結局、僕らはこの世界でしか生きられないのだと彼は言った。
「不幸の後には幸せになるって誰が言ったの」
「知りませんよ。そんな事、まだ信じていたんですか?」
夏のベランダ、夜になり日光にジリジリと照らされた地面が少しずつ冷めていっているのだろうか、生ぬるい風が頰や髪を掠めていく。
足元にはビールの空き缶、ベランダの壁に背中を預けながら、私は彼の手に持つ煙草の煙を浴びていた。
「不幸の後に幸せが来るって言うのは、ただ人がそう信じたいから、 そうあって欲しいから人から人に励まし言葉のように伝わるんです。
幸も不幸もその人の考え方次第ですよ。」
ふむ、確かに。と一息つきながら私は彼に聞いた。
「お前は?信じてる?」
「信じてません。」
「だよね。」
顔をこちらに向けないまま彼は綺麗とは言えない空をぼんやりと見たまま答えた。
綺麗な黒髪が風に吹かれて靡いている
段が多めだが綺麗に伸ばしたロングヘア
癖なのか敬語のままの口調
そのわりに辛辣な言葉
長い睫毛
長い足
整った顔
私は彼が好きだった。恋仲になりたいと言う訳ではなく、人間としての憧れに近かったような気がする。しかし浮世離れしている外見の代わりに、神様はきっとこの人から常識というものを何処かへふっとばしてしまったらしい。
“頭のネジが飛んでる美男子”彼への第一印象だ。
「お前にとっての幸せって何」
「なんですか急に。」
「お前と私は違うから、お前の幸せが分からない。お前を幸せにしたい時はどうすればいいの。」
フゥッと煙を吐くと彼は視線だけをこちらへとうつした。その表情は憂いを含んでいて思わず私は目線を逸らす。
「一般的な幸せが幸せと思えるようになることです。」
「例えば?」
「ご飯がたべられる事」
「ん」
「収入は少ないけれど職がある事」
「ん」
「行ってらっしゃいと、言ってくれる人がいる事」
「うん」
「自分を肯定してくれる人がいる事」
「幸せと思えない?」
「僕にとっては当たり前なんです。
どんなに僕が誤っていた事を言っていたとしても、頭の弱い人達が自ら考えようとせずその意見を肯定する。僕はそれを幸せとは思えない。むしろ嫌悪する。」
「宗教かな?」
「僕は教祖様ですか?そんなのごめんです。」
吐き捨てるように彼はそういった。
「普通の幸せを幸せに…ねぇ…」
私達が俗に言う一般的な人間ではないのはお互い自覚はしている。
セクシュアルマイノリティとか、ショービジネスとか、英語でかっこよく言ってはみるけど簡単に言うと私はバイな売れない役者であり、彼はゲイのモデルである。
彼は違うが、私の容姿はそこそこ。演技力もそこそこ。コミュニケーションもそこそこ。
突出した才能はないが、表向きの世界で言う、平凡、ではない。
逆を言えば芸能界では特に何も秀でた部分のない平凡である。
芸能人の大半が様々なことを掛け持ちして生活しているように、私達もバイトをしながら芸能活動をし、セクシュアリティなことを隠して生きている。
「ライター貸して。」
自分もタバコを取り出し口にくわえると、彼が目の前にしゃがみこみ顔を近づけてきた。
シガーキスというやつだろうか。火種を貰い煙を口からフウッと吐き出すと色素の薄いヘーゼル色の瞳がこちらをじっと見つめている。
「…普通の生活に戻りたいと思いますか?」
「普通…ね。憧れはあるけど。
なんだろうね、悪い事なんか何一つしてやしないのにアンダーグラウンドな世界にいる気分なんだ。生き方の常識から外れすぎたかな」
「…」
「でも、お前がいるなら別にいいや。」
「…そうですか。」
「僕もあなたも、ひねくれた考え方しかできませんね。」
「ひねくれなきゃ、生きていけなかったんだよ。」
「…貴方はこのまま生きて、幸せになれそうですか?」
「不幸の後に幸せが来るなら、きっと私はお前と一緒に億万長者だな。」
「きっと無理ですね。」
「だな。まぁこの不幸続きの人生に飽きたら、キリのいいところで終わらせるよ。」
「その時は僕も付いていくので言ってください。」
「心中?」
「ええ、」
「私と?」
「貴方と」
「お前って私の何」
「なんでしょうね。」
「恋人?」
「違います、僕、女は嫌いなので。」
「じゃあ友達?」
「僕に友達はいません。」
「だよな。もう分からん。」
彼は私のタバコを口元から奪い、クスクスと笑いながら言った。
「結局、僕らはこの世界でしか生きていけないんです。
言葉で言い表しようの無い世界の中で。
歪で、捻くれて、闇が濃いこの世界の中で汚く生きるしか、無いんですよ。」
彼の顔が近づく、窓から漏れる光でできた影が2つ、口元で重なった。