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五話

 アンダルシア星教会の男と運命を狂わされた魔獣の奇妙な邂逅から、十七年。その心からはすでに父の顔は失われていた。すでに人の文化は失われていた。かかわった人の名もすべて消えてしまった。

 それでも、それでも、かれの中から人の心は失われていなかった。父の教えは奪われていなかった。時間という無情な流れがかれを取り巻いていたにも関わらず、決して、忘れることなどなかった。


 それがかれの、根幹だから。



 魔獣の鼻が森にはそぐわないにおいを感じ取る。人のにおいだ。フォティオスは辿る。深い森は、人には過酷な環境だから。

「あっち、なのだ」

 昔と比べたら、かれはずいぶん独り言が多くなった。会話を奪われたから。大切な人間との関係を奪われたから。

 深い森の中を、できる限り音を立てないようにして、かれは歩く。すでにかれの姿は人間に恐怖を覚えさせるに十分な大きさと凶悪さを持つものに変わっていた。それが自然の理だから。

 鼻が与えてくる情報と今までの経験がこの先に花畑があることを教えてくれる。茂みに顔を突っ込み、鼻先だけを向こうに出した。

「……。無事そうなのだ」

 主に嗅覚と聴覚によってフォティオスは状況を観測し、安堵の息を吐く。


 森の深いところにある花畑には、時折人がやってくる。それはそこにしか生えない薬草や毒草の採取が目的だったり、そこに現れる獣を狩るためだったりと様々だが、それでも一様に戦闘能力が求められる。そのためほとんどの人間は念入りに準備をして森に入るのだが――時折、(彼らにとっては)のっぴきならない事情を抱えて、どう見ても捕食対象にされそうな人間の子供が迷い込んでくるのだ。


 そう、ちょうどフォティオスの先にある花畑にすわりこむ少女のように。

「でも警戒心がたりないのだ……。ちょっとまずいかもしれない」

 フォティオスの感覚は人間の匂いに集まってきたとみえる森に住まう獣たちの気配を捉えていた。そしてその一体が満を持して少女に襲いかかろうとしたところで――。


「ウォオオオオオオオオン!!」


 フォティオスは人里の方へ向けて少女を威圧しながら飛び出した。

「は、キャアッ!?」

 少女はいきなり茂みから飛び出してきた異形の怪物に恐れおののく。この森が危険なことは聞いていた。それでも彼女はあきらめるわけにはいかなかった。彼女の敬愛する父が、傷がもとでひどい病魔に襲われてしまったから。

 だけれど、その怪物を見た瞬間彼女は腰を抜かした。その速さと狂暴そうな顔に、あきらめるしかないとわかってしまった。ぎゅう、と目をつむり、少女は来る衝撃に身構えた。


「……まったく、しょうがないのだ」

 その様子を見てフォティオスはひそかにため息を吐いた。そして少女に駆け寄り、その襟元に食らいつく。肉を、噛み千切らぬように。……まるで非力な獲物を残虐な魔物がいたぶっている光景に見えるように。首を振って、森の中へと少女を投げる。できるだけ彼女が少ない傷で済むように。

 そんなこんなでひとまずの難を逃れたように感じた少女は何とか立ち上がって駆ける。どこへ向かっているのやら、もう少女にはわからない。ただあの怪物から食われないように、そう思って走るので精いっぱいだった。そして少女は――また、絶望する。

 後ろにいたはずの怪物が、少女の前でらんらんと瞳を輝かせていた。

「もう、だめよ……。ごめんなさい、お父さん、お母さん……」

 少女は胸元のペンダントを掴む。木彫りのそれは、昔、彼女の両親から送られたもの。

 そして少女は背中を何かで強かに叩かれ、また宙を舞った。


 フォティオスの周りには警告を示す黄金の燐光が漂っていた。

「あと300サリルくらいは自分で何とかするのだ」

 練り上げた風の聖術で打ち上げた少女を保護したかれは、そういって森の奥へと戻っていく。その顔は、苦痛で歪んでいた。


「…………もう、使いたくないのだ。こんな力」


 それはきっと、かれが魔獣だから出てきた言葉で。少女を打った尻尾がじんじんと痛むような気がしていた。

 人と決別してからこんな風に人を助けたのは一度や二度ではない。ある時はハンターたちが危機的状況に陥ったときに横合いからモンスターを倒したり、先ほどのように森の深くに迷い込んだ力を持たぬ人間を追い出したり、増えすぎた動物や魔獣を間引いたり、ただ、人の益になることばかりやっていた。

 けれど、その代償は大きく、かれが聖力を使うたびに、彼の魂は削られ、外見からは分からずとももはやその魂はぼろきれも同然のような状態だった。


「もうこの森からも移動しなければ」

 かれが人助けをした結果は、危険度の高い獲物につけられるという二つ名の中でも『流れの狂獣』などという物騒なもの。かれの想いとは裏腹に、人はかれを恐れ、排除しようとする。


(それでいいのだ。人とおれは、もう分かたれた)


 ただ瞳だけが、ひたすらにかなしそうだった。



 そうして、それから、ふたつみっつ、山を越えた先の、草原の真っただ中で。

 かれは、ハンターに狩られるまでもなく、自らの力によって魂を喰われ、息絶えた。



 数日後に見つけられたかれの死体は狩猟ギルドに持ち帰られ、その毛皮はキュロスと名乗る老人に買われたという。

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