いではないか。
今の私には、車のクラクションのような大きな音も聞こえない。それほど集中しているのだ。
いくら考えても答えは見つからない。だが、私は考えた。もう考え始めてから24時間は経った気がする。もはや私は、「生きる」について考えるために生きているのではないかとさえ思ってきた。
考えが浮かんでは矛盾を見つけ、また新たな考えを探す。そのうち1週間、1ヶ月。半年、1年。10年、100年…。1000年と、時は経っていった。どうやら「私」はまだ答えが見つかっていないらしい。