コンサルタント
ブライアンは真剣な目つきで俺を見ている。求められた説明をするわけなのだが、どうやったら納得してもらえるだろうか。とりあえず話を始めて探るしかないかな。
「ではまず、客層を絞る理由から。幅広い層に支持されることは悪いことではありません。ですが、それは全てが中途半端になっているとも言えます。余程上手くやらないと、すぐに飽きられるでしょう。
長く続けた結果客層が広がった、というなら分かりますが、最初からそれを狙うべきではありません」
「いや、でも、幅広く来てもらった方が儲かるんじゃないの? 客の数は増えるよね?」
「分母の数は増えますが、パーセンテージは減りますよ。100人の内10人に来てもらうか、1000人の内10人に来てもらうかの判断です。
それに、店のキャパの問題もあります。1日で受け入れられる客数は決まっているので、分母の数を増やしても仕方がありません」
「それなら、1000人の内100人に来てもらう努力をした方が楽じゃない?」
「そうでもないんですよ。1000人の需要に応えるためには、品数を増やさなければなりません。そうなると、材料費も嵩みますし調理の手間も増えます」
多くの人をターゲットにすると、それだけ求められることが多くなる。最も分かりやすいのが料理の内容だ。女性受けを狙うなら、野菜や甘い物を充実させなければならない。だが、男性は肉などのガッツリとしたものを充実させる必要がある。
全てに応えていくと、品数がとんでもないことになる。いろんな客層が毎日平均的に来るわけではないので、大量の廃棄ロスが出てしまう。
これがターゲットを絞らないことのリスクだ。
「なるほど……。楽をするために絞るんだね」
ブライアンは、ニヤリと笑って頷いた。
「ははは。言ってしまえばそういうことです」
軽く笑って答える。少し乱暴なまとめ方のような気がするが、まあ間違いではない。
「絞るとしたら、男かなあ。女の趣味なんて分からないからさ」
ブライアンは少し考えて言った。ちょっと拙いな。この立地で男性を狙うと、苦戦を強いられることになる。
「それも悪くないですが、ここの立地なら女性の方が楽ですよ。この店の周りって、女性ばかりですよね?」
「うん、まあ、そうだね。服屋が多いから仕方がないね。店がここじゃなかったら、1人では近付けないよ」
「それが答えですよ。男性が近付きにくいんです。でしたら、最初から女性をターゲットにした方が早いです」
男性にとって、女性ばかりが大量にいる場所に行くのはとても勇気がいること。この商店街は女性が多く、男性にとっては見えない壁があるようなものだ。
「そう? 味が良ければ来るんじゃない?」
ブライアンは不満げに言った。
もし日本で飲食店を営むなら、味、立地、清潔感、雰囲気に加え、特別な付加価値が無いと成功は難しい。だが、この国はまだそこまでの競争に至っていないようだ。
「それがですね。飲食店において、味の善し悪しはあまり関係ないんですよね」
「不味くてもいいということ?」
「違いますよ。美味しいものを出すのは、飲食店として当たり前のことなんです。料理が不味いなら、そもそも飲食店をやる資格がありません。美味しいものを出した上で、どうするか。それが飲食店です」
飲食店を始めるハードルは恐ろしく低い。インターネット通販を除けば、おそらく一番ハードルが低い業種だ。
日本で飲食店を始める場合でも、必要な資格は『食品衛生責任者』だけ。調理師資格は必要無い。金さえあれば誰にでも始められる。だからこそ競争が激しい。
実際、飲食店を始める人は後を絶たない。それなのに街中が飲食店で溢れかえらないのは、その分だけ潰れているから。3年後には7割が潰れ、5年後には1割しか残らない。そんな業種だ。
味が悪いのは問題外で、味以外に勝負できる部分がないと生き残れない。
「でも、美味しいものを出していれば流行る、と言われてるけど……」
「ただの幻想ですね。まず、飲食店の集客は8割以上が立地で決まります」
『美味しければ何でも良い』これが多くの消費者の意見だ。『不味い』と『美味い』には明確な差があるが、『美味い』と『とても美味い』の差は分かりにくい。
近くに『美味い店』があるのなら、遠くにある『とても美味い店』の常連になるのは一部の食通だけだ。食通だけを相手にするというブランディング方法もあるのだが、味を裏付ける肩書と強い人脈が必要になる。この店では難しい。
「料理の味が噂になったりしない?」
「分母の数が少なすぎますよ。口コミで客を増やすには、そもそもの客数が重要なんです」
積極的に噂を広めてくれるような上客は、全体の1%未満だ。さらにその人がインフルエンサーである確率を考えると、途方もない確率になる。
口コミによる集客を狙うなら、まずは地道に客数を伸ばさなければならない。
「でも、立地が悪くても流行っている店はたくさんあるよ?」
