開業準備
フランツが素直に白旗を上げたことで、勝負は俺の勝ちとなった。勝負には勝ったが、大量の在庫が残ったことは間違いない。
俺が売った総数は250セット、フランツが3セット。ウォルターは3日目に8セット売ったことで、合計28セット。店舗での販売数はゼロだ。残った在庫は219セットとなった。
俺が3日間全力で売って250セットしか売れなかったことを考えると、普通に店で売っていたら長期的に残りそうだ。
「フランツさん。約束を覚えていますか?」
「……何です?」
「売れ残ったら自腹、という話です」
「あ……」
フランツはこの約束を忘れていたらしい。思い出して顔面が蒼白になった。
当初は本気で自腹を切らせるつもりだったのだが、今となってはどうでもいい。このまま店で抱えてもいいと思っている。その理由は、放っておけば売れるから。
普通に売ったら難しいだろうが、うちの店には専属の営業マンが居る。イヴァンは箱入りの食器セットを大層気に入っている様子だった。任せておけば勝手に売り歩いてくれるだろう。
それに……フランツ個人の在庫にしてしまうと、食器セットが売れた時にフランツの利益になっちゃうんだよね。それはもったいない。
「今回は特別に許します。次はありませんから、勝手なことは謹んでください」
「すみませんでした……。気を付けます」
フランツは不満げに言った。そんな態度をとるなら、前言撤回してもいいんだぞ? まあ、今回は許すけど。
「では、しばらくはルーシアさんとサニアさんの指示に従ってください」
「え? あんたが教えてくれるんじゃ……」
「まだ早いです。まずは店舗での立ち回りと在庫管理をしっかりと学んでください」
邪魔という理由もあるが、単純に技術不足だ。後先を考えず大量に仕入れるという行為から、在庫管理の大切さが分かっていないと判断できる。ルーシアに怒られていたことを考えると、店舗での立ち回りも良くない。
さすがにもう警察を呼ばれるようなことはないだろうが、危なっかしくて外には連れ出せない。
「でも……そんなことは修業先で学びました」
そういえば、帰ってきた初日もそんなことを言っていたな。表面を知って全てを知ったつもりになっているのだろう。よくあることだ。
「勉強を終わらせた気にならないでください。勉強は一生続くんですよ。それに、あなたが学んだ方法論は使いものにならないと思いますよ。僕の運営手法は少し特殊みたいですから」
「それは分かるんですけど、もっと先を知りたいんです」
まだ食い下がるのかよ。もっと先どころか、かなり手前から勉強し直す必要があるんだよ。
「何が分かっているんです? 今のこの店は他の店と違うから、あなたの学んだことはあてにならないんです」
「あんただって、オレが何を学んだかを知らないですよね?」
口答えが鬱陶しいな。さんざん失敗を見たし、心構えがなっていないことも確認している。どこをどう見たら、基礎ができていると判断できるんだ?
「確かにそれは知りませんが、今までの売り方を見れば予想はできます。できると言うのなら行動で示してください。ルーシアさんとサニアさんから合格をもらえたら、次のことを教えます」
「でも……」
「本当にできるなら、すぐに合格をもらえるでしょう。それまでは2人の指示に従ってください」
「……わかりました」
フランツは不承不承に頷くと、店の奥に引っ込んだ。まだ全然反抗的じゃないか。2人に迷惑をかけなければいいんだけど……。まあ、家族なんだから上手くやるよな。あとのことは任せよう。
フランツは無事に押し付けた。今日は食器セットを届けるため、例の飲食店に出向く。この店の店主は大事な太客になりそうなので、フランツが居ると邪魔だ。
例の店は、うちの店から少し離れた場所にある。いつかルーシアと歩いた、服屋が並ぶ商店街の近くだ。大通りから少し入ったところにある。立地条件は、最良ではないが悪くもない、といったところ。
外装はキレイに修繕してあるが、看板はまだ掲げられていない。営業開始はまだまだ先になるようだ。
今日の用事は食器の配達。紙で包まれただけの食器なので、嵩張るようなものではない。そのため、配送業者を通さずに自分で持ってきた。ついでにいろいろと話ができればと思っている。
扉を開けて、中に声を掛けた。
「おはようございます。食器セットをお届けに来ました」
「おお、待っていたよ。どうぞ。中に入ってくれ」
この店に営業に来た日から3日が経過しているのだが、開店の準備は何も進んでいないみたいだ。ガランとした店内の真ん中に、テーブルが1セットだけ置かれている。他の飲食店でも使われている、6人掛けの大きな丸テーブルだ。
対面に座ると距離が離れすぎるので、斜めの位置に座った。なんとも不便なテーブルだな。
店主が席についたことを確認し、話を始める。
