パーティータイム
フランツとの勝負から数日が経ち、いつもの日常が戻ってきた。テレサとイヴァンへの納品も終わり、勝負の後始末が一通り完了した。
そして今日は31日。憂鬱な31日の中でも、最も憂鬱な1日だ。テレサからパーティに招待されているのだ。ただのパーティなら喜んで参加するところだが……。
給料の支払いを夕方に回し、フランツを連れて朝からテレサの家に向かった。
「本当に行くんですね……」
テレサの家に向かう道すがら、フランツは不安げに呟いた。
「あそこで断ると心証が悪くなりますからね。諦めるしかありません」
断るタイミングが無かったんだよな。できることなら断りたかった。
テレサの家に到着し、扉をノックすると、テレサが満面の笑みを浮かべて扉を開けた。
「ようこそいらっしゃいました。お待ちしていましたよ。どうぞ、こちらへ」
テレサのテンションが凄い……。気圧されるようだ。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます。お邪魔させていただきますね」
「今日は本気のおもてなしですからね。覚悟してください」
言われなくても、覚悟ならもう終わっているよ。本気のムシ料理、覚悟がなければ見ることもできないぞ。
テレサに促されるまま家の中に入る。処刑台に向かう気分だ。
部屋の隅にちょこんと立って、部屋の様子を見る。
食堂の真ん中に、四角い大きなテーブルが置いてあり、その上には大量の料理が並んでいる。もちろん、全部ムシ料理である。
部屋の壁側には小さな丸テーブルがいくつも設置してある。どうやら今日はビュッフェスタイルの立食パーティらしい。
「あの……本当に食べるんですか?」
フランツの顔は不安で満ち溢れている。まだ逃げられるつもりでいるのか?
「食べなければ帰れません。フランツさんも早く覚悟を決めてください」
「はい……」
もう逃げられないんだよ。テレサに関わってしまった時点で、もう手遅れだ。目の前の虫を食べきるまで帰れません。……地獄だ。
テレサの挨拶があり、そのままパーティが開始された。
参加者は、事前に聞いていた通り俺たちを含めて20人の男女。全員それなりに身なりがいい。金持ちなのか、パーティだから気合を入れただけなのか。判断に苦しむ。
「みなさん。今日は初めて参加する方がいらっしゃいます。ウォルター商店の店主、ツカサさんと、見習いのフランツさんです。仲良くしてくださいね」
テレサから紹介され、みんなの前で頭を下げた。
一度は注目を集めたが、テレサが他の参加者の紹介を始めたので、俺たちへの注目はすぐに解除された。
他の参加者たちは、街の有力者や問屋の店主など、多岐に渡るものだった。18人全員の顔と名前を一致させるのは困難なので、肩書と名前だけをメモしておく。
メモを取っている間に、テレサの話は料理の紹介に移った。今のうちに部屋の隅に移動しよう。
フランツを部屋の中心に残し、俺は部屋の隅の壁にもたれかかった。今日はこのまま壺になりきってやり過ごす。
テレサの話が終わると、全員が一斉に料理に群がった。俺も料理を持っていないと怪しまれる。セミだけを摘出して小皿に盛り、部屋の隅に戻った。今日のセミは唐揚げだ。悔しいけど美味い。後味の土臭さも、にんにくの香りで上手く誤魔化されている。
先入観さえ無ければ今日の料理は不味くない。虫だと思わなければ食べられる。まあ、見た目の自己主張が強すぎて虫にしか見えないんだけどね。
今日は1日、このセミだけで乗り切る。他の料理は材料が不明で、味に関係なく手を付けたくない。
俺が上手くフェードアウトしたことで、注目はフランツに集中した。フランツの周りに人だかりができて、しきりに料理を薦められている。可哀想に……。いや、意外と楽しんでいるかもしれないな。
慣れたら普通に食べられるものだと思う。虫を食べる国はいくつもあるし、日本でも地域によっては食べると聞いたことがある。
あ……。フランツが若い女性に「あーん」をされているぞ。フランツは顔を赤くしてそれを食べた。羨ましい光景だとは思うよ。フォークの先が謎の幼虫でなければね。
置物になりきっているつもりだったのだが、テレサが妙な気を利かせて俺のもとにやってきた。
「ツカサさんっ! 食べていますか? これは今日一番の自慢の料理です! どうぞ召し上がってください!」
テレサが持ってきたのは、上質なコンソメスープのような黄金色のスープだ。クルトンのようなものが入っている。まあ、クルトンに見えるだけで、正体は虫なんだけど。
スープの上には、香辛料のような六角形の粒が浮いている。なんだろう……。
顔を近付けてよく見ると、突き刺すような臭いが鼻腔を突き抜けた。青臭さと樹液と土を全部混ぜて濃縮したような臭い。パクチーの臭いにも似ているが、それの嫌な部分を強調したような臭いだ。
――カメムシじゃないか!
