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一話

 冬が来て、春が来て、そうして魔物は生まれた。魔物は母を傷つけながら生まれた。母は魔物の体を舐めなかった。きょうだいたちは、魔物を怖がった。

 魔物は、生まれてすぐに生命の危機に陥った。

 これは今の魔物の知るところではないが、すべては聖なる焔の仕業なのだ。

 かれが身に宿す聖なる力は、かれを助けることはしてくれそうになかった。

 そしてかれは、置いて行かれた。群れに。家族に。ふりかえられもせず。

 きょうだいたちも、かれが消えたことすらわからず、首筋を噛まれて森の奥深くへと連れられて行った。そのちいさな意識の中から、恐怖だけがなくなっていた。

 生まれたばかりの魔物は、ただ、しずかにおびえていた。なにもわからないが、ただ、皆が消えたことだけは分かっていた。



「やあ、魔獣の子じゃないか」

 森の静寂を破る声がした。人間だった。剣を携え、弓を背に、獲物をぶら下げて、男は魔物を見下ろした。魔物はもう死にそうだった。聖なる焔は、いまだ彼の身を焼いていた。

「聖法の気配……。確かに魔獣のはずだけれど。聖霊の祝福でも賜ったのかな。だとしたら難儀なものだ」

 男は魔物を抱いた。放っておいても死ぬような子供だ。わざわざ殺す必要もないだろう。


 彼は、つまり、助ける気なのだった。

 ――聖なる焔は、いま、役に立ったのだ。


 男は家に帰った。まだ肌寒いこの季節、毛布には不自由していない。そこらに冬毛の獣たちがいたのだからなおさらだ。ともかく、彼は何枚かあるうちの一枚を手に取り、魔物をくるんだ。

「さて、困ったなあ。僕はこの子に乳をやる術がない」

 魔物をくるんだ毛布を膝の上に置いて座り、彼は少し考えていた。そして机の上のがらくた――というと彼は烈火のごとく怒るのだろうが――をどけて、魔晶といくつかの素材を手に取る。

 図案はすでに頭の中にあるようで、迷いのない手つきで工作していく。やがて出来上がったそれにミルクを入れると、彼は満足そうにうなずいた。

「魔獣の子。ほら。ミルクだ」

 人間のものよりもいくらか細いその先端を魔物の方に近づけると、かれはぱくりとくわえた。愛らしさを覚えさせる姿だった。

「良い飲みっぷりじゃないか。作ったかいがあるというものだ」

 かくして、魔物と人間の奇妙な生活は始まった。



「やあ、それだと怪我をするぞ」

 ある時は、戦う術を身に着け。



「そうだ、すぐにできてえらいじゃないか」

 ある時は、見よう見まねで人間の文化を学び。



「とうさん、つぎはこれなのだ!」

 またある時は、人間の言葉を覚え。




 ――そうして魔物は、一人前になった。




「それにしても、大きくなったなあ」

 男は――否、キュロスは横に立つ魔物を見て言った。

「当然なのだ。父さんに育てられたのだから」

 にひ、と屈託なく笑う魔物にも、フォティオスという名が付けられていた。フォティオスは四回の変態を終え、二足歩行を取るようになっていた。

「はは、体格はともかく強さやら頭の良さやらは確かに僕が育てたからかもなあ」

「ううん、違う。父さんがこう育てたからこうなったのだ」

「そうかい?」


 フォティオスの言葉はこの世界に息づく獣たちの根底にある規律だ。すなわち、魔獣は育つ方向で生きざまが決まる。

 それを獣たちは、本能で知っていた。ゆえに、魔物は切り捨てられた。魔力を扱う家族たちにとって、魔物の聖力はどうしようもなく不必要で、それどころか群れに危険すら及ぼすものだったから。


「だから父さんには感謝してるのだ」


 人のものではない顔をフードで隠しながら、フォティオスは言う。これまでだって何度も伝えた。でも、足りないから。気持ちだけでは、足りないから。これからも何度だって言うのだ。


 フォティオスは豊かな体毛がこぼれ出ていないか確かめて家を出る。キュロスもそれに続いた。

 早朝の森は清涼な空気に彩られていた。霧が辺りを覆い隠し、静けさに満ちている。明るい声でさえずる鳥たちはまだ起きていないのか、わずかに明るい空気の中に、彼女らの声は聞こえてこない。

「さて、行こうか」

「うん」

 キュロスの家から森の縁までは多少距離がある。とはいえ街道は近くにあり、この霧の中だとしてもほとんど道に迷うことはない。


 二人は周囲に注意を払いながら、一路街を目指す。その街の名はカロナ。交易都市として有名で、そして自治権を持っている。キュロスが住処をこの都市の近くに選んだのは、そういう理由だった。フォティオスには……あまり関係はないが。


「それにしても残念なのだ。おれがつくった道具が持ってけないなんて」

「そりゃあ諦めてくれると嬉しいね。聖晶なんかで作ろうとしたらお前が火傷してしまう」

 魔物の悲しげな呟きに、キュロスは苦笑を返す。フォティオスは聖力を持っているが、それはただ保持しているだけだ。人間であるキュロスは聖力も魔力も持つことはできないから、彼にとっては羨ましい力だが、魔物のフォティオスには毒でしかない。使うたびに命を削る力など、ない方がましというものだろう。

 この七年で、制御の仕方は編み出したが、それでも十全に使えるというわけではなかった。

 まして純粋な聖力の塊である聖晶などなおさらで、人間や真人なんかには無害どころか有益なそれは、魔物には明確に牙をむくのだ。フォティオスはそういう理由で魔晶を使って術具をつくっていたが、今度はキュロスからストップがかかった。


「それにこのご時世だ、お前の魔の気配だけでも危ういのに、それが聖晶を使っていないなどと知れたら、あらぬ……とは言えないかもしれないが、疑いがかかる可能性だってあるだろう? そいつを避けたいのさ」

「それは分かっているのだ」

 魔晶を使った術具が悪いというわけではない。人間の世界では普通に使われている。だがことフォティオスにとっては都合が悪い。最悪の場合殺されてしまうことになってしまうと理解しているからこそかれは引き下がるしかないのだった。


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