「今日は時間を作っていただき、ありがとうございます」
「いや、とんでもない。あの時君が来なければ、コータロー商店の言いなりになっているところだったよ」
聞けば、俺が売り込みに来た後にコータロー商店との商談があったそうだ。正に滑り込みセーフだったわけだ。
「なるほど。大変な時にお邪魔してしまったんですね」
「ははは。オレはおかげで助かったけどね。コータロー商店からの商談は、全て断ったよ」
「え……? 良かったんですか?」
「ああ。コータロー商店は確かに安いけど、話をしていて面白くないんだ。ああしろこうしろと指示を出すばかりでさ。どっちが店主か分からない」
専門家がやりがちなミスだな……。なまじ知識があるばかりに、上から目線になってしまう。そして自分の考え方を押し付けようとするんだ。これは知識を持つ人間なら誰でも起こり得るミス。俺も気を付けないとなあ。
「それは大変でしたね。僕にできることでしたら、何でもお手伝いしますよ」
「うん、ありがとう。改めて自己紹介をさせてもらうよ。オレはブライアン。よろしく」
店主はそう言いながら椅子から腰を浮かすと、右手を差し出して握手を求めてきた。
そういえば名前を聞いていなかったんだな。俺は名乗ったっけ? まあいいか。念のため名乗っておこう。
「では、僕からも改めて。ウォルター商店の店主、ツカサです。よろしくお願いします」
と良いながら右手を受け取り、握手を交わした。握力が凄い。歴戦の剣闘士のような筋肉の持ち主だが、その筋肉は伊達ではないようだ。
「じゃあ、さっそく聞きたいんだけど、いいかな?」
手を離して椅子に座り直した。ブライアンは穏やかな表情をしているが、目だけは真剣さを物語っている。やる気は十分だな。
「もちろんです。どうぞ」
「テーブルなんだけど、これでいいの? どこに行ってもこの形を勧められるんだ。本当にこれしか無いのかな」
目の前のテーブルを軽く叩きながら言う。なぜかどこの店でもこのテーブルなんだよな。店の雰囲気や客層を無視して、似たようなテーブルばかりを使っている。
レベッカが作ったテーブルは特徴的なものだったし、探せば他と違うものは見つかるのになあ。でも、家族連れや団体客がターゲットなら、このテーブルで問題ないと思う。
「ああ……確かにこればかりですね。でも、探せば違うテーブルもありますよ。無ければオーダーしてもいいです。
ただし、テーブルの形状は店の方向性から選んだ方がいいですね。この店のターゲットは誰ですか?」
俺の質問に、ブライアンは腕を組んで考え込んだ。
「ターゲット……考えたこともないなあ。どう答えたらいいんだい?」
……マジで? 最初に考えることだと思うんだけど。
「例えば、若い女性とか家族連れとかですね。得意料理から逆算してもいいです。こってり目の料理が得意なら男性客でしょうし、大皿料理が得意なら家族や団体客になるでしょう」
「へぇ……。それ、決めないとダメなの?」
ブライアンは不思議そうに言う。俺もなぜ考えていないのか不思議に思う。おそらく、この国ではそこまでのことを考える人が少ないのだろう。他の飲食店を思い出したら、確かに考えられていない。
店内は埃まみれだし、テーブルや調度品もいい加減だった。味は悪くなかったが、「また行こう」という気分にはならない。現に、うちの店の隣は一度行ったことのある食堂なのだが、二度と行っていない。
「そうですね。必須です。店作りの柱ですからね。難しいなら、立地で考えてもいいですよ。徒歩圏内にはどんな人が住んでいるか、です」
ターゲットを決める条件は人それぞれ。やりたいようにやればいい。ただし、この店はもう出店場所が決まっているので、立地から考えるのがベストじゃないだろうか。
「うぅん……難しいね。この辺りは服屋が多いから、女性客は多そうだよ」
「では、女性客をターゲットに絞るのが良さそうですね」
「ちょっと待って。絞る? 他の客を捨てるの?」
ブライアンはそう言って顔を強張らせた。
「潔く捨てましょう。捨てた結果、ついてくる客も居るんです。そういう人は常連になりやすいですから、長い目で見たら得をしますよ」
「なるほど……。でも、もう少し詳しく聞いてもいいかい? 今の説明では、『そうですか』と素直に聞くことはできないよ」
ブライアンはまだ納得できていないらしい。話が長くなりそうだぞ……。
「分かりました。もう少しお時間をいただきますね」
店の方針を決めるのは店主の仕事。無理強いをすることはできない。俺にできることは選択肢と情報を与えるだけだ。その上で、成功率が高い選択肢を選ぶように促す。
これはコータロー商店ができなかったことだ。上手くいけばうちの店の評価が上がる。その実績は、とてもいい宣伝になるだろう。俺のためにもこの店には成功してもらいたい。





