三話
ハウラには二人も何度か訪れたことがある。門番は幸い顔見知りで、すんなりと中に通された。
「村長、遅くに失礼。キュロスです」
村長の家のドアをノックすると、細君がちらりと顔を出した。
「あらあらまあまあ! ハンター様じゃないの! この前はどうもねえ! それで今日は……ああ、あの依頼かしら? カラノスとシメオンのとこの子がいなくなったっていう……。ハンター様には申し訳ないけど、多分あの子たち、もう見つからないわ。魔獣のいる森に子供二人が入って、二日も生き延びられるか怪しいのに、それが五日目なのだから。それでもありがたいわ。私たちじゃ森の奥まで探しに行けないもの。カラノスたちだって遺体かせめて形見の品だけでも供養してやりたいでしょうし。さ、入って」
言われるままにドアをくぐり、フォティオスは気づく。嗅いだことのない人間の匂いが複数あった。
「あの……」
「なにかしら、ハンター様?」
「他に誰か来てるの?」
「ああ……教会の方がねえ。なんでも森で怪しいことをしている者がいるから調査したいだとかで、ほんと、困っちゃうわよねえ。本当は子供たちを探したいのに、カラノスなんて付きっ切りでお世話よ」
「森で……? ふむ……」
キュロスが隣で考えこむ仕草をした。こうなると長いのだ。フォティオスはちょっと肩をすくめて黙り込んだ。
「いつも通り、部屋で食事をとるんだよね?」
「うん」
「部屋はいつものとこだよ。ちょっとしたら持ってくるから、待ってなさいね」
「うん。待つのだ」
夫人とは廊下で別れ、いつも借りている部屋に入る。最初の頃に聞いたことには、なんでもここはハンター用の部屋らしい。カロナの役人や今来ている教会のひとが使う部屋は他にあるのだそうだ。それで、村で依頼を出したときにしっかりと掃除をすると夫人は言っていた。
「フォティオス」
「なんだ、父さん」
「教会のものとは距離を置いておいた方がいいかもしれない。ここらではないとはいえ、僕らも森に住まう人間だ。疑いをかけられるのはよしたい。……だが、そうだな。もし会わねばならない時が来たら、お前は体を聖力で満たしておけ」
「……わかったのだ」
聖力はフォティオスの体を傷つける。だがいままでキュロスの言葉が間違っていたことはなかった。だから今回もそうなのだろう。
「それから、少し寄れるか」
キュロスの手招きに従うと、彼はフォティオスの耳のほど近くに顔を寄せた。
「この件、もしかすると魔族が関わっているかもしれない。力を持たない僕はともかく、お前は気を付けておいた方がいいだろう」
「わかった、のだ」
魔族の名を、フォティオスは知っている。彼らは絶対的な悪だ。獣たちとは違う。獣たちは人間に害を及ぼさない限り討伐対象になることはない。魔獣も、聖獣も。だが魔族が人間の世界でひとたび見つかれば、悪事を働いていなくても人間はおろか真人さえも動いて息の根を止めるまで追い回される。少なくともここではそういう扱いだった。
次の日から二人は森に出て子供たちを探し始めた。野宿に慣れた二人だが、少しでも生きている可能性があるのなら早く探してやらねばならないと多少気がせいていた。
「どこにいると思う?」
「わからない。人間の匂いが薄いのだ」
「そうか」
フォティオスは自分の感覚に自信を持っている。なにしろキュロスのお墨付きだ。それをもってしても一切動向がわからないのは、少し不自然だった。
「いったん休憩しよう」
キュロスが眉間をも見込むようにして言った。一日あるき続けて手がかりの一つも見つけられないので、さすがの二人も気が滅入っていた。
会話は少なく、野営の準備をする音だけがそこにあった。
夕飯にフォティオスは味のついていない干し肉を不味そうな顔で噛み千切った。
「明日は、見つかるといいのだ」
「そうだね」
二人は木に背を預けて眠った。フォティオスはフードをかぶったまま。
夜半。樹冠の上で星が瞬いている頃。フォティオスはふと目を覚ました。何か妙な感じがした。何の気配もしなかった。
「……」
木々の向こうで、ゆらりと何かが動いたような気がした。
「父さん。起きるのだ」
「…………フォ、ティオス? なにかあったのかい」