これは食べ物じゃない。食べ物とは認めない。過去のトラウマが脳裏をよぎる。
――あれはまだ日本で逃亡生活をしていた頃。ある山奥で野宿をしている時、味噌汁を作っている鍋の中にポトリと何かが落ちた。気にすることは無いだろう。そう思って放置したのが間違いだった。
鍋に落ちたのは1匹のカメムシだ。そのたった1匹で、味噌汁は食べられなくなった。汁全体がカメムシの臭いに染まり、口に入れた瞬間吐き出すほどだった。
たった一口含んだだけ。だが、本当の恐怖はそれからだ。次の日までカメムシの臭いが口に残り、ずっとカメムシを食べている感覚に陥ったのだ。
その強烈過ぎる臭いと味は、今も脳裏に焼き付いている。カメムシだけは思い出すのも嫌だ。
「……ツカサさんっ! ツカサさんって! 突然どうしたんですか!」
テレサの呼び掛けに、はっと我に返った。
「あ……すみません。少し気が遠くなっていました。もう大丈夫です」
「お疲れみたいですね……。このスープは元気が出ますよ。是非召し上がってください」
疲れているわけじゃないんだよなあ……。食べられるの? 食べていいの?
確か、アフリカのとある国ではおやつ感覚で食べられていると聞いたことがある。臭いをある程度除去する技術があるらしい。とは言え……臭いが完全に無くなるわけじゃないんだよなあ。
見えないところで捨ててもいいかな? ダメだよね……。フランツに押し付けよう。
そう思ってフランツを見ると、今も人に囲まれている。ダメだ。今押し付けると目立ちすぎる。
「どうしたんです? 食べないんですか?」
テレサが俺を覗き込んで催促する。もういいや。なるようになれ。スープを口の中に放り込んだ。
俺の記憶はそこで途切れた。次に気が付いたのは、テレサの家のソファの上だ。いつの間にか気を失っていたらしい。別室のソファに寝かされていた。扉の向こうから、パーティの喧騒が聞こえてくる。
「お気付きになられましたね。大丈夫ですか?」
テレサが心配そうに俺の手を握った。
「あ……ご迷惑をおかけしました。もう大丈夫ですよ」
「体調が悪かったんですね……。倒れるほど具合が悪いのでしたら、お断りいただいても良かったのに……」
だから体調の問題じゃないんだって。いや、体調不良の原因が虫だったとも言えるか。もう限界だ。今後のために本当のことを言った方がいいな。
「いえ。体調には問題ありません。実を言いますと、僕は少し虫が苦手でして。特にカメムシが苦手なんです。少しくらいなら大丈夫だと思ったんですが、ダメでした」
「そうなんですか!? それを早くおっしゃってくださいよ……。無理をさせてしまって、申し訳ございません」
テレサは神妙な面持ちで頭を下げた。
正直なところ、カメムシじゃなければ我慢できたんだよな。苦手なものは弱みになるから、できれば言いたくなかった。まあ、適当にフォローしておくか。
「お気になさらず。せっかくお誘いいただいたのですから、断りたくなかったんです。僕の都合ですよ」
「それは嬉しいですけど……次からは違う料理も用意しますね」
「そうしていただけると助かります」
できるのかよ。マジでそうしてくれ。普通の肉料理があるなら、喜んで参加するよ。……あれ? 次も呼ばれるの? 今回限りのつもりだったんだけど……。まあ、ムシ料理じゃなければ問題ないか。
「では今回のお詫びに、祖父の家のパーティに招待します。魚料理しかありませんが、お魚はお好きでしたよね?」
好きというほどでもないが、虫とだったら比べるまでもなく魚の方がいい。
「そうですね。久しく新鮮な魚を食べていませんから、魚料理なら嬉しいです」
「私は同行できませんので、紹介状を書きますね」
「え? 仲が悪いんですか?」
「そんなことはありませんよ。お魚を見たくないだけです。祖父の家は魚しか出てこないので……」
テレサの魚嫌いは筋金入りらしい。なるほど。別居の理由が分かった。食事の趣味が違いすぎるから、一緒に暮らすことができないんだ。
「お気遣い感謝します。ご迷惑でなければ、喜んでお伺いさせていただきますね」
「迷惑だなんて、そんな……。祖父もパーティが好きですから、喜んで迎えてくれますよ」
少し雑談をした後、テレサは食堂に戻った。俺はパーティが終わるまで別室で過ごす。
パーティが終わると、フランツが俺を呼びに来た。
「……卑怯ですよ。何を逃げているんですか」
フランツが不満げに漏らす。
「倒れたのは不可抗力ですよ。でも、フランツさんに他の方のお相手をしていただき、とても助かりました。ありがとうございます」
「ふふん。大変だったんです。感謝してください」
不満げな表情から一変、得意気な表情を浮かべて鼻を鳴らした。まあ、今日の功労者であることは間違いない。特別ボーナスを支給してもいいくらいだ。今月の給料は少し多めに払ってやろう。