「成功例だけを挙げても意味がありません。確率の問題ですからね。成功した人は、余程上手くやったんでしょう。それに、運の要素も絡んできます。
成功したいなら、より確率が高い方を選択するんですよ。小さな選択の積み重ねです」
失敗した人の存在を無視しがちなんだよな。ごく一部の稀な成功例を都合良く真に受けて、失敗する人はいくらでもいる。
本気で上手くいってほしいと願うなら、成功する確率を1%でも上げる努力をしなければならない。運や神に頼るのではなく、より具体的な方法で、だ。
「なるほど。難しいなあ。コータロー商店の人はもっと簡単に言っていたんだけど……」
コータロー商店の奴、まるで他人事だな。飲食店が簡単なわけないだろう。そもそも、簡単な商売なんて存在しないわ。
何にせよ、ここまでの説明は納得してもらえたと思う。
「話を戻しますけど、テーブルについてでしたよね。どうしましょうか」
「そうだったね。嫁に相談してみてもいいのかな……」
あ、結婚してるんだ……。まあ、いい歳みたいだから当然か。
「奥様がいらっしゃるなら、奥様のご意見を尊重するといいですよ。貴重な女性の意見ですから」
「うぅん……。でも、気が進まないなあ……」
ブライアンは、そう言って顔を曇らせた。
「どうしてです?」
「嫁はオレの開業に反対しているからね。最近口をきいてないんだ」
バツの悪い顔で頬を掻きながら答える。反対を押し切って準備を進めているらしい。まあ、よくあることだな。
「これをキッカケに話を切り出せばいいと思いますよ。相談されて悪い気はしないでしょうから」
笑顔を作ってそう言うと、ブライアンは苦笑いを浮かべた。
「そうだよね……。頑張って聞いてみるよ」
今日の話はこれで終わりかな。嫁の意見を聞かない限り、話が進まないだろう。
「それでは、今日はここまでにしましょうか。奥様との話し合いがまとまったら、また会いましょう」
「ごめん、ちょっと待って。最後に聞きたいんだけど、月にいくら稼いだらいいのかな? それが分からないと、嫁が納得しないと思うんだ」
え……? それ、今聞くこと? もっと早くから計算するものだと思うんだけど。まさかとは思うが……事業計画書くらいは書いているよな?
「ブライアンさん、事業計画書を見せていただけませんか?」
「じぎょう……何?」
書いてないのかよ! いや、この国には事業計画書を書くという文化が無いみたいだ。
事業計画書の書き方は人それぞれだが、必要な資金や物資、販売予測と原価計算は最低限書く。これを書かないと売価の設定ができないし、オープンしてから足りない物が発覚して困ることになる。
「『事業計画書』です。その様子ですと、初耳のようですね」
「うん。悪いけど教えてくれない?」
「口頭で説明できるものではないので、紙を準備しますね」
そう言って、鞄から紙とペンを取り出した。
ブライアンから話を聞きながら、最低限必要な項目を埋めていく。燃料代や地代など、必要な固定費がいくらあるか。どこから何をいくらで仕入れていくらで売るか。それらを売るために何が必要か。
時間を掛けて仮の事業計画書を書き上げた。本来なら向こう5年間くらいの売上目標や事業の展開についても書くのだが、今日はそこまで詳しくは書かない。
「ふぅ……。結構大変だね。こんなこと、他のみんなもやってるのかな」
「どうでしょうね。書いていない人の方が多いみたいです。でも、書いて良かったですよね?」
「それは分からないなあ。ただ大変だったとしか思えないよ」
……まあ仕方がないかな。一度失敗しないと、これの有り難みは分かりにくいんだ。日本だって、『自分のため』ではなく『開業資金を集めるため』に書くという人が多いくらいだからなあ。
「でも、これを書いたことで目標がはっきりしましたよね。まずは初月30万クランの売上を目指して、がんばりましょう」
1日平均1万クラン、平均客単価800クランで、1日の客数は13人。無理な数字ではない。
いろいろ計算した結果、原価率が40%を越えた。思っていたよりも高い。うちのカフェスペースは25%くらいなんだけどなあ。お茶と食事の差だな。
固定費は5万クラン、月の利益は約13万クランだ。夫婦2人分の収入としては少ないが、一般的な従業員の給料くらいにはなるはずだ。初月の目標としてはちょうど良い。
「そうだね。なんだかやれそうな気がしてきたよ」
「僕もできる限りの手助けをしますよ。何か分からないことがあったら、気軽にご質問ください」
「うん。助かる。これからもよろしく頼むね」
挨拶を済まして店を出た。
事業計画書を書いていたせいで、ずいぶんと長居してしまった。もう日が暮れる時間だ。そして何も売っていない。コンサルタント料をもらうべきだったかな……。まあ、過ぎたことは仕方がないな。後でゴッソリ買わせれば元は取れる。