「何か、妙なのだ」
――瞬間、ぞっとするような気配が満ちる。
「こ、れは、」
キュロスは思わず自分の腕をきつくつかんでいた。立ち上がった二人は森の奥を睨み据える。明らかに聖なるものとは程遠い。これは魔に属するものだと、フォティオスには分かった。確かに禍々しいけれど、どこか、心地よささえあるのだ。
「父さんは下がってるのだ。おれが、やる」
「フォティオス! お前、まさか」
「大丈夫、なのだ」
キュロスはそれが自分よりも圧倒的に格上だと感じ取っていた。そして魔獣である以上、聖なる力が使えるフォティオスなら倒せるだろうということも、分かっていた。だが、フォティオスは。フォティオスは。
「聖術は、お前、まだすぐには組み上げられないだろうっ」
それでもフォティオスは止まらない。かれも、分かっていた。育ての親は、この気配の主に抗うほどの力はないと。あれは生みの親よりもずっと強いだろう。けれどもこの力ならば、おそるるに足らず。
「風よ」
――打ち払え。
邪魔な木を押しのけて、疾駆する。見えた。
「土よ」
――割れろ。
人間のように小さな影が、地割れに呑まれて身動きを封じられる。まだ聖力は応えてくれる。
「火よ、風よ!」
――燃え盛れ、渦巻け。
ごう、という音とともに火が地割れを呑む。風を入れれば勢いが強くなるとキュロスは言っていた。胸のあたりが、痛い。
そうして高く昇った火が出てきた時と同様一瞬にしてかき消えると、そこには二つの黒焦げの死体が残されていた。
「……終わった、のだ」
「終ワリ? オカシナコト、ヲ」
「っ!?」
瞠目すると同時にフォティオスはその場から飛びのく。
「カカ、せっかく作ったのにここですぐに止められては労力が無駄になってしまうからな」
暗闇に赤い瞳が光っていた。黒い肌に、黒い髪。キシャア、と鳴いたのは、髪の先の、どの蛇だろうか。
「お前は……」
「フォティオス、逃げろ!」
ハッとして後ろを振り返る。キュロスの顔は歪んでいた。彼がおさえた太ももから地面に落ちた血の匂いが、フォティオスの嗅覚に飛び込んできた。
「父さん……?」
「あれじゃ致命傷だろ、坊やはさっさと逃げな? ――とでも、言うと思ったか」
その男は。その、魔族は。フォティオスの回避能力のギリギリを試すように、遊ぶように、かれを魔術と魔法で弄び続ける。
「一の陣、起爆。ほら、さっさと避けないと死ぬぞ? 七の陣、起爆。そうだ、明け方まで生きていたらご褒美でもやるか」
相手は余裕綽々とばかりに笑顔で魔術を展開するのに対し、フォティオスは口を開く余裕すら奪われていた。
(右。次は右斜め前――違う、斜め後ろっ! くそ、父さんっ)
一瞬でも判断を間違えれば死ぬ。だが攻撃は――できない。先ほどした自身の連撃でフォティオスの体は聖力に傷つけられていた。口から一筋、血が垂れる。ギリ、と奥歯をかみしめた。
キュロスの方から遠ざけること、それだけが今のフォティオスにできる精いっぱいだった。
そうして半刻ほど避け続けて、もうかれの体力は限界に近づいていた。幸いなことにまだ直撃はしていないが、森のあちこちでついた傷は確実にかれを苛んでいた。
――そんな時だった。
運命の女神がかれに微笑んだのは。
「――一の陣。起爆せよ」
フォティオスの耳にそのささやきが飛び込んでくるのと、魔族が横合いから大きな杭に貫かれるのは、ほとんど同じ時だった。
「……ッ」
「よく頑張りましたね、少年。おかげで助かりました」
「がっ……は、と、父さん……っ」
聖力による治癒術をかけられてさらにダメージを受けながらも、フォティオスは来た道の方を振り返って手をのばす。まだ生きていてくれと、願っていた。
「…………魔獣……?」
そんなかれの、身に着けていたフードが取れて、現れた、獣の容貌。かれを助けた神官は、思わず困惑の声を上げ、胸元から見える鈍い金属の輝きに気付く。
「『狩猟ギルド・カロナ支部所属 フォティオス』……? 魔獣が街に入っていたのか? なんのために?」
神官は自分が聖力でかれを回復させてしまったことに気が付き、あわててかれの容体を見る。そこで、自分のものでも仲間のものでもない聖力の形に、驚くこととなった。